ザアッと舷(ふなばた)から二度目の波頭が押し寄せ、鯔を海中へ巻き返そうとしたが、海賊の部下たちはこれこそ山賊の使う蛮流幻術による変身だと勘違いし、我先にと手づかみにしようと競い合った。しかし、死に物狂いで跳ね回る魚は、人間一人を捕まえるよりもずっと始末が悪い。
「ちくしょうッ――」
誰かがバラリと網を投げた。
鉛の重みに縛られて、とうとう鯔はその中にくるまってしまったが、同時に頭の上から、
「わッはッはははは、あはははは。やい、野郎ども、いい加減にしねえか」
と、二人の笑い声が聞こえた。
ひょいと見上げると、船楼の櫓に腰かけている頭領の龍巻(たつまき)と、いま下にいたはずの呂宋兵衛がいた。
どちらも卓に頬杖をつきながら、下の騒ぎを見物して、仲良く酒を飲んでいる。
「冗談じゃねえ。お頭領、こいつァ一体どうしたわけなんで……」
部下たちはわいわいとそこへ寄っていき、ただ不思議でたまらないという顔つきだ。
「心配するな。こいつは和田呂宋兵衛といって、俺が長崎でゴロついていた時代の兄弟分だ」
「へえ? ……」
「見ろ」
と、龍巻は自分の二の腕と呂宋兵衛の二の腕をまくり上げ、部下たちに見比べさせながら言った。
「この通り、二人とも蜘蛛の刺青を彫り合って、俺は海で一旗揚げ、呂宋兵衛は山に立てこもって、お互いに天下を狙おうと誓って別れた仲なのだ」
「なるほど、そういう兄弟分がいるということは、いつかお頭領の話にも聞いていました」
「その二人が思いがけず巡り会った祝いだ。お前たちにも飲ませてやるから、いまの魚を料理して、もっと酒を運んでこい」
「承知しました。だが、そうすると、いまの鯔は一体どうなったんでしょうか?」
「あれは呂宋兵衛が『水気魚陰の法』をかけて、お前たちのような半人前の目をくらませたのだ。しかし、魚はちょうど船へ跳ね込んだ本物だそうだから、安心して料理するがいい」
部下たちを追い払って二人きりになった船楼で、龍巻と呂宋兵衛は久しぶりの酒を酌み交わし、話は尽きない様子だった。
名こそ恐ろしい海賊と山賊だが、久しぶりに会った情というものは変わらないらしい。
「なあ、龍巻。てめえと俺とは、その昔、天下を二分するような勢いで別れたんだが、お互い、いつまで経ってもケチな賊の頭領じゃ仕方がないなあ」
「しかし呂宋兵衛」
「なんだ」
「お前は富士の山大名とか、野武士の総締めとかいわれて、豪勢な羽振りだって噂に聞いていたが」
「さあ、それが残念千万な話でな。一時は富士の殿堂に、一国一城の主を気取っていたが、武田伊那丸という小童のために、とうとう人穴城を焼け出されて落武者となってしまったのだ」
「なに、武田伊那丸だって?」
「うむ、お前もうわさに聞いていたろう」
今、船は加賀の北浦に沿って、紅色の帆を黒い風にはためかせ、いよいよ水面を滑るようにスピードを上げていた。
四
龍巻の九郎右衛門は、杯の南蛮酒をゴクリと飲み干し、呂宋兵衛にも注ぎ足しながら、
「ふうむ、そいつは不思議な因縁だな……」
と唸るように言った。
「実は兄貴、噂どころかこの龍巻も、あの伊那丸のやつと、家来の小幡民部という野郎には、ひどい目に遭わされたことがあるんだ」
と、紅帆船以前のことを、無念そうに語りだした。
それは、彼が東海を盛んに荒らしていた頃――といっても古い話ではない、伊那丸が忍剣に分かれて、弁天島から八幡船(ばはんせん)の捕虜になった時のことである。
