島から伊那丸が逃げ出したにちげえねえ、てめえの腕でぶち落としてみせろ!」
「えっ、伊那丸とは、いったいどういうことで……」
「そんなことをグズグズ話してる暇はねえ! おお、またこっちへ近づいてきやがった、早く撃てっ!」
「がってんさ!」
小幡民部の民蔵は、「伊那丸」と聞いてギクリとしましたが、龍巻に顔色の変化を見すかされては大変だと思い、わざと勇み立って渡された種子島(てっぽう)の銃口をかまえ、船の真上へと鷲が近づいてくるのを待ち構えました。
見ている間に、鷲はふたたび低く舞い下り、帆柱のてっぺんをサッとすり抜けました。
「そこだ!」
龍巻はおもわず拳をぎゅっと握りしめました。
同時に、狙いすましていた民部の手から、ズドン! と白い爆煙が立ちこめました。
「あたった! あたったぞ!」
ワッと沸き起こった歓声が船体をゆらしたその瞬間、大鷲はお腹の毛を間近に見せながら、ななめに傾いてクルクルと海原へと落ちていった――かに見えたのはほんの一瞬でした。
――大きな翼で海面を力強くたたいたかと思うと、ギャーッと一声、すさまじい絶叫をあげて、猛然と再び高く飛び上がったのです。
そのとたんに、大鷲の背中から海中へとふり落とされたものがいました――言うまでもなく、それは武田伊那丸でした。
龍巻は、雲の彼方へと駆け去っていった鷲の行方などには目もくれず、すぐに手下に小舟(軽舸)を下ろさせて、波間にただよっている伊那丸を親船へと引き上げさせました。
「民蔵、よくやったぞ!
きさまの腕前には本当に恐れ入った」
龍巻はすっかりご機嫌でした。
そして、これまでどこか疑いの目を向け、心を許していなかった民部を、この一件ですっかり信用してしまうのでした。二
堺の観光も終わったが、伊那丸のことがあるので帰国をのばしていた穴山梅雪の館へ、ある夕べ、ひとりの男が密書を持っておとずれた。
吉報を待ちかねていた梅雪入道は、頑丈な武士七、八名に身のまわりをかためさせて、築山の亭(てい)へと足をはこんできた。
そこには、黒衣でおもてを覆った密書の使いが、両手を床についてひかえていた。
「書面は、しかと見たが、今宵の案内をするというそのほうは何者だの」
と梅雪は油断のない目くばりで言った。
「龍巻の腹心の者、民蔵と申しまする」
「して、伊那丸の身は、ただいまどこへおいてあるの?」
「しばらく船中で手当を加えておりましたが、今宵の亥の刻(いの方角の時刻=午後十時ごろ)に、かねてのお約束どおり、船からあげて阿古屋の松原までお頭が連れてまいり、金子(きんす)と引きかえに、お館へお渡しいたすてはずになっておりまする」
よどみのない使いの弁舌に、梅雪入道も疑いをといたとみえ、すぐ家臣に三箱の黄金をになわせ、じぶんも頭巾(ずきん)に面をかくして馬にまたがり、腕自慢の剛者十数人を引きつれて、阿古屋の松原へと出向いていった。
「殿さま、しばらくお待ちねがいます」
途中までくると、案内役の民蔵は、梅雪入道の鞍壺(くらつぼ)のそばへよって、ふいに小腰をかがめた。
「少々おねがいの儀がござります。
お馬をとめて、無礼者とお怒りもありましょうが、阿古屋の松原へついては間にあわぬこと、お聞きくださいましょうか」
「なんじゃ、とにかくもうしてみい」
「は、余の儀でもござりませぬが、今日お館のご威光を見、またかくお供いたしているうちに、八幡船の手下となっていることがつくづく浅ましく感じられ、むかしの武士にかえって、白日のもとにご奉公いたしたくなってまいりました」
「悠長なやつ、かような出先にたって、なにを述懐めいたことをぬかしおるか。
それがなんといたしたのだ」
