初級翻訳・犬物語 第6話

内田 魯庵

それでも荒尾先生は、そのお言葉をありがたいものと受け止め、感涙にむせびながら、今度はまたとんでもない代物を作り上げた。
なんでも、ある恋愛小説で、暗に自分と御令嬢様の関係をモデルにしたものだそうだ。
おまけに、その本を書いた理由やいきさつまで細かく書き添えて持ってきたものだから、御令嬢様もさすがにあきれ果ててしまった。
奥様も、あまりの度しがたさに「馬鹿につける薬はないとは、まさにこのことだね」と陰で呆れ返っていらっしゃったそうだが、当の本人はそんなこととは露知らず、「その後はいかがでしょうか、ぜひとも御感想を聞かせてください」と、自分にとって都合のいいお返事を催促する手紙までよこしてきた。
おいおい君、君たちの世界にもこういう白痴みたいな奴がいるものかい?
こいつは小説家の中でも、一番の底辺クズ野郎だろうさ。
御令嬢様も、「いい加減に現実を諦めさせないと、こういう奴はそのうち本当に頭がおかしくなってしまうかもしれないわ」とお思いになり、次にやって来た時にはきっぱりとこうお断りになった。
「世間様もうるさく噂いたしますし、当分はここへのお尋ねはお断り申し上げます。そのうちにお互いの身の振り方が定まりましたら、改めてお付き合いをお願いいたしますわね」
これには荒尾先生も、まるで青菜に塩をしおしおと萎れたようにすごすごと帰っていったが、俺がその後ろ姿を見送った時は、さすがに少し可哀そうになってしまったよ。
そうそう、何とかいう雑誌に載っていた「失恋の歌」――あの新しいスタイルの詩(新体詩)は、まさにこの時に作られたものだそうだな。
それでも、どこまでおめでたい脳ミソをしているのか分からないが、その新体詩を懲りずにまたお屋敷へ送りつけてきたんだからたまらない。
万が一の御慈悲を乞うつもりなんだろうか。
小説家という生き物は、ここまで未練たらしいものなのかねえ。
俺たち犬の世界じゃ、一度口から落とした獲物は、二度と振り返ったりしないもんだ。
いやはや、犬にすら劣ると言わなきゃならないな。

