あや子 おだてないで頂戴。
亮太郎 おだててるわけじゃないけど、あれでは、そばにいる男は物足りないよ。
こっちは、ひと通り勇ましい気持ちになって、君の出方一つでは「僕がついているから安心しなさい」ってなことを、涙ぐみながらでもさ、男らしく言ってみたかったんだ。
あや子 馬鹿にしてるわ。
亮太郎 僕にはどうも、近頃そういう欲求があるみたいだ。
あや子 あたしが気強すぎるっておっしゃるんでしょう。
亮太郎 そういうわけじゃないさ。
長い沈黙。
あや子 明日の朝、着いたら、すぐ髪を洗うんだ。
亮太郎 君はそんなことを考えているのか。
(間)保のやつ、きっと東京に出て来るぜ。
あや子 ……。
亮太郎 保のことを言うと、君はすぐ変な顔をするけど、あいつだって僕にとってはたった一人の弟だ。
あんなふうに家を出ては行ったものの、今頃どこで何をしているかと思うと、ちょっと暗い気持ちになるよ。
同じ家を出るにしても、僕たちのようにほかに生活の基盤があればまた別だけどね。
(間。突然、窓の外に向かって)誰だ、そこに立っているのは……!
あや子 (ドキッとして、そっちの方を見る)
亮太郎 なんだ、電柱か……。
長い沈黙。
あや子 あなたは本当に、どうかしていらっしゃるわよ。
亮太郎 どうかしてるね、確かに……。
あの栗の木の下がいけないと思っていたんだが、この停車場もよくないな。
ああ、目がクラクラしそうだ。
(どかっと腰を下ろし、頭を両手で抱え込む)
あや子 静かにしていらっしゃるの、黙ってね……。
つまらないことばかりおっしゃるからいけないのよ。
なんでもないことを変にお取りになるからいけないんだわ。
亮太郎 そりゃそうだ。
君はなんでも知っているはずだ。
早く東京へ帰ろう。
あや子 ええ、帰りましょう。
間。
亮太郎 田舎っていうところは、どうしてこう、すべてが陰気にできているんだろう。
山も陰気だ。
森も陰気だ。
谷も陰気だ。
家も木も草も、動物も人間も、みんな陰気だ。
陰気なだけじゃない。
毒気を含んでいる。
僕だけかな、そう思うのは……?
あや子 あなただけよ。
あなたのそういう気持ちが、あたしにもうつったっていうだけよ。
亮太郎 君にもうつったってね。
それじゃあ、君は、何か、あの家のことを初めは陰気だと思わなかったかい?
あや子 陰気だとは思わなかったわ。
亮太郎 それじゃあ、どう思った?
あや子 どうって別に……。
亮太郎 あの栗の木だってそうだ。
あや子 また栗の木……。
亮太郎 そうだ、よそう。
(間)だがね……。
そうだ、よそう。
長い沈黙。
あや子 東京はまだ暑いでしょうね。
亮太郎 暑いだろうね。
(間)どうしてそんな暗い方ばかり向いているの。誰かそこにいるの?
あや子 (すがるような声で)あなた……。
亮太郎 変なことを言うもんじゃないよ。
(立ち上がり、また辺りを歩き回りながら)おやじはさ、俺が死ぬまで帰って来なくたっていいって言うんだ。
それはどういう意味だと思う?
君には、あまり話しかけようともしなかったようだったね。
あや子 ええ。
亮太郎 でも、君のことは感心してたよ、よく気がつくってね。
田舎の人間が人を褒めるっていっても、その程度のことさ。
(間)お袋は、君を人間扱いしてなかったね。
いや、本当だよ。
少なくとも、ただの人間だとは思っていなかったんだ。
お辞儀ばかりしてただろう?
あれも、変なおばあさんさ。
笑うっていうことをすっかり忘れてしまっているんだね。
あや子 本当に……。
亮太郎 昔から、あの村では「村で一番の〇〇」って具合に、いろんな自慢の名物を数え上げては、それを折に触れて噂し合ったものさ。
村で一番のお金持ちはどこそこの誰、村で一番の長老はどこそこの誰ってね、それを子どもたちまでがちゃんと覚えていてさ。
まったく滑稽な話だよ。
僕なんか、まだ小さかったくせに、その頃村で一番の美人だった「お初さん」という娘を見たくて、こっそりその家の庭へ忍び込んだりしたもんだよ。
もちろん、一人でじゃないけれどね。
(間)今じゃもう、そんなことを問題にしなくなったらしいね。
世間も広くなったもんだ。
(間)「村で一番の栗の木」っていえばさ、だからその当時は、相当な自慢の種だったんだ。
どうして笑うんだよ?
だから、今じゃ自慢にもならないって言ってるじゃないか。
(間)君は今度、僕の実家っていうものを見て、がっかりしただろう。
あや子 また、そんなこと言って……。
亮太郎 やっぱり、あの栗の木くらいしか、そうしてみると、君に見せられるようなものなんてなかったのかな……。
(間)
あや子 それを切り落としてしまうなんて、なんだかもったいないわ。
亮太郎 どうせおやじが承知しないさ。
それに、もうこっちは栗の木なんかに用はないんだから、さっさとこんな所を引き上げて、もっと気の利いた新しい生活を始めれば、それでいいじゃないか。
(間)さあ、もう少し楽しい話をしよう。
あや子 ……。
亮太郎 僕はね、今度東京へ帰ったら、どこかで借金をしてでも、家を一軒建てるつもりだよ。
自分で設計をしてさ。
この前うちからずっと、それを考えているんだ。
庭はどんな風にしようかな。
木を植えるとしたら、どんな木がいいだろうね。
あや子 サルスベリっていう木があるでしょう、あの木、あたし好きなの……。
亮太郎 サルスベリか、あれもいいね。
あや子 栗の木は……?
亮太郎 おい、やめろよ。
(長い沈黙)
あや子 なによ、そんなに大きな声を出して、見っともまうじゃない。
亮太郎 やっぱり、全部言ってしまおう。
いいかい、君は僕に隠していることがあるだろう。
栗の木がなんだっていうんだ。
どうして君は、そんな話を切り出すんだ。
栗の木の下で一体どうしたっていうんだよ。
それをはっきり言ってみてくれよ。
あや子 なにを言ってるの、あなたは……。
亮太郎 なんにも言ってやしないよ。
君の方から話し出すのを待っているんだ。
今日まで、どれほど我慢してきたことか。
もういいだろう、この辺できちんと決着をつけよう。
あや子 なんの決着って……?
亮太郎 だめだ。
君にそんな風に出られると、やっぱりこっちの負けになっちまう。
なんでもないさ。
それより庭の話だ。
サルスベリを一本と……。
あや子 なによ、はっきり言いなさいよ。
栗の木って言ったのがいけなかったの?
亮太郎 悪かないさ。
まあ僕の言うことを聞きなよ。
庭にはサルスベリを一本と……。
僕はね、イタリア風の庭園にしようかと思っているんだけど、どうだろうね。
あや子 なんだか変だと思ったわ、やっぱりそうなのね。
それならそうと、どうしてってもっと早く言ってくれなかったの。
亮太郎 なんでもないって言ってるじゃないか。
それとも、植木に少しお金をかけて、純日本風の庭にしようか。
サルスベリだってちゃんと植えられるんだからさ。
あや子ねえ、あなた、今のお話をちゃんと説明してくださらない?
いつまでもそんな風に疑っていられるのは嫌だから……。
亮太郎 もういいんだよ。
僕が悪かったんだ。
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