「それ、蛾次郎を生け捕れ!」
その中の一人がこう叫ぶと、きらめく小太刀の陣が霜の歯車のように蛾次郎の周りをぐるりと囲み、有無を言わせず、彼を高手小手に縛り上げてしまいました。
「やあ、燃え上がったぞ」
「遅れては一大事だ」
「奥へ、奥へ向かうんだ」
すでに馬糧小屋の火は屋根を突き抜けて空へ燃え上がり、その真っ赤な火光が躑躅ヶ崎(つつじがさき)館一帯の建物を照らし出していました。
「蛾次郎はどうしましょうか」
「捨ててゆけ、今はその時ではない」
「捨てていくのももったいないが……おお、向こうの厩(うまや)の柱へ縛りつけておけ」
「とにかく、一刻も早く奥庭へ」
「源氏閣へ向かうんだ、源氏閣へ!」
散りぢりに呼び合い、叫び合いながら、柳のような姿の覆面集団三、四十人は、芒(すすき)のようにそよぐ刃を下げ、長屋門の番士を斬り倒すと、一気に奥へと駆け入りました。
「やっ、待ってくれ!」
と、竹童も不審に思い、その人々のあとを追って、
「あなたがたは一体何者だ?」
と、息を切らしながら問いかけました。
走りながら、覆面の一人が、
「竹童さま、お忘れですか」
次にまた別の顔が振り返って、
「――お忘れか、お忘れか、虹の松原でのお別れを」
さらに、足も休めずまた別の者が、
「わたくしたちは緋縅(ひおどし)谷にいた乙女の群れです!」
と、はっきりと名を名乗りました。
そう言われてみれば、覆面をしていても、一人ひとりに見覚えのある顔立ちです。
「いつか虹の松原で竹童さまとお別れしたのち、里に帰って散りぢりになっておりましたが、かねての約束、わたくしたちの心の誓いを果たすため、今宵ここ外濠に集まったのです」
「深い話はあとです、一刻も早くあのお方を」
「咲耶子さまをお救い申し上げねば」
「竹童さまもいらしてください」
「力を貸してくださいませ」
「仔細はあとで――」
「かなたへ先に行きましょう」
群れを崩して走りながら、彼女たちは口々にそう短く言葉を投げかけました。
なるほど、小太郎山から手当てを受け、甲府の城下に入る前、虹の松原で礼も言わずに置き去りにして自分だけ駆け出してしまった、あの優雅にして機敏な少女の工匠たちだったのか、と竹童は知りました。
竹童はその意外な再会を喜びもしましたが、驚きもしました。しかし、立ち止まって話す暇などありません。走りながら竹童は叫びました。
「おっしゃるまでもないこと。もともと咲耶子さまが捕らわれたのは、私にも責任がある。それゆえ自分もこの館に忍び込んでいたのだ。ここで会ったのは神さまのお助け、およばずながら竹童も力を添えよう!」
これだけ言うと、腰の般若丸を引き抜きました。その刀身は、炎を反射してか、いきなり真っ赤に光って見えました。
背後の炎は、すでに高い火柱となって燃え盛っていました。
二
奥庭までは、白壁門と多門という二カ所の難関がまだ残っていました。そこへ差し掛かった時分には、いかに熟睡していた侍や小者たちも目を覚まし、警鼓や警板を叩き鳴らして、十手、刺股、槍、陣太刀、半弓、袖搦み、鉢割、鉄棒、六尺棒など、ありとあらゆる武器を手に、一斉に「ワーッ!」と侵入者の行く手を阻もうと押し寄せました。
血戦が始まりました。
もともと人数の少ない少女たちは、最初から密かに咲耶子を救い出す策略で来たのですが、途中で馬糧小屋の不思議な煙に気づき、その確認に時間を取られたせいで、結果として正面突破する破目になってしまったのは、まことに仕方がないことでした。
及ばぬまでも、この上は敵を迎え撃つしかありません。緋縅谷で鍛え上げた「胡蝶の陣」を組みほぐしながら、糸を染める細い指に小太刀を握り、死ぬまで戦うほかに道はないのです。
