12 三つの獲物
湖畔に起った怪事件を取調べるため、かねて千葉へ出張中だった大江山捜査課長は、一日向こうに泊り、その翌日の夕刻、東京へ帰って来た。
帝都は、今ちょうど暮れたばかりで、高層ビルヂングのあちこちの窓には、電灯の火が明かるくかがやき、その下で、いそがしい仕事をかたずけるため居残りをしている社員たちの姿さえ、はっきり見られた。
「課長、すぐ本庁へ行かれますか」
と、自動車の運転をしている警官がたずねた。
「ああ、すぐ本庁へたのむ」
課長としては、こういうわけのわからない事件の報告は、なるべく早くすませておかないと、気が落ちつかないのであった。
いってみてよかった。
これまでに手がけた事件とちがって、全く妙ちきりんな事件である。
警視総監も、さぞ驚かれることであろう。
課長の乗った自動車は、お濠を右に見て、桜田門の向かいに立ついかめしい建物の玄関に着いた。
この建物こそ、わが帝都を護る大きな力、警視庁であった。
課長は、一旦、自室へはいったが、すぐ席から立って、総監室へはいった。
課長は、なかなか出て来なかった。
彼が出て来たのは、それから約一時間もたった後のことだった。
総監も、課長の報告によって事件の重大性に驚き、今後のため、いろいろと念入な打合わせが、行なわれたものらしい。
課長が自席へ帰って来ると、それを見かけた佐々刑事が、課長のところへ飛んで来た。
「やあ、課長。
ごくろうさまですなあ。
で、その火星の火柱とか、火星の化物とかいう怪しいものの正体は、わかりましたか」
課長は、それに返事をするかわりに、首を左右にふった。
「えっ、やっぱりわからないのですか。
課長にもねえ」
大江山課長は、溜息をついた。
そうして佐々刑事に向かって、
「おい、皆にここへ集ってもらってくれ。
千葉出張の獲物について報告をするから」
「ははあ、獲物についての報告ですか。
獲物とは、そいつはすばらしい話だ」
佐々は、大仰に驚いて、課内の幹部の机を一々走ってまわった。
まもなく、課長の机の前後左右は、部下の主だった警官によって、ぐるっと取りかこまれた。
課長は、そこで、いつになく深刻な顔つきで、一同をぐるっと見まわしたあとで、
「千葉へ出張して、掴んで来たことについて報告をする。
結局獲物は、たった三つである」
と言って、課長は、机の上を指先で、ことんと叩いた。
「その第一。
火柱の発見者で、そのために大怪我をした友永千蔵という男は、怪我をした場所がよくないらしいが、目下気が変な状態にある。
どうにも、手のつけようがない。
だが、怪我の方は、重傷ではあるが、致命傷ではないそうで、このまま死ぬ心配はない」
課長はそこでちょっと口を切って、
「第二の収穫は、こういう拾い物だ」
と言って、鞄の中に手を入れて、やがて机の上に放り出したものをみれば、木の葉蛙の背中のような、色のまっ青な、長さ一メートルあまりの鞭のようなものであった。
課長を取りかこんでいた幹部警官たちは、俄にざわめきたった。
そうして首をのばし、目をみはって、その気味のわるい色をした鞭のようなものをみつめた。
「課長。
これは一体、何ですか」
部下の一人が、たまらなくなって、課長に質問を放った。
「さあ、お前たちは、これを何だと思うかね」
大江山課長は、机の上にのせたその気味のわるい青い鞭のようなものを指して、周囲に集った警官たちの顔を、ずっと見まわした。
「はて、何でしょうかね」
「一種の紐だな」
「どこかについていた紐が、ちぎれたのじゃありませんかね」
「どうもわからない。
とにかく、いやらしい青い色だ」
課長について千葉へ出張していた部下たちも集って来て、皆の説をおもしろげに聞入る。
千葉で拾って以来、一体これは何だろうかと、さかんに議論をやったらしい。
「ねえ、課長。
それは、火星の化物の遺失物ですよ」
とつぜん、大きな声でどなった者がある。
それは、いつも元気のいい佐々刑事であった。
遺失物というのは落し物とか、忘れ物とかいう意味であった。
「よう、佐々、お前はなかなか目がきくぞ。
今日は、特製ライスカレーを食べたんだな」
一座は、どっと笑った。
佐々刑事と特製ライスカレーの関係は、庁内でたいへん有名であった。
彼はずっと前、或る事件のため、一年近く遠く南の方に出張していた。
わが南洋領の諸島を廻り、それから更に南下して、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、セレベスという四つの大きな島をぐるぐる廻って来た。そのとき彼は、おみやげとして、なんとカレーの粉を石油缶に五杯も持って帰ってきたのです。そして、同僚たちにも分けあたえ、もちろん大江山課長にもプレゼントしました。
残りは、たいせつにしまってあります。
そうして、時々そのカレー粉を出してきてはアルミの鍋でとかし、自分でライスカレーを作って食べるのでした。
それが、あの有名な佐々の特製ライスカレーなのですが、これについては、まだまだ面白い話があります。
彼は、その特製のライスカレーを、とっても美味しそうに食べるのです。
七分づきの栄養たっぷりなご飯は食堂からとりよせるのですが、その上にかける黄色いカレーの汁の中には、いろいろな具が入っています。
鶏肉のこともあれば豚肉の時もあり、じゃがいもが入っていることもあれば、玉ねぎが入っていることもあります。
それだけではありません。その上になんと、いろんなお漬物をきざんで混ぜあわせるのです。
黄色く色づいた古漬けの沢庵(たくあん)、浅漬けのカブ、漬かりすぎてすっぱいキュウリ、紅しょうが、時には中華料理で使うようなトウガラシ漬けのキャベツまで入れちゃいます。
お漬物は、できるだけたくさんの種類が入っているのが最高なんだそうです。
ぽっぽっと湯気の立つお皿をながめながら、彼はまだ食べる前なのに、もう口の中で「ごくり、ごくり」とつばを飲みこんでいます。
こうして、準備はバッチリ整いました。
そこで彼は、大きなため息をふうふうと二つ三つついてから、ようやく瀬戸物(せともの)でできた大きなスプーンを左手にしっかりとにぎるのです。
そう、彼は左ききでした。
「ああっ、これは熱くて、口の中が火事になっちまうぞ!」
彼はほっぺたをふくらませて、お皿の上でもうもうと立ち上る白い湯気を「ふーーっ」と吹き飛ばします。そして、山のように盛り上がったライスカレーへ、左手ににぎった瀬戸物のスプーンをぐさりと突き立てるのです。
あとはもう、夢中になって馬のようにガツガツと食べるだけ。
――これを食べると、佐々の頭は、急にとってもよく働くようになるんだそうです。
本人はそれで大満足なのですが、ものすごく迷惑をしているのは、席がとなりの同僚たちでした。
なにしろ、これだけのすごい量のカレー料理を、佐々は自分の机の上で作ってしまうのです。
まわりが何と言おうと、彼は絶対に自分の机の上で作るゆずれないこだわりがありました。
そのため、彼のカレー作りが始まると、捜査課の中はカレーのにおいでプンプンいっぱいになります。
時には、警視庁の建物全体がまるでカレー屋さんみたいになってしまうのです。
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