穴山梅雪の手を経て、伊那丸の身柄を徳川家へ売り込もうとした晩、小幡民部の計略に裏をかかれ、沖の八幡船は焼き討ちされ、彼自身は堺町奉行の手に捕らえられてしまったのだった。その後、龍巻は堺町の奉行所を牢破りして逃げ出しましたが、警戒が厳しいため、今度は紅がら色の帆を掲げて北日本の海へと向かいました。長崎と往復する呉服船(ごふくせん)を装いながら、海上の船や港の旅人を苦しめていたのです。
「こういうわけで、俺はいまでもその恨みを忘れちゃいねえ。この龍巻の息があるうちは、必ずあの伊那丸と小幡民部の野郎を捕まえて、目にもの見せてやるつもりだ」
「そうか……」
呂宋兵衛はそれを聞き終えると、こう言いました。
「してみれば、伊那丸一族は、この呂宋兵衛にとっても、龍巻にとっても、遺恨が重なる相手というわけだ。俺もこれから京へ上って、秀吉公の力を借り、武田一族を狩り尽くす算段をするから、お前も折があれば、この仕返しをすることを忘れるなよ」
「言われるまでもないことだ。……おお、そういえば兄貴、さっき連れていた男はどうした?」
「うむ、すっかり忘れていた。あの槍襖(やりぶすま)に驚いて、胴の間の隅で気を失っているかもしれないな。なにしろ裾野の鏃(やじり)鍛冶で、恐ろしい修羅場なんて知らない男だからな」
するとそこへ、バタバタと櫓(やぐら)へ駆け上がってきた手下の一人が言いました。
「お頭領! さっきの騒ぎに紛れて、もう一人の男が艫(とも)の小舟を切り離して、逃げちまったようですぜ!」
「なに、卜斎(ぼくさい)が逃げたというのか?」
それを聞いて、呂宋兵衛は初めて彼に疑いを抱き、櫓の欄干に駆け寄って漆のように暗い海面を見渡しましたが、一艘の小舟など、広大な闇の中から見つけ出せるはずもありませんでした。
一方、怪しげな親船を逃げ出した鼻かけ卜斎の八風斎(はっぷうさい)は、たちまち加賀の美川ヶ浜に上陸すると、陸路で越前の北ノ庄へ帰りつき、主人の勝家に裾野の陣でのありさまを余すところなく報告しました。勝家は、近ごろ頻繁に領海を荒らす海賊に討手(うって)を向けましたが、すでに紅帆の呉服船の行方は、どこにも知れることはありませんでした。
変現千畳返し
一
「あ、あ、あア……」
と、煙草くさいあくびを一つ。
「だいぶ遊んでしまったな。もう陸へ上がって四十日目か。おやおや、都へ行く途中、思わぬ道草を食ってしまったわい……」
独りごちながら寝台を降り、二階の窓際へ唐風の朱塗りの椅子を運んで、そこに頬杖をついたのは、こうした異人屋敷がよく似合う和田呂宋兵衛(わだろそべえ)でした。
外は海――それも鯖(さば)の背のような、青黒い冬の海です。昼の陽ざしも力なく、北日本特有の冷たい風が槍のように波面をかすめ、港に泊まる船の帆柱をゆっさゆっさと揺らしています。まるで盥(たらい)の中の玩具を見ているようです。
その港とは、賤ヶ岳(しずがたけ)を南に背負い、北陸無双の要害であり、商業で栄える場所。陸には南蛮屋敷があり、唐人館が並び、湾には福州船やスペイン船の影が絶えない、角鹿(つぬが/今の敦賀)の町です。
「さてと、今年は天正十年、もう十二月だな……」
この海を見、この異国情緒を眺めても、呂宋兵衛には詩を作る風流心もないのか、妙なことをつぶやいています。
「天正十年か――変な年だったな。ひどく天下をかき回した年だ。まず思い出せるだけでも、春早々に甲斐の武田が滅ぼされ、六月には信長が本能寺で焼き討ちに遭った。うまくやったのは猿面の秀吉だ。山崎の一戦から柴田も佐々も滝川も眼中になく、めきめき羽振りを上げたが、一番ずるいのは徳川家康だ。
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