初級翻訳・お伽草紙 第4話

お伽草紙

「うむ」
「また、水がたまれば腫れるでしょうね」
「そうだろうなあ」
結局、このお爺さんの一家にとって、コブのことなど何の問題にもならなかったのです。

ところが、このお爺さんの近所に、もうひとり、左の頬に邪魔なコブを持つお爺さんが住んでいました。このお爺さんこそ、左の頬のコブを本当に憎んでいて、「このコブが私の出世の邪魔をしているんだ、このコブのせいで、私はどれだけ人から馬鹿にされ、笑われてきたことか」と、日に何度も鏡を覗いてはため息をついていました。長い頬髭を伸ばしてコブを隠してしまおうとも試みましたが、悲しいかな、コブのてっぺんが白い髭の波間から初日の出のようにあざやかに顔を出し、かえって世にも珍しい眺めになってしまったのです。

もともとこのお爺さんは、立派な人でした。体つきは堂々としていて、鼻も大きく、目つきも鋭い。話し方や動作も重々しく、思慮深い人に見えます。服装だってなかなか立派で、何やら学問もあるそうで、財産もあのお酒飲みのお爺さんとは比べものにならないくらい持っているという話です。近所の人たちもみんなこのお爺さんに一目置いて、「旦那」や「先生」などと呼んで敬っていましたが、どうも左の頬の邪魔なコブのせいで、旦那は日夜、ふさぎ込んで楽しめずにいました。

このお爺さんの奥さんは、とても若く、三十六歳です。そんなに美人というわけではありませんが、色白でふっくらとしていて、少し軽はずみなほどいつも陽気に笑ってはしゃいでいます。十二、三歳の娘がひとりいて、これはかなりの美少女ですが、性格は少し生意気なところがありました。でも、この母と娘は気が合って、いつも何かと笑い騒いでいるので、この家庭は、旦那がいつも苦虫を噛み潰したような顔をしているにもかかわらず、全体としては明るい印象を人に与えていました。
「お母さん、お父さんのコブって、どうしてあんなに赤いの? タコの頭みたいね」
生意気な娘が、無遠慮に率直な感想を言います。母は叱りもせず、ほほほと笑って、
「そうねえ、でも、木魚を頬っぺたにぶら下げているようにも見えるわね」
「うるさい!」
旦那は怒り、ぎょろりと妻子を睨みつけてすっくと立ち上がると、奥の薄暗い部屋へ逃げ込みました。そっと鏡を覗いてはがっかりして、「これは、駄目だ」とつぶやきます。いっそ小刀で切り落としてしまおうか、死んでもいいから、と思い詰めていたとき、近所のあのお酒飲みのお爺さんのコブが、最近ふっつりと無くなったという噂を耳にしました。
夜になるのを待ってこっそりと、旦那はお酒飲み爺さんの家を訪ね、あの月夜の不思議な宴の話を詳しく聞き出しました。

「よしよし、私もこのコブを、ぜひとも取ってもらおう!」
と勇み立ちました。幸い、その夜も月が出ていたのです。旦那は、まるで戦場へ向かう武士のように、目をぎらりと光らせ、口をへの字に固く結びました。「今夜こそは、最高に素晴らしい踊りを見せて、あの鬼どもを感服させてやる。もし万が一、感服しないようなら、この鉄扇で皆殺しにしてやる。たかが酒飲みの愚かな鬼どもに、どれほどのことができるものか」と、鬼に踊りを見せに行くのか、それとも鬼退治に行くのか自分でもよくわからないような、ものすごい意気込みで、鉄扇を右手に握りしめ、肩をいからせて剣山の奥深くへと踏み込んでいきました。

このように、いわゆる「自分は傑作を作れるんだ」という思い込みで凝り固まった人がする芸事は、たいていひどい出来栄えになるものです。
このお爺さんの踊りも、意気込みがあまりに強すぎて、結局のところ完全な失敗に終わってしまいました。

お爺さんは、鬼たちが酒盛りをしている円陣の真ん中に、厳かに、そして堂々と歩いていくと、「ふつつかながら……」と会釈をし、鉄扇をはらりと開いて、鋭い目つきで月を見上げ、大木のようにピクリとも動かずに立ち尽くしました。

しばらく経ってから、トントンと軽く足踏みをし、ゆっくりと呻くように語り始めます。
「これは阿波の鳴門で夏を過ごす僧でございます。さて、この浦は平家の一門が滅びた場所なので、悲しく思い、毎晩この磯辺に出てはお経を唱えております。磯山に、しばらく岩根の松を頼りに待つ間に、誰が乗る夜舟なのか、白波の中に響くのは楫(かじ)の音ばかり。鳴門の浦は静かな今宵ですこと、静かな今宵ですこと。昨日が過ぎ、今日が暮れ、明日もまたこうして過ごすのでしょう」
そう言って少しだけ動いては、また月を見上げてピタッと固まってしまいました。

鬼たちは、すっかりひいてしまいました。
一人、また一人と立ち上がり、山の奥へと逃げていきます。

「待ってください!」とお旦那は悲痛な声を上げて鬼を追いかけ、「今逃げられては、困ります!」と叫びます。
「逃げろ、逃げろ。あれは鍾馗(しょうき)様かもしれないぞ」
「いいえ、鍾馗様ではありません!」とお旦那も必死で追いすがります。「お願いがございます。このコブを、どうか、どうか取ってくださいまし」
「なんだ、コブだって?」鬼はうろたえていたので聞き間違え、「なんだ、そうか。あれは、先日のあのお爺さんから預かっている大事な品だが、まあ、お前さんがそんなに欲しいならやってもいい。とにかく、その踊りは勘弁してくれ。せっかくの酔いが醒める。頼む、放してくれ。これからまた、別の場所へ行って飲み直さなきゃいけないんだ。頼む、頼むから放してくれ。おい、誰かこの変な人に、先日のコブを返してやってくれ。欲しいんだそうだ」

鬼は、先ほど預かっていたコブを、お爺さんの右の頬につけました。
おやまあ、ついにコブが二つになってしまいました。
ぶらんぶらんとして、重たいこと。
恥ずかしそうに、お爺さんは村へ帰っていきました。

実に、気の毒な結果になってしまいました。
おとぎ話では、たいてい悪いことをした人が悪い報いを受けるという結末になるものですが、このお爺さんは別に悪いことをしたわけではありません。緊張のあまり、踊りが変な形になってしまったというだけの話ではないでしょうか。
かといって、このお爺さんの家族に悪い人がいたわけでもありません。また、あのお酒飲みのお爺さんやその家族、剣山に住む鬼たちだって、少しも悪いことはしていません。
つまり、この物語にはいわゆる「不正」という事件が一つもなかったのに、それなのに不幸な人が出てしまったのです。
それゆえに、この「コブ取り」の物語から日常の教訓を引き出そうとすると、とてもややこしいことになってしまうのです。

それでは一体、何のつもりでお前はこの物語を書いたのだと、短気な読者がもし私に詰め寄って質問したなら、私はそれに対してこう答えるほかありません。
「性格の悲喜劇というものです」
人間生活の底には、いつもこの問題が流れているのです。

――浦島太郎――
浦島太郎という人は、丹後の水江というところに実在していたようです。
丹後といえば、今の京都府の北部です。
あの北海岸のどこかの寒村に、今もなお太郎を祀った神社があるという話を聞いたことがあります。
私はそのあたりへ行ったことがありませんが、人の話によれば、なんだかひどく荒涼とした海浜らしいです。
そこに、わが浦島太郎が住んでいました。

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