「加賀見忍剣(かがみにんけん)どのへ知らせん
この状を手にされし日
ただちに錫杖(しゃくじょう)を富士の西裾野へむけよ
たずねたもう御方あらん
同志の人々にも会い給わん
かしん居士」
四
竹童はとても困ってしまいました。
心の底からどうしようと途方に暮れました。
大切な手紙を落としてしまったなんて知られたら、お師匠さまからどんな激しいお叱りを受けるかわからないと、彼は大慌てで鷲を地上へと降ろしました。
そこは、うつくしい鳰鳥(におどり)がプカプカと浮かんでいる琵琶湖のほとり、膳所(ぜぜ)の松原の陰でした。
「おい、クロよ! おいらが落とした手紙を探してくるあいだ、頼むからここで待っていてくれよ。そこで魚でも取って待っているんだぞ、いいか、絶対いいか!」
竹童はまるで人間に言い聞かせるように鷲に言葉を残すと、スタスタと松の木立の間へと走り出しました。すると反対に、向こうからも息を切らせてこちらへ急いでくる一人の武士がいました――言うまでもなく、それは山県蔦之助でした。
二人は細い小道でバッタリと行き合いました。
竹童が何気なく蔦之助の片手を見ると、そこにはまさしく自分が落とした手紙がしっかりと握られていました。
蔦之助の方もまた、素足に裾をまくった衣服を着て、腰にただの棒切れを差しただけの、異様な小僧の姿に目を丸くして驚きました。
「おい、子ども、子ども……。
おい、聞こえているのか、なぜ返事をしないんだ」
「おじさん、おいらは子どもじゃないぜ!」
「なに、子どもではないと? では、いったい何歳だ」
「九つだよ。
だけど大人と同じ働きをするんだから子どもじゃないさ! まあそんなことはどうだっていいや。それよりおじさんに聞きたいんだけど、その手に掴んでいるものは何だい? おいらに見せておくれよ」
「バカを言うな。
それよりも、まずそっちに聞きたいことがある。今しがた、大津の町の上を飛んでいた鷲が、このあたりに降りた形跡はないか? どうなんだ」
「しらばっくれちゃいけないよ! その手紙をお出しよ!」
「この子どもめ、無礼な口をきくでない!」
「なんだと、返さないならこうだ!」
と叫ぶやいなや、竹童は体こそ小さいものの、驚くほど素早い身のこなしで不意に蔦之助へと飛びかかりました。そして、彼の隙をついて手紙をひったくると、バラバラと逃げ出していきました。
「小僧っ――!」
と追い討ちをかけるように繰り出された蔦之助の鋭い剣に、「あわや竹童が真っ二つに斬られたか!」と思いきや、刀の切っ先がわずか三寸(約9センチ)まで迫ったその瞬間、竹童は一足跳びに四、五間(約8〜9メートル)も先へと飛び退いていました。
「こいつ、ただ者ではない……!」
とっさにそう見抜いた蔦之助は、ものすごい勢いで追いかけながら、手のひらからビュッと流星の手裏剣を投げ放ちました! さすがの竹童もそこまでは用心しておらず、その手裏剣が足の踵(かかと)をプッツリと正確に射抜きました。
「あっ!」
ドタリと前へ転んだところを、蔦之助がすかさず駆け寄って力任せにねじ伏せました。
その圧倒的な力に、竹童はさすがに泣きそうになりながら言いました。
「おじさん、おじさん、なんでそんなにおいらの手紙をほしがるんだよ……。すごく苦しいから、もう勘弁しておくれよ!」この手紙は大切な手紙だから」
「なんだと、ではこの手紙は、お前が持っていた物なのか」
「ああ、おいらが遠くの人へ届けに行くんだ」
「では、さっき鷲の上に乗っていたのは?」
「おいらだよ。あぁ、喉が苦しい」
「えっ、お前だったのか!」
とびっくりして、竹童をだき起こした蔦之助は、しばらくじっとその姿を見つめていましたが、やがて松の根元に腰を下ろし、心からこの子どもに謝りました。
「知らなかったとはいえ、とんだ失礼なことをした。どうか許してくれ。そこで、あらためて聞きたいのだが、お前はその手紙にある果心居士のお弟子か」
「そうだ……」
竹童も岩の上にあぐらをかいて、腰の袋から薬草の葉を取り出し、手でやわらかくもんだものを踵(かかと)の傷にペタリと貼りつけています。
「では、先ごろ日吉の五重塔に登っていたのも、居士ではなかったのか? 恥ずかしい話だが、里人たちの頼みにまかせて矢を放ったところ、一羽の鷺(さぎ)となって逃げおおせたのだ」
「おじさんはむちゃをするなあ。おいらのお師匠さまへ矢を向けるなんて、お月さまを射るようなものだよ」
「やっぱりそうだったのか。いや、顔向けができないことをしてしまった。
ところで、さらに重ねて尋ねるようだが、その手紙にある『加賀見忍剣(かがみにんけん)』というお方は、いまどこにおられるのか。また、尋ねる相手とは誰のことなのか。山県蔦之助が頭を下げて頼む。どうか教えてもらえないだろうか」
「やだね」
竹童はきびしく首を横に振りました。
「なぜだ?」
「わからないおじさんだなァ。なんだって人が落とした手紙の中身を、勝手に読んだりするんだよ。だから教えない」
「ううむ、それも重ねて私が悪かった。心から謝る」
「それなら話してやってもいいけど、うっかり者には打ち明けられないな。いったい、おじさんは何者なんだ?」
「父はもと甲州二十七将の一人だったが、私の代になってからは天下の浪人となり、大津の町で弓術の指南をしている、山県蔦之助という者だ」
「えっ、じゃあおじさんも武田の浪人なのか――不思議だなァ……おいらのお師匠さまも、ずっと昔は武田家の侍だったんだ」
と言いかけて、竹童は、前に居士から口止めされていたことを思い出したのか、ハッと口をつぐんでしまいました。
そのかわり、これから居士の命令を受けて、武州高尾(ぶしゅうたかお)にいる忍剣のところへ行くこと。また先日、小幡民部(おばたみんぶ)から知らせが届き、伊那丸(いなまる)の身の回りでなにか大変なことが起きているらしいということ。そして、手紙の中にある「尋ねる御方」という人こそが、武田信玄の孫である武田伊那丸にほかならないことまで、残すところなくすっかり説明しました。
それを聞き終えた蔦之助は、飛び上がらんばかりに喜びました。
武田家が滅びていく最後の様子を見て、悲しみと怒りに耐えかねていた彼は、伊那丸の行方をこれまでどれほど探し求めていたかしれません。
「これこそ、まさに天と冥府のお導きだ!
私もこれよりただちに富士の裾野(すその)へ向けて出発しよう。竹童とやら、またいつの日にか会うこともあるだろう」
「では、あなたも裾野へ駆けつけるのかい? ぼうっとしていられないぞ、伊那丸さまの一大事なんだから!」
「うむ、気をつけて行ってくるがよい」
「大丈夫さ、それじゃあおさらばだ!」
竹童はふたたび鷲の背中に隠れると、あっという間に空へ舞い上がり、いっきに琵琶湖の空を越えて、伊吹山の向こうへと飛んでいきました――。
一方、山県蔦之助は、その日のうちにりりしい武芸者の姿となり、富士ヶ根を目指して旅立ったのでした。
五
「まだ今日も空に見えない。あぁ、クロはいったいどうしたんだろう……?」
毎日、高尾山の山頂に立って、一羽の鳥の影も見逃さまいと、鷲が帰ってくるのを待ちわびているのは、加賀見忍剣その人でした。
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