初級翻訳・雪だるまの幻想(ラジオ・ドラマ) 第3話

岸田 国士

老人 お前に悪いところなんかあったかしら? もしあったとすれば、世の中を少し甘くみていたぐらいのものだ。雪人形 ええ、それもそうだけど、あたしはなによりも「情熱」というものを軽蔑していたわ。それが自分にないからというよりも、それを人から指摘されるのが嫌だったの。

老人 人からじゃない。相手の男からだ。

雪人形 図星ですわ。つまり、あなたから……。

老人 おれから……。

雪人形 愛される以上に愛することの淋しさを、いつの間にか教わっていたんです。

老人 ところが、その逆もまた淋しいものだということを、お前は知らなかったんだな。

雪人形 ひとりになって、それがわかりましたわ。

老人 ひとりになったからではあるまい。肉体と関わりのない世界に行ったからだろう?

雪人形 そうお思いになりますか? あたしは肉体を失って、あとに何が残るかなんて考えていませんわ。あたしは肌に自分を感じ、あなたを感じています。あたしの肌は冷たいかもしれないけれど、それだからこそ、苦痛も喜びも受け入れることができるのですわ。

老人 お前に尋ねたいのだが、お前のいる世界で、夫婦は一緒に暮らすことができるのか?

雪人形 できると思いますわ。そうしている者たちがいくらもいますから……。

老人 めぐり会えない者もいるんだろうな?

雪人形 それはいくらもいますわ。その方が多いくらいです。

老人 新しい相手を、そこで作ることは許されないのか?

雪人形 違うんです、まったく違うんです。この世界では恋愛も情事もありません。あるのはただ、前世の記憶が結びつくということだけですわ。

老人 面白いな、記憶が結びつくか……お前とおれの……あの、いろんな記憶が……。おれはもう、生きるということには飽き飽きした。しかし、このままではお前のそばに行けないだろうな。

雪人形 もう、ひと息だわ。

老人 それはわかっている。

雪人形 子供たちは、もう大丈夫でしょうね。

老人 ああ、大丈夫だとも……。

雪人形 それなら、早く、いらっしゃい。

老人 どうすればいいんだ?

雪人形 あたしの肩におつかまりなさい。

老人 もう目が見えないよ。

雪人形 しばらくの我慢よ。すぐ、目の前が明るくなるから。

老人 思いがけないことだ。ありがたいことだ。どこへでも連れて行ってくれ。

雪人形 手を離しちゃダメよ。

(音楽…………)

少女B おじいさんは、さっきから雪人形の前に膝をついて、とても嬉しそうに話していた。

少女C おじいさんの体は、腰まで雪の中に埋まり、

少女D 腰から上は、だんだん降り積もる雪に包まれて、

少女E やがて、一つの雪だるまになってしまう。

少女F しんしんと、雪は降り続く。いつ止むともなく降り続く。

少女G しんしんと、雪は降り続く。おじいさんの話し声は、ぴたりと止んだ。

少女A しんしんと、雪は降り続く。おじいさんの雪だるまは、いつまでも動かない。

(音楽…………)

晴子 おじいちゃん……おじいちゃん……どこへ行っちゃったのかしら……。

好子 トイレにもいないわ。

俊爾 まさか外じゃないだろう。

晴子 靴もちゃんとあるし……。

俊爾 杖が見当たらないな。

晴子 あら、本当だわ。

好子 ちょっと、見て! 雪だるまがいつの間にか一つ増えてるわ、あのすぐそばに……。

晴子 (びっくりして)あ……あなた……。

(音楽…………)

(三人の走り出す足音)

少女A 三人はおそるおそる新しい雪だるまのそばに近づき、それぞれ手で雪を掻き落としていく。

少女B いくら掻き落としても、それらしい手触りはなにもない。

少女C ないはずだわ……おじいさんは、もうそこにはいないのだから……。

少女D 雪だるまはあとかたもなく崩された。一本の桜の杖だけが、ぽつんと突っ立っていた。

晴子 なんでしょう、これは?……どういう意味かしら?……

好子 意味なんてあるわけないでしょ。おじいちゃんは気まぐれに自分で雪だるまを作ったのよ。そして杖を忘れたまま、ぶらぶらその辺を歩いているのよ。

俊爾 おじいちゃんに、この雪だるまは作れないはずだ。

好子 それなら、どうしてできたの?

俊爾 わからん。

晴子 とにかくその辺りをもっと探してみましょうよ。

好子 子供じゃないんだから大丈夫よ。勝手にさせておけばいいわ。(義理っぽく)おじいちゃーん……。

晴子 (声を限りに)おじいちゃーん……。

俊爾 (同じく)おじいちゃん……お父さーん……。

少女E もういなくなってしまった人を、どこまで探しに行くつもりだろう……。三人の老人を呼ぶ声が、だんだん遠くなっていく。(音楽……少女たちの歌声が、近くからだんだん遠ざかっていく)

雪が降る日に わたしたちは目をさます
雪が消える日に わたしたちは眠りにつく
悲しみもなくて 怒りもなくて
よろこびもなくて ただ静かに
わたしたちは 息をして
風に舞い 大地で休む
雪はわたしたちの命そのもの
雪はわたしたちのまとう服
白くて 冷たくて こわれやすい
そーっと そーっと
わたしたちは
ひとりぼっちの人のところへ 会いにいく。

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