そして、一番みじめで気の毒なのは、キリスト教(耶蘇)の牧師である神野霜兵衛(じんの しもべえ)さんだ。
この人は衣装を着飾ることもなく、外見を取り繕うこともなく、極めて素朴でまじめな人柄で、心の底から御令嬢様に惚れ込んでいながら、ほんの少しも機嫌を取ったりおもねったりする素振りを見せなかった。
だからこそ、御令嬢様もこの人に対してだけは真面目に接し、少しもおちょくったりふざけたりされなかったのだが、困ったことに、ただの人柄の良さだけで、学問も才能もすっかり時代遅れなのだ。
これが15世紀や16世紀の頃なら立派に通用したかもしれないが、レントゲン(X光線)や無線電信が飛び交うこの20世紀には、到底向いていない男だった。
とはいえ、さすがは牧師さんだね。
自分の恋が実らないと知っても、決して他人を恨んだりせず、ただひたすら御令嬢様の幸福を神様に祈り続けている。
奥様も御令嬢様も、この人に対してだけは安心して付き合っていらっしゃるようだが、その素振りにも出さない健気な心根を察してあげると、本当に胸が痛くなって気の毒になる。
ある雑誌にときどき、彼の人生の述懐のような随筆が載るのだが、いつぞや御令嬢様はそれを読みながら、涙で顔を覆っていらっしゃったっけ。
なんでも、才能も足りず学問も浅く、おまけに顔立ちまで不格好な男が、すべてにおいて優れためちゃくちゃ美しい乙女に恋い焦がれ、どうあがいても叶わぬ恋の道に身をやつしていく、その哀れさを嘆いたものだそうだな。
いつだって御令嬢様を訪ねてくるときは、顔に喜びの色を輝かせてさっぱりとした顔をしているけれど、その皮一重の裏側に秘められている苦しみの深さはどれほどのものかと思うと、本当に同情せずにはいられないよ。
御令嬢様も、この人の真摯で偽りのない本当の気持ちには相当心を動かされたらしく、同情の涙をこぼされたようだが、それは本当にごもっともの話だ。
俺だって、他の連中には怖い顔をして散々すごんでみせたり、威嚇してやったりしたものだが、この正直な神野霜兵衛さんにはいつだって尻尾をパタパタ振って愛想を振りまいたから、一度なんかパン(麺包)のお土産をちょうだいしたことがあったっけ。
霜兵衛さんだけは、本当に感心ですばらしいお方だ。
「自分の真情はすでに御令嬢様に捧げたのだから、自分は生涯妻を娶らず、いつまでも独身で清らかな身のまま、御令嬢様の平穏と幸福を神に祈り続けるつもりだ」と言っているそうだよ。
まったく、こういう心構えのできている人は珍しいものだな。
俺は「愛」だの何だのという人間様の難しい理屈はよく分からないけれど、人間様の男女の仲を見ていると、俺たち犬の同類と何ひとつ変わらないじゃないか。
ただ、人間には「法律」という面倒くさい決まりがあって、仕方なく親子や兄弟姉妹の間では近親相姦をせずに我慢しているだけで、中身なんて犬や猫と五十歩百歩だ。
なんとかいう人の詠んだ発句に、「羨まし思切る時猫の恋」なんてのがあるそうじゃないか。それ見ろ、猫や犬の方がよっぽど健気なところがある。
この牧師さんも内実はまだ怪しいが、右を向いても左を見ても外見だけはりっぱだ。
やたらに豪傑ぶって女性を軽蔑したがるくせに、たかが売女の一挙手一投足の機嫌に一喜一憂して鼻の下を伸ばす先生方は、どちらかといえばかえって女性の玩具(おもちゃ)だね。
女性に玩具にされていながら、自分が女性を玩具にしたつもりでいるのが、俺たちにはひどく浅ましく見える。
どうだい大将――女殺しを鼻の頭にぶら下げているような先生、一本やられたろう。
伯爵・鍋小路行平(なべこうじ ゆきひら)は、まさにこうした浅ましい連中の一人だね。
御堂関白の孫である大納言・公時(きんとき)から数えて二十一世の末裔であり、前権中納言・時鐘(ときかね)の子が、すなわち今の伯爵・鍋小路黒澄卿である。
行平君はその嫡男だそうで、幼名は阿古屋丸(あこやまる)と申し上げたそうだ。
これはいつぞや、行平君が自慢げに自分の家系を御令嬢様に語聞かせていたのを、そばで聞いていたのだ。
行平君は二十二、三歳かな。
まだまだ勉強盛りなのを中途で学校をやめて(いや、落第したそうだが)、平凡文学者の煽動に乗せられて、自分は文学のパトロンになるなどと大威張りしていらっしゃるそうだ。
何しろ学問は放り出して、井原西鶴がどうしたとか、近松門左衛門がどうしたとか、尾崎紅葉は偉いだの幸田露伴は感心だのと、しきりに肩を入れて持ち上げられるそうナ。
それも本気でやるなら、貴族の道楽として芸妓を買うよりはマシだろうが、やっぱり浮気心で妄想の恋愛小説を書いてみたいというのが本音だから、まったく困ったもんだ。
ところで、二度か三度、さっき話した小説家の荒尾角也と一緒に御令嬢様を訪ねてきたら、ひと目見た途端にお誂(あつら)え向きに恋風がじわじわと身に染み込んできた。
もともと荒尾が鍋小路殿を連れてきたのは、自分の理想の女神を見せびらかすつもりだったのだろうが、行平殿はたちまちうっとりとして、「天にあらば比翼の鳥、地にあらば連理の枝」と歌いたくなった。

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