聞こえてくるのは、雪婆んごがあちこちを飛び回って叫ぶ声、お互いの革むちの音、そして雪の中を駆け回る九匹の雪狼たちの息の音だけ。その音の中に、雪童子はふと、風に消されそうな、さっきの男の子の泣き声を耳にしました。
雪童子の瞳が、少し変な光を放って燃えました。
しばらく立ち止まって考えていましたが、いきなり激しくむちを振って、そちらへ走っていきました。
けれども方角が違っていたのか、雪童子は南の方にある黒い松山にぶつかってしまいました。
雪童子は革のむちを脇に挟んで、耳をすましました。
「ひゅう、ひゅう、なまけちゃ承知しないよ。
降らすんだよ、降らすんだよ。
さあ、ひゅう。
今日は水仙月の四日だよ。
ひゅう、ひゅう、ひゅう、ひゅうひゅう」
そんな激しい風や雪の音の間から、透き通るような泣き声が、またちらりと聞こえてきました。
雪童子はまっすぐにそちらへ駆け出しました。
雪婆んごの振り乱した髪が、その顔に気味悪く触れました。
峠の雪の中に、赤い毛布をかぶったさっきの男の子が、風に囲まれて、もう足を雪から抜けなくなってよろよろと倒れ、雪に手をついて、起き上がろうとしながら泣いていたのです。
「毛布をかぶって、うつ伏せになっておいで。
毛布をかぶって、うつ伏せになっておいで。
ひゅう」
雪童子は走りながら叫びました。
けれどもそれは子どもにはただの風の音としか聞こえず、雪童子の姿も目には見えなかったのです。
「うつ伏せに倒れておいで。
ひゅう。
動いちゃいけない。
じきにやむから毛布をかぶって倒れておいで」
雪童子は駆け戻りながらまた叫びました。
子どもは相変わらず、起き上がろうともがいていました。
「倒れているんだよ。
ひゅう、だまってうつ伏せに倒れておいで。
今日はそんなに寒くないんだから、凍えやしない」
雪童子はもう一度走り抜けながら叫びました。
子どもは口をびくびくと曲げて泣きながら、また起き上がろうとしました。
「倒れているんだよ。
だめだねえ」
雪童子は向こうからわざと強く突き当たり、子どもを倒しました。
「ひゅう、もっとしっかりやっておくれ、なまけちゃいけない。
さあ、ひゅう」
雪婆んごがやってきました。
その裂けたような紫色の口も、尖った歯もぼんやりと見えました。
「おや、おかしな子がいるね。
そうそう、こっちへ取っておしまい。
水仙月の四日だもの、一人や二人取ったっていいんだよ」
「ええ、そうです。
さあ、死んでしまえ」
雪童子はわざとひどくぶつかりながら、またそっと言いました。
「倒れているんだよ。
動いちゃいけない。
動いちゃいけないったら」狼たちがまるで狂ったように駆け回り、その黒い足が雪雲のすき間からちらちらと見え隠れしています。
「そうそう、それでいいよ。さあ、どんどん降らすんだよ。なまけちゃ承知しないからね。ひゅうひゅうひゅう、ひゅひゅう」
雪婆んごは、また向こうの方へと飛んでいきました。
子どもはまた起き上がろうとしました。雪童子は笑いながら、もう一度激しく突き当たりました。
その頃にはもうあたりはぼんやりと暗くなっていて、まだ午後三時にもなっていないというのに、まるで日が暮れていくかのようでした。
子どもはすっかり力が尽きてしまい、もう起き上がろうとはしませんでした。
雪童子は笑いながら手を伸ばし、その赤い毛布を子どもの上からすっぽりと掛けてあげました。
「そうして眠っておいで。布団をたくさん掛けてあげるからね。そうすれば凍えないよ。明日の朝まで、温かい夢を見ておいで」
雪わらすは同じ場所を何度も駆け回り、雪をたくさん子どもの上にかぶせました。
まもなく赤い毛布も見えなくなり、まわりの雪と同じ高さになってしまいました。
