「わあッ、化け物ッ!」
蛾次郎は持っていた芋の串をほうりだすと、逃げるわ逃げるわ、夢中で逃げ出した――一心不乱に、明かりのあるほうへ駆け出した。
夜になっても、今宮の境内はにぎやかであった。
そこで蛾次郎は、はじめてホッと人心地にかえった。
夜が更けるにつれて、踊りの輪も散り、お参りに来る人も途絶えて、いつしかあちこちの燈籠の灯さえ、一つまた一つと消えかかってくる。
二
「今夜の宿屋はどこにしようか」
額堂は吹きさらしだし、拝殿の廊下で寝たら神主が怒るだろうし、と、蛾次郎はしきりに寝床を物色していた。
「ウム、ここがいい。神さまの足元なら、化け物も出ないだろう」
そう決めて、四つん這いになってのこのこと這い込んだのは、八神殿の床下だった。
藁蓙(わらござ)を一枚抱え込んで、だんだん奥のほうへいざっていく。
もちろん、縁の下は真っ暗で、鼻をつままれてもわからないくらいだが、蛾次郎が這い進んでいった少し先に、なにやら「ゴソ……」という音がした。
「ははあ、お仲間がいるな」
そう思って、地べたに顎をつけながらじっと闇を見つめていると、しだいに目が慣れてきて、おぼろげながら人影が認められた。
姿かたちは誰ともわからぬけれど、やはり蛾次郎と同じように、土台柱の下へ一枚の蓙を敷き、そこへじっと身をかがめたまま、しきりに器の水へ布を浸して、目を洗っているらしい。
しばらくするとその影は、小布で目をおさえたまま、蛾次郎のいるのを知らぬ様子で、
「ああ、困ったなあ……」
ひとり悲しげに、つぶやくのである。
「もう春にもなったし、目さえ見えれば、山のおくへでも海の果てまでも、たずねて探し出すのだけれども……急にこの目が見えなくなってしまった、蚕婆(かいこばば)の針にふかれて! あの吹き針に目を射られて――おいらはとうとう盲になってしまったんだ……」
見えないのは目ばかりでなく、心も憂いの雲に閉ざされているのであろう。なんとも言えぬ、悲哀のこもったつぶやきである。
「神さまッ……」
ガバと伏して、その影が合掌した。
「八神殿の神々さま! このお社にまつられている神々さま。おいらはそれがなんという名の神さまだか知りませんが、どうぞこの目を治してください。神さまのお力で、針に射られたこの目の痛みをとってください……」
こっちにいた蛾次郎は、「オヤオヤ」という腰つきで、じっと聞き耳を立てている。
「なんだいあいつは? 気ちがいじゃねえのかな。妙に震えた声を出して……見ろよ、夢中になって手を合わせている。あ、泣いていやがる……馬鹿だなあ、泣くなよ兄弟」
と、うっかり声を漏らしそうになったが、待て、もう少し見ていてやろうと息を殺した。
盲の姿は一心不乱に掌を合わせ、八神殿の神々に念じていた。
信仰に熱してくると、おのずから手が震え、声もわれ知らず高くなって、
「この目の痛みをお治しくださいませ! 八神殿の八つの神さま、おいらにはどうしても探したいものがあるのです。クロという鷲をたずね出したいのです。そして、伊那丸さまのために、もっともっと大きな手柄を立てなければなりません。こんなところにもぐっていると、お師匠さまに叱られます。盲の姿を見られたら、一味の人たちにも恥ずかしゅうございます。治してください。八神殿の神々さま、その大望をとげましたら、わたしの腰にさしている般若丸(はんにゃまる)を、きっと奉納いたします」
血を吐かんばかりの願いである。
一念の声、一念の祈り! 祈らなくても、人の誠は天地を動かすという……。
だが、床下の闇は、しいんとしていた。
三
驚いたのは蛾次郎だった。
梟のように目を丸くして、そーっとまた一、二間近づいて、よくよくその影を見定めると、案にたがわず、それは鞍馬の竹童である。
いつぞや、加茂の堤で蚕婆の吹き針に射られてその目をつぶされ、いまは黒白もわかたぬ不自由な身となった。
町を歩けば人につまずき、森を歩けば木の根に倒される始末。
クロの行方を知るよしもないので、瀬戸物のかけらに御洗水の清水をすくってきて、この床下へ身をひそめ、ただ一念に祈り、一念に目を洗っていたのだった。
「ふうん……やっぱり、竹童にちがいない」
蛾次郎は犬のように這いつくばって様子を眺めて、
「変なところで出っ会したな。目が悪いようだから、一つからかってやろうかしら」
手に触れた土塊をつかんで、竹童の影へ、バラッと投げつけた。「だれだッ」
もともと目が見えなくなってからは神経がとがりきっていた鞍馬の竹童は、そう怒鳴ると、体をねじって身構えた。
蛾次郎は、思わずズルズルとあとずさりした。
だが、「あいつは目が悪いんだから、ここまで来るはずがない」と高をくくって、また、
「どうだい大将――」
と、あざ笑った。
「なんだと」
「おもらいはたくさんあるかい。ええ、お菰(こも)さん」
「…………」
「はははは、さすがは偉いもんだ、果心居士(かしんこじ)のお弟子さんはな。鞍馬の竹童はえらいよ偉いよ、とうとう花の都へ出て、天下のお乞食さんになったんだからな」
「だれだ、だれだッ、おいらの名を知っているのは?」
「おめえ、盲のくせに勘がわるいな。ああ、にわか盲だから、声まで見えなくなったのか。じゃあ言って聞かせてやろう。びっくりして気絶するなよ。こう申す者こそはすなわち、おめえのクロを頂戴して、天下に名をあげている蛾次郎さまだ!」
「なにッ! 蛾次郎だとッ」
叫ぶやいなや、鞍馬の竹童は、名刀・般若丸をピュッと抜き放つと、声のしたほうへ向かって、サッと斬りつけた。
まさか鞍馬の竹童がこんな名刀を持っていようとは夢にも思わなかった蛾次郎は、「アッ!」と声を上げて床下から転がり出し、すぐ向こうにあった小屋の中へ、四つん這いで隠れ込んだ。
ところが、そこは神聖な神馬小屋だった。注連飾り(しめかざり)をつけた白馬が、突然の闖入者に驚いて「ヒーン!」と一声いなないたかと思うと、飛び込んできた蛾次郎のわき腹を、蹄(ひづめ)でパッと蹴り上げた。
「ウーム……」
泣き虫の蛾次郎は、わき腹を押さえてひっくり返ったとたんに、昼間に胃袋へ詰め込んだご馳走をのこらず口から吐き出し、厩(うまや)の前でへたばってしまった。
馬は見向きもせず、我関せずとばかりに、気だるそうにまぶたを閉じている。
――夜が更けてくると、祭りの夜も静まりかえり、もの寂しい。
一陣の山嵐が、鞍馬山の肩あたりからサーッと冷気を吹き下ろしてきたかと思うと、八神殿の冠桜(かんむりざくら)の下あたりに、竹童の師匠である果心居士の姿が、珍しくもほのかに浮かび上がった。
そして、果心居士はもくもくと、杖を引きながら裏宮のほうへと去っていった。
果心居士と愛弟子
一
右手には名刀・般若丸を握り、左手で地面や蜘蛛の巣をなでまわしながら、ソロリと八神殿の床下から這い出してきた者がいる。
それはさっき、泣き虫の蛾次郎にさんざんな悪口や揶揄を浴びせられていた盲目の少年――鞍馬の竹童であった。
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