お前は、さすがに出征兵士の妻だけあって、感心、感心」
などと、まことに下手な褒め方をして外套を脱ぎ、もともと礼儀もへったくれも不要な身内の家なのですから、のこのこと上がり込んで囲炉裏端に大あぐらをかき、
「ばばちゃは、寝たか?」
とたずねます。圭吾には、盲目のお母さんがいるのです。
「ばばちゃは、寝て夢でも見るのが一番の楽しみだべ」
と嫁は、縫い物を続けながら少し笑って答えました。
「うん、まあそんなところかもしれないな。お前も、なかなか苦労が多いの。しかし、今の時代は日本国中に幸せな人なんてひとりもいないのだから、つらくても、しばらくの我慢だ。何か思いに余る心配事でも起きた時には、俺のところへ相談に来ればいいし、な」
「ありがとうございます。今日はまた、どこからかのお帰りですか。遅いですね」
「俺か? いや、どこの帰りでもねえ。まっすぐにここへ来たのだ」
どうも私は駆け引きというものが嫌いで、いや、駆け引きしたいと思っても面倒くさくてとてもできない性質ですので、少し気まずくてもありのままを言うことにしているのです。
そのために、思わぬ難儀がふりかかってきたこともありますが、しかし、駆け引きをして成功したとしても長続きはしないような気がするのです。
その時も、私は下手な小細工をしたって仕方がないと思って、「まっすぐにここへ来た」と本当のことを言ったのですが、嫁は別にそれを気にとめる様子もなく、新しい薪を二本、囲炉裏にくべて、また縫い物を続けます。
変なことをおたずねするようですが、あなたと私とは小学校の同級生ですから、同じ年の三十七歳、いや、あと二、三週間すると昭和二十一年になって三十八歳。
ところでどうです、この年になっても、やはり色気はありますか? いや、冗談ではなく、私はいつか誰かに聞いてみたいと思っていたことなのです。
まさか私は、このとおり頭が禿げて、子供が四人もいて、手の皮なんかもこんなに厚くなって、ひびだらけでささくれ立って、こんな手で女の柔らかな着物などに触ったら、手の皮が引っかかってしまっていけないでしょう。このような体たらくで、愛だの恋だのを囁く勇気はさすがにありません。しかし、色気というのは案外なもので、ちょっと綺麗な女と二人きりで、よもやまの話などをしているうちに、何か妙な気分になってくることがあるのです。
あなたは、どうでしょう。
いや、私は普通よりも少し色気が強いのかもしれません。実は、私はこんな薄汚い親爺(おやじ)になってしまった今でも、たいていの女性とは平気で話すことができない性質なんです。
まさか、相手の女性に対して「惚れたの、惚れられたの」なんて馬鹿なことを考えているわけではありませんが、どうも何だか心にひっかかりのようなものが生まれてしまうのです。
窮屈で仕方がないのです。
どうしても、男同士で話し合うときのように、さっぱりとはいきません。
自分の胸の中のどこかに、もやもやと濁ったものが残っているような気がして、どうにもいけません。
あれはやはり、私の中にある「色気」のせいだと思うのですが、どう思われますか。
しかしその一方で、私にそんなこだわりを全く感じさせない女性も、たまにはいます。
八十歳のおばあさんや、五歳の女の子なら問題にはなりませんが、女盛りと言われる年頃で、しかもなかなかの美人でありながら、ちっとも私に窮屈な思いをさせず、私もからりとした非常に楽な気持ちで向かい合える、そんな女性もたまにはいるのです。
あれはいったい、どういうことなのでしょうか。
私はこのごろ、何が何やら分からなくなってしまいましたが、以前はまあ、こんなふうに考えていたのです。
私に窮屈な思いをさせないということは、つまり、私に少しも色気を感じさせないということなのだから、きっとその女性の精神が気高いのだろう。逆に、話をしていてこだわりを感じさせる女性には、まさか「好きだの嫌いだの」というはっきりした感情があるわけではないだろうが、本人も気づかないような、あてもなくぼんやりとしたお色気があって、それが話相手にまとわりついて、相手を妙に窮屈にさせてしまうのではないだろうか。まあ、そんなふうに考えていたのでした。
要するに私は、話をしていて落ち着かない気持ちにさせる女性は、みだらとは言えないまでも多少のお色気がある女性として感心できず、逆に平気で話し合える女性こそが、心の正しい人だとして尊敬していたのです。
ところで、その圭吾の嫁は、ほかの人にはどうだか分かりませんが、私に対してはこれまで一度も、少しのこだわりも感じさせない女性でした。
いまとなっては地主も小作人もあったものではありませんが、もともとこの嫁は、私の家の代々の小作人の娘で、小さい頃から少し思案深そうな顔つきをしていました。
百姓には珍しく体つきがほっそりとしていて、肌の色が白く、大人になるにつれて顔が少ししゃくれてきて、悪く言えば般若(はんにゃ)の面に似たところもありました。しかし、なかなかの美人だと町で評判で、口数も少なく、よく働き、何よりも私に例のこだわりを全く感じさせないところが気に入って、私は親戚である圭吾の嫁にもらってやったのでした。
どんなに親しい間柄とはいえ、私とその嫁は他人ですし、私だってまだよぼよぼの老人というわけでもありません。まして相手は若い美人で、しかも亭主が出征中という時に、夜遅くにのこのこ訪ねて行って、二人きりで囲炉裏端で話をするなんて、普通に考えればあまり穏やかなことではないでしょう。しかし、私はあの嫁に対してだけは、ちっともうしろめたい気持ちを感じませんでした。それは、その女性の人格が高潔だからだとばかり思っていたので、なにも気にせず、一向に平気で悠々と話し込みました。
「実はの、今日はどうしてもお前に大事なお願いがあって来たのだ」
「はあ」
そう言って、嫁は縫い物の手を休め、ぼんやりと私の顔を見つめます。
「いや、針仕事をしながらでいい、落ち着いて聞いてくれ。これはお国のためというよりも、この町のため、いや、お前たち一家のために、是非とも聞き入れてほしい。第一には圭吾自身のため、またお前のため、ばばちゃのため、それからお前たちの祖先や子孫のため、何としても今度のおれの願いだけは、聞き入れてくれねばいけねえ」
「なんだべ、ねす」
嫁は針仕事を続けながら、小声で言いました。別に心配そうな顔もしていません。
「驚いてはいけねえ。とは言っても、誰だって驚くに違いないが……実はな、さきほど警察の署長さんがおれの家へお見えになって」
私は駆け引きも小細工も何もせず、署長から言われたことをそのまま伝えました。
「のう、圭吾も心得違いをしたものだが、しかし、どんな人でも一度は魔が差すというか、魔がつくというか、妙な間違いを起したがるものだ。これはハシカのようなもので、人間が持って生まれた心の毒を、一度は外へ吹き出さなければならないものらしい。だから、起してしまった間違いは仕方のないこととして、その間違いをそれ以上に大きな騒ぎにしないように努めるのが、お前やおれの『まごころ』というものではないか。署長さんも、決して悪いようにはしないと言っている。
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