ほんとに瓜二つじゃ、あんなによく似た子供が、どうしてわしの子でないのかしら」
「いやいや、子どもの顔はすぐに変わるもの。似ているというものは、あまりあてになりませんよ」
「でも、なんだか、あのふたりのどちらかは、わしの子にちがいないような気がしてならないのです」
「では――おまえさんが探している手がかり、あのお諏訪さまの魔よけのお灸(きゅう)のあとが、その子の背中にあるのを見たのですか?」
「いいえ、それは、どうやらさっぱり分かりませんけれど……」
「では――迷いでしょう。おそらくそれは、親心ゆえの悩みというものです。迷いの霧ごしに見れば、枯れ木も花のように美しく見えるもの。縁のない他人の子どもであっても、わが子のように見えてくるのが人情というものです。まあまあ、そう気が短くては、自分のからだをやつれさせるばかり。それでは長い年月、わが子を捜そうという巡礼の旅はつづきません。ただひたすら、巡り会える日は神仏のお胸にまかせて、坂東三十三ヶ所のお寺の霊験に祈りをおかけなさい。……わたしも幸い、地蔵菩薩の慈悲を信じて歩く旅人。力は及びませんが同行として、一緒になって探してさしあげましょうから」
と、宮内はお時をなぐさめました。
そしてふたりは、月ノ宮の御籠堂(おこもりどう)に笈(おい)をおろしましたが、古いむしろの上で冷たい眠りにつくこともできず、鳴くこおろぎとともに夜通しお経を唱えて、秋の長い夜を明かしました。
三
まるで塩市と馬市と盆の草市が一度にやってきたかのように、夜になると、御岳のふもとの宿場は提灯が鈴なりに並び、何が何やら分からないほど、黒い人の波と真っ赤な灯火で埋めつくされました。
諸国からここに集まってきた人々は、あすの日を待ちわびて、空模様を気にしたり、履物の用意をしたり、あるいはその日の勝敗の予想や昔話などで、どこの宿屋もすし詰めの騒ぎです。
「よお、京都の葵祭にも人出はあるが、この甲斐の山奥へこれほど人間が集まってくるなんて、豪勢なものだなあ……」
と、その町中にある一軒の料理屋の二階で、窓から首を出してのんきに下を眺めている男が感心していました。
なるほど往来をみれば、宿をとれずに駆けずり回っている田舎武士や、酒に酔った町人、仲間を呼ぶ百姓、そして「えっさ、えっさ」と早駕籠(はやかご)で、遅れまいと遠方から駆けつけてくる試合の参加者たちがいます。
そうかと思えば、寿司売りの声や、とうもろこしの団子や味噌田楽を売る屋台、ゆったりと尺八を吹きながら歩く虚無僧(こむそう)がいれば、鄙びた楽器をかき鳴らしてゆく旅芸人たちの笠の群れ――。
なかでも一番売れているのは、四つ辻の松明(たいまつ)売りです。
「夜が明けてから山を登っていては、とてもいい場所で見物することはできないぞ」
というので、気の早い連中が十七文の松明を買い求め、その晩のうちからドンドンドンドン御岳の山へと登っていきます。
それが麓から見ると、まるで狐火(きつねび)のように美しいのです。
「うーむ、どうだい、あれは。まるで大文字山の火祭のようだな」
この男、京都にいたことがあるとみえて、料理屋の二階から首を出して、その眺めを大文字山の火祭に見立てました。
誰かと思えば、早足の燕作(えんさく)です。
すると――燕作は、
「おっ、連中がやってきた」
と、そこから店の軒下をのぞいて、あわてて首を引っ込めました。そして次の部屋へひょいとやってきて言いました。
「お頭。来ましたぜ、おそろいで」
「うむ」
と頷いたのは和田呂宋兵衛(わだろそべえ)です。
蚕婆(かいこばば)と丹羽昌仙(にわしょうせん)のふたりを相手に、さっきから酒を飲みながら、誰かが来るのを待ちわびていたらしいのです。
「一同、お忍びだろうな」
「へい、ぞろぞろと編笠が七つばかり、いま階下の門口へ入ってきました」
「じゃあ、お迎えに」
と目配せすると、丹羽昌仙が立ち上がって階下へと降りていきました。
間もなくそこへ上がってきたのは、隠密組の菊池半助、同じ組下の綿貫三八(わたぬきさんぱち)、それに今度の兵学大講会に試合目付として働いている大久保長安の家臣が四、五人――ただし、そのなかには客分格の鼻かけ卜斎(ぼくさい)が混じっており、そのまた後ろには泣き虫の蛾次郎(がじろう)が、鼻をすすりながら控えていました。
そこでゾロリと車座になりました。
ここに頭を寄せ合った者たちは、みな徳川家の息がかかっている者ばかり。
何の話か、明日の相談とみえて、部屋の戸をピッタリと閉め切りました。
「およそ、明日の試合順は決まりましたかな」
と、呂宋兵衛がしきりに気にかけています。
彼は今度の大講会で、南蛮流幻術の秘法をもって、日本伝来の道士がやる法術など幼稚で拙いものだと公衆に見せつけてやると、浜松を立ってくるとき家康の前で豪語してきたのです。
首尾よくゆけば、この機会に高禄で家康に召し抱えられそうですが、まずくゆけば、またしても体よく追い払われ、元の「野衾(のぶすま)」に立ち返らなければなりません。
そのため、非常に張り詰めた様子でした。それと同じくして、丹羽昌仙は芋づる式に立身出世することを夢見ており、吹針(ふきばり)を使う蚕婆(かいこばば)もまた、晴れ舞台の御岳(みたけ)でそれぞれ武名をあげるための算段を、今からぬかりなく進めていました。
「いや、試合順は決まっておりません。御岳の兵法大講会の主旨は、世に隠れた人材を広く掘り出すことが目的ですから」
と、大久保家の家臣は説明しました。
丹羽昌仙が次に小声でこう尋ねます。
「なるほど、では当日は飛び入りの参加者もかなり多そうですな」
「今のところ、表向き大講会奉行所まで参加を申し出ているのはこれだけですが、当日になれば、隠れた麒麟(きりん)や蛟龍(こうりゅう)のような猛者たちが、ぞくぞくと現れる見込みです」
そう言って、席の中央へ多くの兵学者や武芸者の名前を記した「着到帳(参加者名簿)」を広げました。
「ふむ……」
呂宋兵衛(ろそべえ)をはじめ、卜斎(ぼくさい)、半助、その場にいた一同の首がぐいと伸びて、順々に名簿を拾い読みしていきます。そこに記された有名無名の名前を見るだけでも、ただならぬ顔ぶれです。
まず軍学部では――
氏隆流 岡本鴻雲斎(浪人)
謙信三徳流 大道寺友仙(上杉家)
早雲流相伝 沢崎主水(北条家)
楠流後学 三木道八(浪人)
孔明流 真田源次郎(豊臣家)
そのほかにも様々な流派の署名がありましたが、なぜか甲州流を名乗る軍学者だけは見当たりません。武田家の滅亡を目の当たりにしているため、その亜流を嫌う世間の風潮の表れとも見受けられます。
次に、剣道部の参加順は、
一羽流 諸岡一羽(浪人)
愛洲陰流 疋田浮月斎(虚無僧)
吉岡流 祇園藤次(京都町人)
一刀流 慈音(鎌倉地福寺学僧)
心貫流 丸目文之進(伊達家)
などとなっており、端から見ても身分は様々で人数も最も多いのですが、射術や馬術となると、世間で定評のある一流の人物やその門下生の名が多く並んでいます。
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