(立ち上がって、辺りを見回す)誰か、ちょっと来てください!
(返事がないので、自分で母屋の方へ走っていく)
やや長い間。
亮太郎 (かすかに目を開けて、手を額のあたりに当ててみる。それから、痛む喉をさする)
あや子 (金だらいに水を入れて持って来る)いますぐに……(こう言いながら、テキパキと手ぬぐいを絞り、それを額に当てて)ダメよ、あなた、あんな無茶なことなさったりして……(夫の胸に顔をうずめて泣き伏す)
亮太郎 (わりとハッキリした声で)保(たもつ)の様子を見てきてくれ。
あや子 いいえ、あの人は大丈夫よ……。
亮太郎 怪我はさせなかったか?
あや子 いいえ、大丈夫……。
でも、危なかったわよ、お互いに本当に……。
(少し間)あなたが悪いのよ、あんなことをおっしゃるから……。
もっとひどい怪我でもなさったらどうするの……それこそ取り返しがつかないわよ……。
どうしてまた、あんな荒っぽいことをしたのよ……。
いや、もう……。
亮太郎 少し乱暴だったな。
(少し間)保を呼んできてくれ。
あや子 まだダメよ。
もっとあと家人(うち)が落ち着いてからにしましょう。
(亮太郎の額を手でさわって確かめながら)ここ、痛むでしょう……。
気分はどうなの、もう落ち着いた……?
亮太郎 なんともないよ……。
さっき、少しクラッとしただけだ。
あや子 そうよね、あんな太い木(もく)の棒で……。
だけど、当たりどころがよかったんだわ。
亮太郎 (苦笑しながら)うまくよけて当ててくれたんだろう。
こっちは夢中だったからな……。
あや子 あなたのは、そんなにひどく当たってないわよ。
だって、ちょうどその時、あの方(保)が手でよけたんだもの……。
亮太郎 よく詳しく見ていたもんだな。
あや子 そういうわけじゃないけど……。
危なくって、見ていられなかったんだもの……。
それにしても、あの人たち、周りで見てた連中もひどいわよ。
亮太郎 あの人たちは、自分でも暴れたい連中さ。
たとえ人のケンカであっても、止めるのはもったいないって思ってるのさ。
(急に跳ね起きる)もういい、平気だ。
(そう言ったものの、ぐらぐらと強烈なめまいに襲われ、思わず妻の肩に手をすがる)
あや子 危ないじゃない!
だから、もっとじっとしていらしてって言ってるでしょ、ねえ、もう少しのあいだは……。
(そっと亮太郎をまた寝かせる)ひどいわよね、誰も見舞いになんて来やしないんだから……。
このまま放ったらかしにするなんて……。
亮太郎 おやじは……?
あや子 向こうにいらっしゃるんじゃないかしら。
亮太郎 おふくろが心配しているといけないから、ちょっと、もう何ともないって伝えてきてくれ。
あや子 向こうから様子を見に来るのが当たり前だわ。
亮太郎 外の連手前(てまえ)、面と向かっては来られないんだよ。
頼むから、ちょっと行ってきてくれ。
それから、保にも、気がすむように、僕が悪かったって謝ってきてくれ。
あや子 あたし、嫌だわ、そんな使いになんて……。
亮太郎 おい、そんな我がままを言わないでくれ……。
あそこに集まっている連中に対しては、そうしておいた方が得策なんだ。
僕は、弟と喧嘩をしたからって、この家を飛び出して行く気にはなれない。
ましてや、親戚の連中から陰口をたたかれるのはごめんだ。
あとあと面倒なことになるくらいなら、今のうちに、あっさりとこちらから下手に出とこう。
僕もよっぽどバカだな。
あや子 それじゃあ、あなた、あまりにもご自身のプライドっていうものがなさすぎるわ。
こうなったならなったで、こっちにも言い分や理屈はあるんだから……。
亮太郎 理屈があったって、それはまずいんだよ。
保が僕に向かってこう言ったんだ。
――農家の子は農家らしく泥にまみれていろ、ってな。
それを真っ向から怒鳴り返したりしたら、怒った方が悪者になってしまう。
あや子 でも、あんな言い方をしなくたっていいじゃない……。
亮太郎 そこがミソさ。
あいつの腹のうちはわかってる。
こっちを公然と侮辱することで、自分の主張を正当化して燃え立たせる手段なのさ。
今の時代、若い奴らが考えそうなことだ。
あの時はなんだか、相手が実の弟だっていう気がしなかったんだ。
まるで、仕事上の許しがたい敵とでも対峙しているような気がしてね。
いや、それよりもっと不思議なことに……自分のこれからの生活を脅かしてくる……悪魔のようにさえ感じられたんだ。
長い沈黙。
あや子 またそんなふうに興奮なさるの?
亮太郎 僕はね、こう見えて臆病なんだよ。
(また起き上がろうとする)もう大丈夫だ。
あや子 (押えつけるようにして)頼むから、もう少し横になっていてちょうだい!
亮太郎 (笑いながら)だって、ここは君、のんびり寝転がるようには作られていないんだぜ。
(頭を振ってみて)何ともないよ。
ほら、平気だ。
じゃあ、少しだけもたれさせてくれ。
(半身を起こし、妻の肩に寄りかかる)おかしいもんだね、こうして夫婦でいるのも……。
あや子 あたし、もう、こんなところ、いやよ……。なんて違った生活なんでしょう。
二人きりでいれば、どんなに苦しんだって苦しみがいがあるわ。
道は一本しかないって気がするんですもの……。
亮太郎 だから、東京へ帰るよ。
明日にでも帰るよ。
(ふと耳をすませて)また向こうが騒がしいぜ。
どうしたんだか、見て来てごらん。
(間)あれ、保の声だろう。
何と言ってる? 誰だい、あの声は……。
おやじじゃないか。
これはいかん。
早く見て来い。
あや子 (夫から離れ、用心深い足取りで奥へ去る)
長い間。
――この間に、亮太郎は、静かに立ち上がり、栗の木に手を支えながら、首を伸ばすようにして奥の様子に耳を澄ませる。
再び騒々しい怒鳴り声が聞こえる。
それがひとしきり静まると、今度は、年老いた女の、すがるような泣き声が、はっきりと聞こえてくる。
あや子 (足音を忍ばせて帰ってくる)
亮太郎 なんだ。
あや子 保次郎さんが、またお父さんと……。
亮太郎 なんだって……。
あや子 よくわからないけど、お父さんは、今すぐ出て行け、お前こそなんだとすごい剣幕なの。
保次郎さんの方は、変に皮肉な笑い方をしながら、もちろん、あっちとこっちは両立しないんだからこんな家にはいられないって、さっさと脚絆(きゃはん)をつけようとしてるの。
それを、お母さんが泣きながら止めていらっしゃるところ……。
亮太郎 (耳を傾けながら、制するように)よし、よし……。
第五場
第一場と同じ。
深夜――
あや子が腰かけている。
その前を亮太郎が行ったり来たりしている。
やや長い間。
あや子 あなた、腰かけていらっしゃったら……。
なんだか、気がせかせかして、余計に時間が経つのが遅く感じるわ。
間。
亮太郎 静かになったね。
雨も止んだようだ。
あや子 もっとひどい嵐になるかと思ってたのに……。
亮太郎 あんな時、君はなかなか勇敢だね。
雷が鳴るたびに、目の色は変わってたけど、「キャッ」とか何とか言って人に抱きついたりしないところは、たしかに肝っ玉母さんの面影があるね。
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