ずいぶん久しく会わなかったのう」
「では、やっぱりお師匠さまでございましたか。ああ、お姿を見たいにも、竹童めは、何の罰でか、このような盲目となってしまいました」
「竹童、目がつぶれたことを、おまえはそんなに不自由だと思うか」
「はい、伊那丸さまのために働くことはおろか、だいじな鷲をとり返すことさえできませぬ」
「そして、それを悲しいと思うか」
「お師匠さま。これがどうして悲しまずにおられましょう」
「まだまだおまえは修行が足りない。なぜ盲目となったなら、心眼をひらく工夫をせぬ。ものは目ばかりで見るものではない。心の目をひらけば宇宙の果てまで見えてくるよ。……しかし、おまえはまだ若いのう、この理屈は少しむずかしかろう」
「はい、私にはよくわかりませぬ」
「よしよし、おまえの目は、もともと生まれつきの病ではない。吹針の蚕婆(こば)、あれの毒針に目をふかれたためじゃ。わしが一つ治してやろう」
「えっ……お、お師匠さまっ。では、この目を見えるようにしてくださいますか」
「うむ! 竹童。まずその太刀を鞘におさめて、わしの腕にしっかりとつかまっているがよい」
いわれるまま竹童は、地べたをさぐって般若丸をひろい、果心居士の右腕にからみつくと、居士は藁でも持つようにフワリと竹童のからだを小脇にかかえ、やがて、八神殿の裏宮から境内をぬけ、森々たる木立のおくへ、疾風のように駈けこんでいった。
竹童はおよぐように引っかかえられていた。さっさつと風があたる。バラバラと雨のごとき夜露がぶつかる。居士は愛弟子竹童をかかえて、いったいどこへつれていく気か? やがて森林をぬけて、紫野のはて、舟岡山の道を一気にのぼりだした。
ゴウ――ッという水のおと。それはほどなく近づいた雷神の滝のひびきである。暗々たる梢から梢を、バラバラッと飛びかうものは、夜の夢をやぶられたムササビか怪鳥であろう。鞍馬の道士・果心居士、竹童をひっかかえて岩頭にたち、轟々たる雷神の滝を眼下にみた。
「竹童!」
居士の、こう呼ぶ声をきいたが、かれは小脇に引っかかえられていて、こたえる声さえでなかったのである。
と――居士は両手をさし伸ばして、あわやという間に竹童のからだを、目よりも高くさし上げた。そして、もいちど呼んだのである。
「竹童!」
「はい……」
かれは、虚空におよぎながら、かすかに、しかし、はっきりと答えた。
「おまえはその目が開きたいか」
「ハイ、開きとうございます」
「なんのために」
「…………」
「なんのために?」
「りっぱな人間となりますために」
「うむ」
「そして正義の武士となりますために」
「うむ。ではそのためには、どんな艱難辛苦もいとうまいな」
「いといませぬ。たとえこの身がどうなりますとも」
敢然たる声でいった。
「おお、それでこそ師たるわしもはりあいがある。雷神の滝の宙天で誓いをたてた言葉を終身の守りとするなら、おまえはおそらく天下の何人にも、おくれをとらぬ武士となるであろう。おお、苦しめ苦しめ! 苦しまぬ者はみがかれぬ。八神殿の八柱の神々、あわれ竹童を、このうえとも苦しめたまえっ」
祈るがごとく、吠えるがごとく、雷神の滝の岩頭に、果心居士の声がこうひびいた時である。
「あッ――」
と、いうと鞍馬の竹童。ドウッ――と鳴る滝壺の音を、さかしまに聞いて、居士の手から闇のそこへまっさかさまに投げこまれた。
白鳥の予言
一
枯れ木をあつめて焚いた燃えのこりの火が、パチパチとわずかな火の粉をちらし、一すじのうすじろい煙は、森の梢をぬけて、まっすぐに立ちのぼっていた。その火のまわりを取りまいて、夜の明けるのを待ちさびしげに語りあっている三人の武士。
あかき光を正面にうけて、薪束のうえに腰をかけている影こそ、まさしく伊那丸であり、その両側にそっているのは、木隠龍太郎、加賀見忍剣、いつも、すきなき身がまえである。
「若君。待つというものは久しいもの、まだなかなか夜が明けそうもござりませぬな」
「そちたちは、火にぬくもったところで、少しここでやすんではどうじゃ」
「いや、なかなか寝られるどころではござりませぬ」
こういったのは忍剣である。
「夜明けと同時に、天ヶ丘をくだる呂宋兵衛(ろそんべえ)の列を待ちうけ、勝頼公のお乗物を、首尾よくとるかいなかのさかい。」「――それを思っても眠られぬし、また、日陰に敵のいましめを受けておいでになる、大殿のご心中を思うても、なかなか安穏と寝ている場合ではございませぬ」
「おっしゃる通りじゃ」
木隠も大きくうなずいて、こう言った。
「たくみに大殿をわなにおとし入れ、桑名にいる秀吉の陣屋まで、送りとどけようとする呂宋兵衛、さだめし明日はぎょうさんな人数をもってくりだすことでしょう。ここぞ、若君にとって、武運のわかれめ、忍剣どのもおぬかりあるなよ」
「いうまでもない。たとえどれほどの敵だろうとも、この降魔の禅杖は、決してにぶりはしませぬ」
「いつもながらふたりの者のたのもしさ、わしはよい味方を持ってしあわせに思う」
と、伊那丸は心から、よろこばしげに言った。
「その意気をもってするからには、たとえ敵陣のかこみのうちに、無念の鬼となろうとも、わしは心残りではない」
「心よわいことをおっしゃってはいけませぬ。呂宋兵衛こそ、多少の蛮流の幻術を心得ておりますが、他の有象無象は、みな高の知れた野武士や浮浪人の寄りあつまり、きっとけちらしてごらんに入れましょうから、お心やすく思しめせ」
「そうとも、死をいとうのではないが、こんど、木隠とこの忍剣がお供をしてきて、首尾よく大殿のご安否をつきとめねば、小太郎山にのこっている、小幡民部や咲耶子や小文治などにも笑われ草……」
と、つとめて、伊那丸の勇気を奮い立たせるため、ふたりが快活に話していると、向こうの林をへだてた闇の方から、ドボーン! とすさまじい水音が響いた。
「や、あれは……?」
「雷神の滝のあたり、まさしくその滝壺になにかあやしい水音がしたようす」
「それ、あらためてみよう」
と言うと、木隠龍太郎は、手ばやく、用意していた松明を焚火に突っこんで火を移し、それをふりかざしてまっさきに走りだした。
木々のあいだを縫っていく、松明のあかい光を追って、伊那丸も忍剣も滝壺のほとりへ向かって歩をはやめる。
たちまち目の前にあらわれた銀河のごとき滝は、ドウッ――と噴霧を白くたてて、宙天の闇から滝壺へそそいでいる。
「龍太郎、龍太郎!」
伊那丸は雑木をわけて、まっ暗な淵をのぞきながら指さした。
「そこへ松明をふってみい」
「はッ」
「あぶない! 岩苔にすべるなよ」
「お案じなさいますな」
と龍太郎は、松明を左手にもって、ヒラリ、ヒラリ、と岩から岩へとびうつっていった。
二
漆の渦まくを見るようなものすごい闇の滝壺である。そこに、百千の水龍が、泡をかみ霧をのぞんで躍っている。
「おお、人がおぼれているぞ」
さけんだのは、加賀見忍剣。
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