男は、
「おっと、待ってくれたまえ、ブランブルハースト駅にある、ぼくの荷物をとりよせるようにたのんでくれたかね」
「配達屋にたのんでおきましたから、あすの朝早くとどきます」
「あすの朝……こん夜のうちに、とってくるわけにはゆかないかね」
「ええ、だめでございますよ」
おかみさんは、むかっ腹をたてていた。
と、みると男は、にわかにものやわたやかなようすになり、
「じつはね、おかみさん。
ぼくは科学者なんだよ。
いままではこのひどい寒さがこたえて、気分がすぐれなかったうえに、疲れきっていたので、なにをやる元気もでなかったが、ここで休んでいるうちにやっと元気がでたんだよ。
となると、もうじっとしていられないんだ。
すぐにも実験にとりかかりたくてね……これがぼくの性分なんでね」
人のいいおかみさんは、これを聞くと、たちまち、この男を怪しんだり、いやがったりしたことを後悔して、
「さようでございましょうとも、で、駅にございますお荷物の中に、実験道具をおいれになっていらっしゃるのでございますか?」
「そうなんだ。
全部はいっているんだ」
男は、おかみさんがじぶんを信用しはじめたと見て、また話しつづけた。
「ぼくがこの片田舎のアイピング村へやってきたのは、だれにもじゃまされないで、思うように研究をやりたいからなんだよ。
実験をやってる最中にさまたげられると、たまらないからね。
それに、ぼくは、ちょっとけがをしてね」
(やっぱりそうだったんだわ。
この方は怪しい人じゃなかったのよ。
お気のどくに……ずいぶんひどいけがをなさったらしいわ)
おかみさんは、心のなかでそう思った。
男は、よわよわしい調子で、
「そのうえ、けがのために視力がすっかりよわってしまってね。
ときどき痛みだすと、何時間も暗がりの中で、じっとしていなければならないんだ。
痛みの起こったときのつらさときたら、まったくたえられないほどなんだよ。
そんなときに、だれかに部屋にはいってこられると、とてもいやなんでね。
だから、きみもよく心えていてもらって、ぼくの部屋へ他人をいれないでくれたまえ。
しずかに休んでいたいんだからね」
「わかりました。
よく気をつけますわ。
そんなひどいおけがを、どうしてなさいましたの?」
おかみさんは同情のこもった声で、やさしくたずねた。
すると男は、
「話はそれだけだ」
うってかわった冷たさで言い、おかみさんが二度と口をひらかないように横をむいた。
おかみさんがでてゆくと、男はヘンフリイが時計の修理をやっているのを、じっと見つめはじめた。
ヘンフリイは、さっきからだまりこんで、せっせと手を動かしている。
針をぬき、文字盤をはずし、なかの機械をひっぱりだした。
かれはねんいりに機械をしらべた。
男がじっとながめているので、かれはなんとなく気味がわるくて、仕事をしている手が思うように動かしにくかった。
十五分ほどたつと、時計はすっかりなおったが、ヘンフリイは、いつまでもぐずぐずと機械をいじっている。
時がたつにつれて恐ろしさがうすらいでくると、かれは、
(この奇妙な男の正体を見きわめてやれ!)
と、いう気になっていた。
どうにかして、男と話すおりをつかみたいと思ったが、だめだった。
男は、口をきかないばかりか、身動きひとつしないで、じっとつっ立っていた。
眼鏡のレンズが、青白く光ってヘンフリイを見つめている。
ヘンフリイは、たまらなくいらいらしてきた。
(ちえっ、なんていやなやつだろう。
ぞっとするよ。
まるで化物とむきあってるような気もちだよ。
人間なら人間らしく、きょうはひどく寒いねぐらいのことは、言ったらよさそうなもんだよ。
ぶあいそうなやろうだ。
が、こういつまでもだまってても、らちがあかねえや。
ひとつこちらから先に、声をかけてやろう)
かれは決心して、男の顔を見あげ、
「この天気は――」
とたんに、するどい声がとんできた。
「さっさと仕事を片づけて、でていったらどうだ?」
男は、どなりたいのをやっとがまんしているらしく、ふるえる声で言った。
ヘンフリイはまっさおになった。
男は、かさねて、
「短針をじくにはめれば、すむんじゃないか。
さっきから見ていると、やらないでもいいことばかりやってるみたいだぞ」
ヘンフリイは、ぎょっとした。
男はなにもかも見すかしているのだ。
恐ろしさで体が、がたがたふるえてきた。
大あわてで仕事をすませ、道具を片づけると、あたふたと部屋をでていった。
台所にくると、ヘンフリイは、いそがしそうに働いているおかみさんに、
「さようなら」
と、ふきげんなみじかいあいさつを残して、さっさと、雪がふる外へとびだした。
道にはすっかり雪がつもっていた。
「ちくしょうめっ! なにが科学者だい。学者ってものは、もうすこし上品なもんだよ。
大きなつらをしやがって……あいつは悪魔かもしれねえぞ」
時計屋は、道々、思いつくかぎりの男のわる口をつぶやいた。
それでも、やはりむしゃくしゃしていた。
気をつけたがいいぜ!
時計屋がどんどん歩いて、グリーソン屋敷のかどまできたとき、のんきな顔で馬車を走らせてくるホールにばったりと出あった。
「よう! どうしたい、ヘンフリイ! 浮かねえ顔で、やけにいそいでるじゃねえか」
ホールがくったくのない声をはりあげた。
ホールは、怪しい男が泊まった黒馬旅館のあるじなのだ。
かれはみるからに人の好いのんき者で、ホール夫人に気にいるように、てきぱき働くことなど、ぜったいにできない男だった。
ホールの仕事といえば、ときどき、シッダーブリッジ駅まで馬車を走らせ、荷物をはこんでくるのが、せいぜいだった。
いまも、駅からのかえり道で、いつもとおなじようにホールは途中で、さんざん世間話に油を売ってきたところである。
ヘンフリイは、ホールに声をかけられると、いんきな声で、
「ホール、おめえのとこには、へんな客がとまっているな」
「なんだって?」
お人よしのホールは、すぐに馬車をとめて、時計屋のほうへのりだしてきた。
「おめえ、知らねえのかい? あのみょうちきりんな顔の客のことを……」
ホールは首をふった。
ヘンフリイは、
「おれもおどろいたぜ。
おかみさんが客間の時計をなおしてくれっていうんで、いっしょに客間にはいったらさ、顔じゅうほうたいだらけの、色眼鏡をかけて、おっそろしく口の大きな、へんな顔の客がいるじゃねえか。
おどろいたの、なんのって……おったまげたよ」
ホールはおどろいて、口をぽかんとあけてきいていた。
それをみると、ヘンフリイはますます熱心に、客のようすをしゃべりたてた。
「あれはおめえ、よくねえやつかもしれねえぞ。
じぶんでは科学者だなんて言ってるが……どうだか、わかったものじゃねえ。
あいつは、変装してるのかもしれないぜ。
どこかで悪事を働いて、それをかくすために、ああいうかっこうをして、なるべく人を近よせないでおくつもりかもしれないね」
「うちのやつは知ってるのかね?」
ホールが、心ぼそそうな声をだした。
「もちろんだよ。
おかみさんもおかみさんだよ。
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