初級翻訳・村で一番の栗の木(五場) 第9話

岸田 国士

家の方は、そんなに広くなくたっていいよね。
あや子 そんなこと言って、いや、ごまかそうとしたって……。
あたし、もう聞かないからね(と首を振る)
亮太郎 だから、僕が悪かったって言ってるじゃないか。
もうわかったよ。
何とも思っちゃいないよ。
あや子 本当ね?
亮太郎 ああ、本当だよ。
あや子 嘘じゃないわね?
亮太郎 嘘じゃないよ。
そんなにムキになるやつがあるもんか。
ただの冗談なんだよ、あんなの……。
あや子 また、そんなこと言って……。
亮太郎 だから、それでいいって言ってるのにさ。
うるさいなあ。
(いきなり、急ぎ足で外に出る。
しかし、しばらくして戻って来る)
すっきりと晴れ渡ってるよ。
空には星が一杯だ……。
ここへ着いた時は朝だったねえ。そうそう、そこで弁当を食べたっけな。
あの時は、それでも、大いに里帰り気分なんかで、軽便鉄道の発車時間を待ち遠しく思ったものだ。
一月のうちに、変わるものだなあ、気持ちというものは……。
しかし、人間には、本当に故郷というものが必要なのかねえ。
君なんかどうだい。
東京が恋しいというのは、故郷だからというよりも、都会だからという理由の方が主だろう。
僕が東京を恋しがると同じわけに違いない。
都会は住んでみないと、本当のありがたみがわからない。
田舎の生活は、想像している方が楽しいというのは真理だね。
あや子 それも、人によることじゃない?
亮太郎 人によるかもしれないが、田舎はもう懲り懲りだ。
あや子 やっぱり、家というものが中心にならなければ……。
亮太郎 それや、そうさ。
結局、情愛の問題だね。
親とか、兄弟とか――君はまあ、そういうものはないからいいけれど――わずらわしい関係という以外に意味のないものかもしれないよ、どうかするとね。
あや子 それが不思議よ、あたし……。
亮太郎 僕だって、不思議でないことはないさ。
こんなはずじゃなかったと思うこともあるが、そう思っても、やっぱりどうすることもできないんだからしょうがない。
あや子 不幸ね。
亮太郎 フカウ……?
あや子 ふしあわせね。
亮太郎 ああ、そうさね……。
まあ、しかし、それもどうだかわからないさ。
肉親の愛だけが、人間を育てていくわけのものではないからね。
あや子 夫婦の愛は……?
亮太郎 それは口に出すべきことじゃない。
あや子 あら、どうして……?
亮太郎 そういうものなんだよ。
(時計を見ながら)もう、ぼつぼつ、切符を売りそうなものだね。
(切符売り場の方へ近づく)
あや子 秋みたいね、今夜は……。
亮太郎 ……。
あや子 全く秋だわ。
亮太郎 しみじみとかい?
あや子 ええ、しみじみと……。
亮太郎 だめじゃないか、先を言わなければ……。
あや子 だって、何にも言うことはないわ。
亮太郎 じゃ、しかたがない。
(朗吟するように)

けふつくづくと眺むれば
悲みの色口にあり
たれもつらくはあたらぬを
なぜに心の悲める。
……………………。
あや子 それ、なんの歌……?
亮太郎 知らないのか。
秋の歌さ。
――秋風わたる青木立……と続くんだが、それはまあ、それとして、向こうから、誰か提灯をつけてやって来た。
あや子 この汽車に乗るんでしょう。
亮太郎 提灯は二つだ。
発つ人、送る人か。
あや子 ……。
亮太郎 (あや子の傍に座を占め)この停車場も、これでしばらく見納めだ。
あや子 そう思うと、やっぱり、ちょっと変でしょう。
亮太郎 変なもんかい。
(間)しかし、君はうれしそうだね。
ほんとにうれしいのかい。
東京へ帰るのが、そんなにうれしいか。
あや子 ええ、うれしいわ。
亮太郎 もう、二度とここへは来たくないか。
あや子 来たくない。
亮太郎 どんなことがあってもか。
あや子 どんなことがあっても……。
亮太郎 そんなら、いつまでも、僕のそばを離れないか。
あや子 離れない。
亮太郎 どんなことがあってもか。
あや子 (うなづく)
亮太郎 (起ち上り)よし……。
あや子 (顔をそむけ、指の先で、そっと涙をふく)
亮太郎 (その辺を歩きまわりながら)村で一番の栗の木よ、今年もうんと実が生れ。
――幕――

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