幸い風はありません。小屋から噴き出した炎の柱は「ボウーッ」と真っ直ぐに立ち上り、斬り結ぶ黒い人影を浮き上がらせる巨大な篝火のように燃え続けていました。
そして、幸いにも他の建物へ火が燃え移る様子もありません。
「曲者だぞ、曲者だぞ!」
「火事だ、出火だ!」
「出合え! 出合え!」
詰侍の部屋や長屋にいる常備の武士たちを、番士は声をからして叩き起こします。
たちまち、武具をまとって駆けつける敵は、数を増すばかり。
殷々(いんいん)と響く警鼓の音、ゴーッと唸る太い炎の息、人の叫び、剣のぶつかり合う音。館の東西南北九カ所の門は、「もう一人も生かしては帰すまい」と、戦時さながらの非常体制で厳重に固められました。
その一方、土手の向こう、外濠を隔てた城外の柳の陰に、耳に手をかざして、館の中の騒音をじっと聞いている者たちがいました。
夜な夜なこの外城の隙をうかがっていた、木隠龍太郎と巽小文治の二人です。「はて、不思議だなあ……」
「館の中の者がうっかり火事を起こして、うろたえているのだろうか」
「いや、それだけの騒ぎではなさそうだ」
「じゃあ、もしかして俺たちの仲間が、咲耶子を救い出し、小太郎山での借りを返すために斬り込んでいるのだろうか」
「殺気立ってはいるが、伊那丸さまたちがここへ来れば、俺たちに何らかの合図があるはずだ。どうもそうとは考えにくい」
「では、一体何者なんだ?」
「石見守・大久保長安の家臣団の中で裏切り者が起きたか、それとも仲間同士の争いか」
「もしそうなら面白いが……おや……」
小文治は足元を確かめるように、ほの明るく照らされている外濠の水面を見つめました。
「――妙なものが浮いているぞ」
「なんだ?」
「手組の筏(いかだ)らしい。……おや、あの柳の木の根元から向こうの土手へ、一本の綱が渡してあるぞ」
「うーむ、するとやはり、これは内部の仲間割れではないな」
「この筏は天からの助けかもしれん」
「うむ」
「渡りに舟というものだ。何はともあれ、これに乗って城内に入り込んでみよう」
「おお、そうしよう!」
決然と言うと龍太郎は、柳の根元へ駆け寄り、渡し綱に添えてあるとも綱を試しにグイと引っぱってみました。
案の定、濠の中ほどに浮いていた手組の筏は、軽々とこちらの岸へ寄ってきました。
手組の筏というのは、行く手に水路がある場合に備えて、それぞれが九尺の桐の丸太を一本ずつ携えておき、いざという時に菱形の筏を組んで渡るというもので、これは越後流、甲州流、長沼流を問わず、あらゆる陣法にある珍しくもない技術なのです。
ヒラリと龍太郎がそれに乗ります。
「白鷺のようだな……」
小文治は龍太郎の軽やかな身のこなしをそう例えながら、あとから飛び乗ると、渡し綱を頼りにグングンと濠の水を掻き分け、向こう岸の芝土手へと渡っていきました。
苦もなく渡りきり、飛び上がります。
なるほど、これを使えば三、四十人の覆面少女たちが、やすやすと躑躅ヶ崎(つつじがさき)館へ入り込めたわけです。しかし、龍太郎にはまだ、この手組の菱筏が誰によって使われたものなのか、想像もつきませんでした。
三
ガバッとはね起きた石見守・大久保長安は、悪夢にうなされたかのように枕元の刀をひっつかむと、桜雲台(おううんだい)本殿の自身の寝所から廊下へと飛び出しました。
「桐井吾助! 桐井吾助!」
足を踏み鳴らし、宿直部屋に向かって呼び立てます。
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