博士は地球人類のために力を貸そうとはしないのですから。
「今になって出ていくのか。
いよいよこの恩知らずめが!」
博士は口ぎたなく先生をののしりました。
先生はすっくと立ち上がりました。
一分間でもこんなところにいては、体がけがれてしまうと思ったからです。
ところが、その時、思いがけないことが起きました。
それは一体、何だったのでしょうか?
博士が、いきなり新田先生の手をぐっと握ったのです。
「あっ!」
新田先生はびっくりしました。
博士の本当の心がどうなっているのか、さっぱりわからなかったからです……。
その時、博士のくちびるが、先生の耳もとに近づきました。
「新田、だまって、わしについて来い!」
博士は、聞き取れないほどの小さな声で、先生の耳にささやきました。
「えっ!」
新田先生は自分の耳をうたがいました。
(新田、だまってついて来い!)
博士はそう言うと、さっさと先頭に立ちました。
新田先生は、博士の話し方の中に、何かいつもとは違うただならぬ気配を感じ取りました。
博士は、部屋のすみにある犬のくぐり戸のような丸い形の扉をあけて、次の部屋へはいずりこみました。
先生もその後を追いかけました。
はいりこんだ場所は、紫色の電灯がついていて、実に奇妙なところでした。
まるで、大きな鉄の管の中に入ったような感じがします。
どうしてこんなに変な場所ばかりがあるのでしょうか。
先生の前では、博士がごそごそと音を立てながら進んでいきます。
後から声をかけたくてしかたがなかったのですが、博士におこられては大変だと思い、先生はがまんしてあとをついていきました。
二メートルほど進んだところで、小さな部屋に出ました。
部屋というよりも、まるで大きな樽(たる)の中に入ったような感じです。
まるみをおびた壁は、にぶい金属のような光をはなっていました。
この部屋の中には、ベルトのついた腰かけと、天井からつり革のようなものがぶら下がっているだけで、ほかに何にもありませんでした。
博士が何をごそごそとやっているうちに、先生の後ろで「ぎいっ」と音がしました。
ふりかえって見ると、今はいり込んできた鉄の管の出口が、すっかりふさがれていました。
まったく不思議な部屋です。
先生には、博士が何を考えているのかまったくわかりませんでした。
「うむ、これで安心だ。
もう、大きな声を出してもいいよ」
博士の声は、いつもとは違って、とてもやさしく響きました。「博士、私をこんなところへ連れて来られて、何をなさろうというのですか」
さっそく、先生はたずねた。
「おお新田。
これからわしは、お前に、はじめて本心をうちあけるよ」
「えっ、本心?」
先生は驚いて博士の顔を見つめた。
本心を打明ける!――と、博士は言ったのである。
「どういうのが、博士の本心ですか」
と、新田先生は、せきこむようにして問いかえさずにはおられなかった。
そう言えば、さっきから博士の態度が、いつもとは、たいへん変っている。
何か重大なわけがあるのだ。
「のう、新田」
と、博士は両手をきちんと膝の上において語り出した。
「わしは、いよいよこれから火星兵団とたたかいをはじめるよ。
いや、お前の驚くのももっともだ。
わしは、いつも地球の人間のことを悪く言って、むしろ火星人の味方のようにさえ見えた。
これにはわけがあるのだ」
と、博士はそこで、これまでのことを思い出しながら、
「わしとて、お前と同じ地球の上で生まれた人間であることに変りはない。
だから地球人類が栄えるように、ねがうことについても人後に落ちない。
しかし、今までそのことを誰にも話をすることが出来なかったのだ。
なぜかと言うのに、火星人は絶えずわしの身のまわりに、目には見えないが、きびしい監視の網をはっているのだ。
火星人は、わしが何か言えば、かならずそれを聞いてしまっている。
だから、うっかりしたことは言えない」
「博士、それは、ほんとうですか。
私は、博士のおっしゃる火星のスパイを、見たことがありませんが……」
「今も言うとおり、お前などの目には見えないのだ。
わしにも見えない。
しかし、わしはそれを知っている。
火星人は、わしの声の特徴をよくしらべている。
わしが声を出すと、非常に精巧な検音受信機で、わしのかたるしゃべることを向こうで録音してしまうらしい。
何しろ火星人の智力と来たら、人間よりもすぐれているのだから、始末がわるい。
わしは火星人に、自分のしゃべることをけっして聞かれないために、苦心の結果、この防音室をつくった」
と、博士はまわりのかべを指さしながら、
「これだけ厚い金属のかべでとりかこみ、そうして、音も電気も磁気も、それから放射能も全然さえぎるような仕掛をつけてある。
だから、多分この中では、何をしゃべり、何を考えても、火星人に知れることはないだろう」
聞けば聞くほど、火星人の智力というものはおそろしい。
「何しろ、わしがこの前、火星からこっちへかえった当時から、火星人はわしの身のまわりを大警戒しているのだ。
それはつまり、わしが火星の秘密を地球人類につたえて、火星を攻める準備をするのじゃないかと、うたがっているのだ。
しかし正直な話が、地球人はとても火星人をうち破る智力を持っていない」
博士は残念そうに言った。
「だが、わしは火星兵団のことについては、いち早く地球人に知らせておいた。
地球人は、それに発憤して、何か新発明の兵器でもつくるかしらんと思ったが、やっぱり智力が足りなかった。
わしは、どうせそんなことじゃろうと思い、火星人には、絶対に気がつかれないように注意を払いつつ、或る研究をつづけていたのだ。
その研究は、やっと完成した。
これさえ使えば、火星兵団をうち破ることはそうむずかしいことではないと思う。
そこでわしは、お前だけに、ほんとうのことを、うちあける気になったのだ。
これまで、お前にも、わざとつらい目に合わせて気の毒だった。
今こそわしは、全力をあげて火星兵団とたたかうぞ」
「おお、博士!……」
新田先生は、意外また大意外の博士の話を聞いて、喜びのあまり、後の言葉が出なかった。
蟻田博士の様子が、すっかり変ってしまった。
博士は、今まで怪しい人物だとばかり思っていたが、本心を明かせば、実にえらい人物であった。
博士は、ほんとうに地球人類のことをしんぱいし、そうして火星人を追いはらうことを研究していたのだ。
「博士。
今度みごとに出来あがった博士の或る研究とは、どんなものですか。
ぜひ、私にも教えて下さい」
と、新田先生が言えば、博士はひげの中から口をもぐもぐと動かして、
「その研究のことは、ぜったい秘密にしておかなければならないのだが、ここだけの話として、お前にも話をしておこう」
と、博士は先生のそばに、すり寄って、
「いいかね。
わしは火星人の着ている殻をうちやぶる毒ガスを発明したのだ。
この毒ガスを十号ガスと名附けた。
十号ガスを火星人に浴びせかけると、火星人が着ているあのかたい殻が、見る見る中に蒸発して、影も形もなくなってしまうのだ」
それが十号ガスの偉力であった。
たいへんな力を持った毒ガスである。
新田先生はこれを聞いて舌を巻いた。
初級翻訳・火星兵団 第82話
海野 十三
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