まるっきり、夢をみているのか、気がちがっているのか……わけがわからない」
なんダムも頭をふりながら、廊下をゆっくりと歩いて書斎にはいった。
博士は、ぐったりといすに身をなげだして、もの思いにしずんでいたが、
「そうだ、新聞を見れば、なにか手がかりがつかめるかもしれんぞ」
ぽつりとひとり言をもらし、いくとおりもの新聞をかきあつめ、机の上にひろげて、むさぼるように読みはじめた。
どの新聞も、アイピング村でのさわぎが、大げさに書きたてられている。
「ふうん、村人をなぐりたおしてあばれまわったというのか……なんて乱暴なことをするのだ。えっ、なに、巡査はなぐられて気ぜつしたっていうのか。そして宿屋の女主人はおそろしさのために、寝こんでしまったのか。なんというおそろしいことをやる男だ」
博士は、ぼんやりと前方を見つめて、考えこんでいたが、ぽとりと新聞を手から落としてしまった。
いくら考えても、この奇怪な事件ははっきりしない。
博士は、長いすによりかかって眠ろうとしたが、目がさえて、寝つかれそうもなかった。
やがて、窓から、しらじらと朝のひかりが流れこんできたが、博士はまだふいに飛びこんできたやっかいな透明人間を、どうしようかと思いなやんでいた。
「やれやれ、これでやつが起きだしてくれば、また、服だけの化けものと、しかつめらしい顔をして話し、なんにもないところへ、たべものがつぎつぎと消えていくのを見ていなくてはならないのか。どうかして、この災難からのがれるすべはないかな」
へいぜいは頭のするどさをほこり、どんなことでもあざやかにかたづけてしまう博士も、思ってもみなかった透明人間には、すっかり手をやいたらしかった。夜がすっかり明るくなると、お手伝いさんが朝の新聞をかかえてやってきた。
博士はお手伝いさんにむかって、
「いいか、朝食を二人ぶん用意して、ここまで持ってきなさい。そして私が呼ぶまで、二階へ勝手に上がってくるんじゃないぞ。わかったね」
「はい」
お手伝いさんは、博士が研究で頭を使いすぎて、気が変になってしまったのではないかと心配しはじめた。
博士は、お手伝いさんが運んできた熱いコーヒーをすすると、いくらか頭がはっきりした。
朝の新聞を広げ、透明人間のことが書かれている場所を、念入りに読んだ。
「新聞には、透明人間は狂人になったにちがいないと書いてあるぞ。実際あいつは、気が狂っているにちがいない。なにをやりだすか、わかったもんじゃない。しかも空気のように自由な身だ。悪事をやりだせば、こんなおそろしい敵はない。そいつがおれの家にまいこんできたんだ。それにあいつは、昔の友だちのグリッフィンだというのだから……」
博士は机のまえにどっかりと腰をおろすと、長い間、頭をかかえて考えこんでいた。
「おお、どうしてそんなことができよう――友だちの信頼を裏切るなんて……。だが……たとえ友だちであっても――」
博士は思い迷ったすえ、引き出しから便箋を取り出すと、ペンを走らせだした。
書いては捨て、書いては捨て、博士は何度も書きなおして、やっと一通の手紙を書きあげると、封をして、宛名をしたためた。
そこには太い字で、博士のいつもの文字で、
『ポート・バードック署 アダイ警部どの』――と書かれてあった。
光と色
透明人間は起きあがるやいなや、あばれはじめた。今朝はひどく機嫌が悪いらしい。
いすを投げとばし、洗面所のコップをたたきわった。
その物音で博士が、あわててかけつけてきた。
「どうしたんだい? なにか気に入らないことでもあるのかい?」
「なに、頭の傷がすこしばかり痛みだしたので、気分がすぐれないんだ。いやな気持ちがするんだ」
博士はだまって、ちらばっているガラスのかけらを拾いあつめ、
「きみのことが、すっかり新聞にのっているよ。世間は透明人間のうわさで持ちきりらしい。ただ、ぼくの家にきみがしのびこんでいることは知らないがね」
「うるさいやつらだ! なぜぼくを、しずかにしておいてはくれないんだろう」
「それは無理だよ。世の中は物わかりのいいやつばかりでできてやしないんだ。そいつらは、どこまでもきみをつかまえようとさわぐだろうね。そこで、これからどうするつもりかね? むろん、ぼくはできるかぎりの手伝いはするよ。だが、きみはいったい、どうしたいと思っているのかね」
透明人間は考えこんでいるらしく、ベッドの端にすわりこんだまま、だまっている。
ケンプ博士は、しばらくしてからさりげなく、
「書斎に朝食の用意をさせてあるよ」
と、さそった。
透明人間は素直に立ちあがり、博士のあとについて書斎に入ってきた。
ゆうべとおなじように、ナイト・ガウンだけが、すーっと食卓のまえにすわりこんで、手も口もなんにも見えないのに、どんどん食べはじめた。
はじめて見たときほどおどろかなかったが、やはり変な光景だった。
食事がおわりかけたころ、ケンプ博士は、
「これから先のことを相談するまえに、なぜきみがそんな体になったか、くわしく話してもらいたいね」
透明人間はナプキンを取りあげ、ゆっくりと口のあたりと思われるところをふき、
「かんたんなことなんだ。きみだって説明をきけば、なーんだ、と思うよ。奇跡がおこったのでも、なんでもないさ」
「きみにはかんたんかもしれないが、ほかの者にとっては、奇跡とおなじくらいふしぎなことだよ」
「はっはっは」
透明人間は、ケンプ博士に会ってからはじめて、楽しそうに笑った。
「さて、それではなにから話そうかな。ぼくがはじめ医学を勉強していたことは、きみも知っているとおりだ。その後、ふとしたことから医学を研究することをやめて、物理学にうつったんだ。ことに光の反射とか屈折とかが、ぼくの興味をとらえてしまったんだ」
「昔からきみは、そういうことを研究するのが好きだったじゃないか」
「そうだよ。しかも、この研究は人があまりやっていないので、いくらでも研究することが残されているのが、若いぼくにはたまらない魅力だったのだ。まだ二十二才の若い科学者だったぼくには、これに一生をささげて、いつかは世間のやつらを、あっといわせるような研究をやりとげようと決心したんだ」
透明人間は、いつもの、陰気くさい世をのろったような声とはまるでちがう、若いはりのある声で話しつづけた。
「それからのぼくの頭には、研究のことよりほかに、なにもなかったね」寝てもさめても考えるのは、研究のことばかり――六ヵ月ほどたったとき、はっと思いついたことがあったのだ。
「どんなことだ」
「きみも知っているとおり、物が見えるということは、光が物にあたったとき反射するか、そのまま吸収されてしまうか、または光がおれまがる具合によって、いろいろな色とか、形とかが、それぞれの姿をもって目にみえるので――光のこの三つの働きがなかったら、われわれは物をみることができないわけだ」
「そうだ」
「たとえば、われわれが赤い布をみるとするね。
赤くみえるのは、太陽の光線のなかで赤い色のところだけを布が反射して、あとの色はみんな吸いこんでしまうからなんだ。
また光をぜんぶ反射してしまえば、白くきらきらとかがやいてみえるだろう。
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