枕が勝手にひっくり返されるなんてしょっちゅうのことです。
あるいは、何者かに抱き起こされたり、部屋の外へドンと突き出されたりすることもあります。
とにかく、静かにぐっすり眠ることはできない場所なのです。
○オシラサマは二人一組の神様です。アイヌの人たちの中にもこの神様がいることが、『蝦夷風俗彙聞(えぞふうぞくいぶん)』という本に書かれています。
○羽後(うご)の苅和野(かりわの)という町では、市の神様の神体である男と女の神様に、正月の十五日に白粉を塗っておまつりすることがあります。これとよく似た例ですね。
一五 オクナイサマをおまつりしていると、とても良いことがたくさん起こります。
土淵村(つちぶちむら)の大きな字(地区)である柏崎(かしわざき)の長者である阿部さんのお家は、村では「田圃の家(たんぼのいえ)」と呼ばれていました。
この家で、ある年の田植えのときに人手が足りなくなり、「明日はお天気も怪しそうだし、このわずかばかりの田んぼの苗が植えきれずに残ってしまうかもしれないなぁ」とつぶやいていました。
すると、ふとどこからともなく、背の低い小僧さんが一人やってきて、「自分も手伝わせてほしい」と言うので、そのまま働かせておくことにしました。
お昼ご飯の時間になったので、ご飯を食べさせようと小僧さんを探したのですが、どこにも見当たりません。
やがて小僧さんはまたひょっこり帰ってきて、一日中、田んぼの代(代かき)をしてよく働いてくれたおかげで、その日のうちにすべての田植えが終わりました。
いったいどこの誰なのかは分からないのですが、夜になったら「うちへ来てご飯を食べていってください」と誘ったところ、日が暮れてからはまたその姿が見えなくなってしまいました。
家に帰って調べてみると、縁側に小さな泥の足跡がたくさんついていて、それがだんだんと奥の座敷へと続き、オクナイサマの神棚のところでピタッと止まっていたのです。
「さては!」と思って神棚の扉を開けて中を見てみると、神様の像の腰から下が、なんと田んぼの泥でベッタリと汚れていたということです。
一六 「コンセサマ」という神様をおまつりしている家も少なくありません。
この神様の神体は、「オコマサマ」という神様によく似ています。
オコマサマの神社は村の中にたくさんあります。
石や木で作った男のシンボルのような形のものを作って、神様にお供えするのです。
今では、そうしたこともだんだん少なくなってきました。
一七 古いお家には、「ザシキワラシ」という神様が住んでいる家が少なくありません。
この神様は、だいたい十二歳か十三歳くらいの子供の姿をしています。
ときどき人々の前にその姿を見せることがあります。
土淵村の大字である飯豊(いいで)の今淵勘十郎(いまぶちかんじゅうろう)という人の家では、少し前にお姉さんが高等女学校からお休みで帰省していたのですが、ある日、廊下でパッタリとザシキワラシに出くくして、ものすごくびっくりしたことがありました。
これは間違いなく男の子だったということです。
同じ村の山口にある佐々木さんのお家では、お母さんが一人で縫い物をしていたところ、隣の部屋から紙がガサガサと音を立てるのが聞こえてきました。
この部屋は家の主人の部屋で、そのときは東京へ行っていて留守だったはずなので、「変だなあ」と思って木の戸を開けて中を覗いてみても、人影はまったくありません。
しばらくの間、部屋の中に座っていると、やがてまた、しきりに鼻を鳴らすような音が聞こえてきました。
「なるほど、これは座敷ワラシだな」と気づいたということです。
この佐々木さんの家にも座敷ワラシが住んでいるということは、ずっと昔からのウワサでした。
この神様が宿っている家は、富や名誉が思いのままになる(大金持ちになれる)ということなのです。
○ザシキワラシとは、座敷童(ざしきわらし)たちのことです。この神様については、『石神問答(いしがみもんどう)』という本の中にも記事があります。
一八 ザシキワラシは、女の子であることもあります。
同じ山口村の古い家である山口孫左衛門(やまぐちまござえもん)というお家には、女の子の神様が二人いるということが、ずっと昔から語り継がれていました。
ある年、同じ村のある男の人が、町から帰ってくる途中に「留場の橋(とどばのばし)」の近くで、見慣れない二人の可愛いお嬢さんに出会いました。
なんだか物思いにふけっているような様子で、こちらへ歩いてきます。
男の人が「お前たちはどこから来たんだい?」と尋ねると、「うちらは山口の孫左衛門のところから来たんだよ」と答えました。
「これからどこへ行くのかい?」と聞くと、「それの村の何某(なにがし)の家に行くんだよ」と答えました。
その何某の家というのは、少し離れた村にある、今でも立派な暮らしをしている大きな農家でした。
男の人は、「それじゃあ、山口の孫左衛門の家もいよいよおしまいだな(没落するんだな)」と思ったのですが、それからあまり日も経たないうちに、この孫左衛門の家の人や家来あわせて二十人以上が、キノコの中毒にかかって一日のうちにみんな死んでしまいました。
残されたのは七歳の女の子が一人だけでしたが、その女の子も大人になって子供ができないまま、最近になって病気で亡くなってしまいました。
一九 孫左衛門の家では、ある日、庭の梨の木のまわりに見たこともないキノコがたくさん生えているのを、「これは食べていいものか、食べないほうがいいものか」と男衆(おとこし)たちが話し合っていました。
最後の当主である孫左衛門は、「食べるのはよそう、やめておけ」と止めました。
しかし、下男(げなん)の一人が、「どんなキノコだって、水桶の中に入れて麻の殻(おがら)でよくかき混ぜてから食べれば、絶対に中毒なんてしないさ」と言ったので、みんなはその言葉に従って、家族みんなでそのキノコを食べてしまったのです。
七歳の女の子だけは、その日たまたま外へ遊びに出ていて夢中になってしまい、お昼ご飯を食べに家に帰るのを忘れたために、食べずにすんで命が助かりました。突然の主人が亡くなってしまったことで、みんながびっくりしてバタバタしているすきに、遠くや近くの親せきの人たちがやってきて、「生前にお金を貸していた」だとか、「約束があった」だとか言って、家の中の財産を、お味噌の入れ物まで根こそぎ持って行ってしまいました。こうして、この村で一番はじめに開拓した歴史ある大長者だったお家なのに、あっという間に跡形もなく消えてなくなってしまったのです。
二〇 この大事件が起こる前には、いろんな不思議な前兆がありました。
男の人たちが、積んでおいたウマのエサ(干し草)を取り出そうとして、三本歯のくわでザクザクとかきまわしていたところ、大きなヘビを見つけました。
「このヘビは殺してはいけない」と主人が止めたのですが、男たちは聞く耳を持たず、とうとう打ち殺してしまいました。するとその下から、エサの草の下に数え切れないほどのたくさんのヘビがうじゃうじゃとうごめき出し、男たちは面白半分に、そのヘビたちをすっかり残らず殺してしまったのです。
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