そしてふつうのうすいガラスが、光のすくないうす暗いところなどでは見にくいわけは、光をほとんど吸収しないし、はねかえすことも、おれまがる度合もすくないからなんだ」
透明人間はむちゅうで、しゃべりまくっている。
ケンプ博士はあきれ顔をして、じっと相手の声をきいていた。
「そのガラスをこなごなにして、水のなかに入れてみたまえ。
たちまち見えなくなってしまうだろう。
これは水とガラスは、光がおなじような具合におれまがるからなんだ。
これから考えをすすめてゆけば、なにもガラスを水中に入れなくても、水の中に入れたとおなじように見えなくすることができるはずだろう」
ガラスと人間
「そうだ。
しかし、人間はガラスとちがうからな!」
「そんなことはない。
人間はガラスとおなじように透明だよ」
「そんなむちゃな話はないよ」
「むちゃな話ではないんだ。
りっぱにすじみちのとおっている話だよ。
人間だって血液の赤い色と毛髪の色などをとりのぞけば、体じゅうが無色で透明になってしまうんだ。
ガラスとたいしてちがわないよ」
ケンプ博士は透明人間のきばつな考えに、ただうなずくばかりだった。
透明人間のことばはますます熱をおびてきた。
「ぼくがこれを考えついたのは、ロンドンを去ってチェジルストウにいたときだ。
今から六年ほど前のことになるがね。
その時のぼくの先生のオリバー教授というのは、じつに根性のまがった男で、学者のくせに学問や実験に身を入れないで、世間のひょうばんや名声ばかりに気をとられているのだ。
だから、ぼくはだれにも秘密で、研究をすすめていくことにしたのだ」
「だれの手もかりないで、きみひとりでかい?」
「そうだ。
ぼくは研究が完成したそのとき、ぱっと世間に発表して、一夜で天下に名をとどろかせてやろうと考えたんだ。
研究はおもうとおりに進んだ。
そのうち、思いもかけない大発見をしたのだ。
これはぼくの手がらではないんだ。
ぐうぜんなことで、おもいがけないたまものが、さずかったというわけだ」
「ずいぶん大げさなんだね。
いったい、どんな大発見なんだい?」
「きみ、おどろいてはいけないよ。
ぼくは血を無色にすることができるということを見つけたんだよ。
血を無色にすることができれば、人間を透明にすることができる、というわけだ。
人間の体の血液を透明にしてしまえば、体じゅうが透明になるわけだからな。
そうなれば、ぼく自身、透明になることはわけないというわけさ。
もちろん、そのために体に害があってはなんにもならないが、その点は自信があったのだ」
「な、なんだって……なんということを考えだしたのだ。
おそろしい人だね、きみは」
「おどろくのもむりはないよ。
それを発見したぼく自身、しばらくの間は、ぼうぜんとしていたくらいだからね。
ぼくはその夜のことを、いまでも、はっきりとおぼえているよ――。
研究室にいるのはぼくひとりで、ひっそりとしずまりかえっていた。
ぼくはじぶんのこの発見にすっかり興奮してしまい、じっとしていられなくなった。
窓をおしひらいて、夜空にしずかにまたたいている星をみあげ、いくどか、おれも透明になれるんだぞと、くりかえしてつぶやいた。
それでいくらか落ちつきをとりもどしたんだよ」
「そうだろうね。
その気もちは、ぼくにもわかるようだが……」
「ねえ、きみ、考えてみたまえ。
すがたを消して思いのままをやるのは、人間の昔からのあこがれだったじゃないか。
おとぎ話のなかの魔法使いとおなじになれるんだ。
こんなすてきなことがあるだろうか。
それをぼくがやりとげたんだ」
透明人間は、いきおいこんで話しつづけた。
せきをきった水のように、とまることをしらぬようにさえ思われた。
ケンプ博士はしずんだようすで、かれの話に耳をかたむけていた。
「これで、ながい間、ばかな主任教授に見はられながら、苦心したかいがあったと思ったね。田舎の大学で頭のさえない学生をあいてに心にそまない授業をして、毎日をみじめにすごしてきたぼくが、これほどの大成功をしようとは、だれも考えなかったろう。
しかし、この研究をかんぜんなものにするために、それからさらに三年の年月、むがむちゅうで研究をつづけたんだ。
ところが三年たってみると、この研究を完成させるには、どうしても金がたりないということに気づいたんだ」
「金が……」
「そうだ」
透明人間は吐きすてるように言って、だまりこんでしまった。
研究の鬼
ケンプ博士もだまりこんで、じっとナイト・ガウンだけの人間を見つめていた。
ながい間、なんの物音もしなかった。
ふと、透明人間が口をひらいた。
「金がなければ、ぼくの研究をつづけることはできない。
やむをえず、おやじの金を盗んでしまったんだ……」
「おとうさんの金を盗んだって……きみが?」
「うん、ところがそのお金は、おやじのものではなかったんだ――。
そして……おやじはそのために自殺をしてしまったんだ」
ケンプ博士は、くらい目つきで、透明人間をみつめた。
「ぼくのそのころ、チェジルストウの家をひきはらって、ロンドンのポートランド街にもどっていた。
部屋をかりてすんでいたんだ。
おやじの金をぬすんで、いろいろな実験にいるものを買いととのえたので、ぼくの研究は気もちがいいほど具合よくすすんでいったんだ」
ケンプ博士はうなずいた。
そして心のなかで、
(なんというつめたい男だろう。
やつは研究の鬼になってしまったんだ。
やつの心には、もうあたたかい人間の血が通っていないのかもしれない。
おそろしいことだ)
と考えていた。
が、透明人間は博士の心のなかのことなどは気にもかけず、
「おやじの葬式は風のつめたい、さむい寒い日だったよ。
ぼくはおやじがさびしい丘の中腹にほうむられるのをみても、考えるのはただ研究のことばかりで、さびしいとも悲しいとも思わなかったんだ。
葬式をすませてじぶんの部屋にかえってきたときには、はじめて生きているかいがあると思ったよ。
ぼくはむちゅうになって研究にとりかかった」
透明人間は、ふと口をつむぐと、くらい顔ですわりこんでいる博士に、
「きみ、つかれたのかい? 顔いろがさえないようだ」
「いや、なんでもない。
さあ、つづけたまえ。
それからどうなったんだ」
「そのときすでに研究は、九分どおりできあがっていたんだ。
その大体のことは、浮浪者がもち逃げしたノートに、暗号をつかって書いてある。
あいつめ、おれのノートを取りやがって……どんなことをしてもとりかえしてやるぞ。
うらぎったやつには、思いしらせてやる!」
透明人間はあの浮浪者のことを思いだし、研究の話をするのもわすれて、さんざんにののしりはじめた。
すると、博士が、
「研究のほうのことをきかせてくれたまえ。
そしてどうなったんだい?」
「ついに待ちのぞんでいた日がきたんだ。
その日の実験には白い羊毛を使ってみたんだ。
実験はうまくいって、白い羊毛がじっと息をころしてみつめているぼくの目のまえで、けむりのように色がしだいにうすくなり、やがて、すーっと消えていってしまったんだ。
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