「あの子ども、ぼくが贈ったやどりぎを持っていたんだ」
雪童子はつぶやき、少し泣きそうな顔をしました。
「さあ、しっかりやるんだよ。今日は夜の二時まで休みなしだ。ここは水仙月の四日なんだから、休んじゃいけない。さあ、降らすんだよ。ひゅう、ひゅうひゅう、ひゅひゅう」
雪婆んごはまた遠くの風の中で叫びました。
そして、風と雪と、ぼさぼさの灰色の雲の中で、本当に日は暮れ、雪は夜通し降って、降って、降り続きました。
ようやく夜明けが近づいた頃、雪婆んごはもう一度、南から北へまっすぐに駆け抜けながら言いました。
「さあ、もうそろそろ休んでいいよ。あたしはこれからまた海の方へ行くからね、だれもついて来なくていいよ。ゆっくり休んで、次の準備をしておいておくれ。ああ、まあいい塩梅(あんばい)だった。水仙月の四日がうまく済んでね」
その瞳は闇の中で不気味に青く光り、ぼさぼさの髪を渦巻かせ、口をびくびくと動かしながら、東の方へ駆け去っていきました。
野原も丘もほっとしたような様子で、雪は青白く光りました。
空もいつの間にかすっかり晴れ渡り、桔梗色の夜空には、一面の星座がまたたいていました。
雪童子たちは、それぞれ自分の狼を連れて、初めてお互いに挨拶をしました。
「ずいぶんひどかったね」
「ああ」
「今度はいつ会うだろうね」
「いつだろうねえ。でも今年中に、あと二回くらいのものだろう」
「早く一緒に北へ帰りたいね」
「ああ」
「さっき子どもが一人死んだな」
「大丈夫だよ。眠っているだけさ。明日、あそこにぼくが目印をつけておくから」
「ああ、もう帰ろう。夜明けまでに、向こうへ行かなくちゃ」
「まあ、いいだろう。ぼくね、どうしても分からないんだ。あいつはカシオペーア座の三つ星だろう? みんな青い火なんだろうね。それなのに、どうして火がよく燃えると、雪を降らせるんだろう?」
「それはね、電気菓子と同じだよ。ほら、ぐるぐる回っているだろう? ザラメがみんなふわふわのお菓子になるねえ。だから火がよく燃えればいいのさ」
「ああ」
「じゃ、さよなら」
「さよなら」
三人の雪童子は、九匹の雪狼を連れて、西の方へ帰っていきました。
まもなく東の空がバラの花のように色づき、琥珀色に輝き、黄金色に燃え出しました。
丘も野原も、新しい雪でいっぱいです。
雪狼たちは疲れてぐったりと座り込んでいます。雪童子も雪の上に座って笑いました。その頬はリンゴのように赤く、その息は百合のように香りました。
ギラギラと輝くお日さまが昇ってきました。今朝は青みがかって、一段と立派です。
日光は桃色に、あたり一面へと流れました。
雪狼たちは起き上がって大きく口を開け、その口からは青い炎がゆらゆらと燃え上がりました。
「さあ、おまえたちはぼくについておいで。夜が明けたから、あの子どもを起こさなきゃいけない」
雪童子は走って、あの昨日子どもが埋もれた場所へ行きました。
「さあ、ここの雪を散らしておくれ」
雪狼たちは、たちまち後ろ足で、そこら中の雪を蹴散らしました。
風がそれを煙のように吹き飛ばしました。
かんじきを履き、毛皮を着た人が、村の方から急いでやってきました。
「もういいよ」
雪童子は子どもの赤い毛布の端が、ちらっと雪から出たのを見て叫びました。
「お父さんが来たよ。もう目を覚ましておくれ」
雪わらすは後ろの丘に駆け上がって、一本の雪煙を立てながら叫びました。
子どもは、ちらっと動いたようでした。
初級翻訳・水仙月の四日 第2話
宮沢 賢治
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