「ここに一つの手柄をきっと立てますゆえ、お館の家来の端になりと、お加えなされてくださりませ」
「ふウ――どういう手柄を立てて見せるな」
「この三箱の黄金をかれにわたさずして、まんまと、武田伊那丸を龍巻の手よりうばい取ってごらんに入れますが」
「ぬからぬことをもうすやつだ。
して、その策は?」
「わが君、お耳を……」
小幡民部の民蔵がなにをささやいたものか、梅雪はたちまち欲深いその相好(そうこう)をくずして、かれの願いを聞きとどけた。
そして、えらびだした武士二、三人に密命をふくませ、そこからいずこともなく放してやると、自分はふたたび民蔵を行列の先頭にして、闇夜の街道をしずしずと進んでいった。
三
まもなく着いた、阿古屋の松原。
梅雪入道は鞍からおりて、海神の社(やしろ)に床几(しょうぎ)をひかえた。
と――やがて約束の亥の刻ごろ、浜辺のほうから、百鬼夜行のごとく、八幡船の黒々とした一列が、松明(たいまつ)も持たずにシトシトと足音をそろえて、ここへさしてくる。
「民蔵、民蔵」
と鳥居のまえで合図をしたのは龍巻にちがいなかった。
民蔵は梅雪のそばをすりぬけて、そこへかけていった。
「お頭ですか」
「む、いいつけた使いの首尾はどうだった」
「こちらは、殿さまごじしんで早くからきて、あれに待っています。
そして伊那丸は?」
「ふんじばってつれてきた。じゃあ、おれは梅雪とかけあいをつけるから、きさまが縄尻を持っていろ。
なかなか童のくせに強力だから、油断をして逃がすなよ」
龍巻は二、三十人の手下をつれて、梅雪のいる拝殿の前へおしていった。
縄尻をうけた民蔵は、
「やいッ、歩かねえか」とわざと声をあららげて、伊那丸の背中をつく。
――その心のうちでは、神仏に手をあわせている小幡民部であった。
しばらくのあいだ龍巻と談合していた梅雪は、伊那丸の面体をしかと見さだめたうえで、約束の褒美をわたそうと言った。
龍巻も心得て、うしろへ怒鳴った。
「民蔵、その童をここへひいてこい」
「へい」
民蔵は縄目にかけた伊那丸を、梅雪入道の前へひきすえた。
拝殿の上からとくと見届けた梅雪は、大きくうなずいて、
「でかしおッた。
武田伊那丸にそういない」
その時、むっくり首をあげた伊那丸は、穴山のすがたをかっとにらみつけて、血を吐くような声で言った。
「人でなしの梅雪入道!」
「な、なにッ」
「お祖父さま(武田信玄)の時代より、武田家の禄(ろく)を食みながら、徳川軍へ内通したばかりか、甲府攻めの手引きをして主家にあだなした犬侍。
どの面さげて、伊那丸の前へでおった、見るもけがれだ。
退れッ」
「ワッハッハハハハ」梅雪は内心ギクとしながら、老獪(ろうかい)なる嘲笑(ちょうしょう)にまぎらわして、
「何を言うかと思えば、小賢しい無礼ぼうほう呼び。
なるほどその昔は、信玄公にも仕え、勝頼にも仕えた梅雪じゃが、いまは主でもなければ君でもない。
武田の滅亡は、お前の父、勝頼が暗愚でおわしたからじゃ。うらむならお前の父をうらめ、馬鹿大将の勝頼をうらむがよい」
「ムムッ……よくも言ったな!」
不法の臣に面罵されて、身をふるわせた伊那丸は、やにわにガバとはねおきるがはやいか、両手を縛されたまま梅雪に飛びかかり、ドンと彼を床几から蹴とばした。
「なにをする!」
縄尻をひいた民蔵の力に、伊那丸はあおむけざまにひっくり返った。
あ――おいたわしい! とおもわず睫毛(まつげ)に涙のさす顔をそむけて、
「ふ、ふざけたまねをすると承知しないぞ。
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