初級翻訳・火の鳥 第3話

太宰 治

こうして、さちよはたった一人きりになってしまいました。
お父さんの実家の人たちが、さちよの身の回りの世話や、お家の財産を管理してくれることになりました。
女学校の寮を出て、もう一度お父さんの実家に戻ったとき、さちよの雰囲気はガラリと変わっていました。
それは、十七歳という、大人へと変わる不思議な年齢のせいだったのかもしれません。

ある日、学校からの帰り道、さちよはふらりと駅に立ち寄りました。そして、東京の上野までの切符を買うと、セーラー服(水兵服)を着たまま、勢いで汽車に飛び乗ってしまったのです。

大都会の東京は、さちよを待ち構えていました。
やってきたさちよを優しく迎えてくれるどころか、冷たく笑い、もみくちゃにして、厳しい現実を突きつけました。
まるで使い捨てられた紙くずのように、さちよはいろいろな場所をさまよい、体も心もボロボロに疲れていきました。
そんな苦しい生活を、二年間も生き抜きました。
もう、心も体もへとへとでした。

「もうどうなってもいい!」と戦いに行くような覚悟を決め、お母さんのたった一つの形見である古い着物の襟(半襟)を身につけて、恥ずかしさも忘れて夜のお店で働くほど、ギリギリまで追い詰められていたとき――そこに、あの須々木乙彦があらわれたのです。

意識がゆらゆらと戻ってきたとき、さちよは、誰か男の人の腕にしっかりと抱きしめられていたような気がしました。
さちよはその腕に力いっぱいしがみついて、「わあ、わあ」と大声をあげて泣きじゃくったような記憶があります。
その男の人も一緒に、さちよを抱きしめながら、静かにすすり泣いてくれていました。
「君だけでも、強く生きるんだよ」という声が聞こえました。
それが誰だったのか、はっきりとは分かりません。
まさか、いなくなったお父さんではないはずです。
もしかしたら、浅草で別れた、あの優しい青年だったのではないでしょうか。
すべては、深い霧の中にいるような、ぼんやりとした記憶でした。

しっかりと目が覚めると、そこは病院のベッドの上でした。
「君だけでも、強く生きるんだよ」という声が、ふと耳の奥でよみがえってきました。その瞬間、「ああ、乙彦さんは死んでしまったんだ」と、さちよは冷たい気持ちで静かに納得しました。
自分の人生の不幸が、相変わらず冷たい鉄のようにガッチリと固まったままであることを知って、「私の人生は、いつもこうなんだわ」と、自分でも怖くなるくらい、すっかり落ち着き払っていました。

やがて、病室のドアの外で、制服を着た警察官が二人、見張りをしていることに気づきました。
「私はこれから、どうなっちゃうんだろう?」
嫌な予感がしてヒヤリとしたそのとき、バタバタと音を立てて、スーツを着た男の人たちが六人も、さちよの病室に入ってきました。

「須々木が、ホテルから誰かに電話をかけたらしいね」と、その中の一人が言いました。
「ええ」と、さちよは少し寂しそうに微笑んで答えました。
「誰に電話をしたのか、知っているだろう?」
さちよは、こっくりとうなずきました。
「それは、誰だ?」
「若い男の人でした」
「名前は何というんだ?」
「名前は知りません」

男の人たちは、顔を見合わせて「ひそひそ」と話し始め、そのささやき声が部屋の中に広がりました。
「まあ、いいだろう。これからすぐに警察の大きな建物(警視庁)へ来てもらうよ。歩くことくらいはできるね」

車に乗せられて、窓から外の街並みを眺めると、外の人たちは寒そうに肩をすくめながら、忙しそうに歩き回っていました。
「ああ、この世界には、生きている人がこんなにたくさんいるんだな」と、さちよはぼんやりと思いました。

さちよは警察の留置場に入れられ、三日間、そのまま誰にも相手にされず放っておかれました。
四日目の朝、取り調べをするお部屋に呼ばれました。
「なんだ、君は本当に何も知らないんだね。まったく時間の無駄だったよ。もうお家に帰っていいぞ」と、警察の人が言いました。
「はい……」
「帰ってよし! これからは危ないことに巻き込まれないよう気をつけて、真面目に暮らすんだぞ」

さちよがふらふらしながら部屋を出ると、薄暗い廊下に、あの優しい青年が立っていました。
さちよは少し微笑みかけましたが、すぐに涙が溢れ出してしまい、青年の胸に飛び込んで泣きじゃくりました。
「帰りましょう。僕には、何がどうなっているのか、さっぱりわけがわからないんです」と、青年は言いました。

「やっぱり、この人だったんだ!」と、さちよは確信しました。意識がもうろうとしていたときの、あのぼんやりとした記憶がよみがえってきたのです。
あの苦しいとき、私はこの人にしっかりと抱きしめられていたのだ、と分かりました。
さちよはこっくりとうなずき、そっと青年の胸から体を離しました。

警察の建物の外に出ると、お日様の光がとてもまぶしく輝いていました。
二人は何も言わずに、お城のお堀に沿って、静かに歩いていきました。

「どう話したらいいのか……」と、青年はタバコに火をつけました。
それから、ひょいと首を横に振って、「とにかく、本当にびっくりしたよ!」と言いました。彼は明らかにドキドキして興奮していました。
「ごめんなさい」と、さちよは謝りました。
「いや、謝ることなんてないよ。確かに大変なことだったけれど、それよりも、乙やん……いや、須々木さんのことなんだ。君だって、何も知らないんだろう?」
「いいえ、知っています」と、さちよは言いました。
「えっ?」と、青年は驚きました。
「あの人は、亡くなって……」と言いかけたところで、さちよの頬を涙がポロポロと伝い落ちました。
「私が言いたいのは、そのことではないんです。青年はきりっと表情を引き締めて、まっすぐ前を見つめました。

「それも僕にとって、いや、あなたにとっても、ものすごくショックな出来事なんだけど……」
青年はそう言いながら、タバコを地面に捨てました。

「でも、それだけじゃないんだ。実はね、須々木さんは、とんでもない大事件を起こしてしまったらしいんだよ。
あなたと一緒にいたことも、まだ新聞には載っていないんだ。
『記事差止(きじさしとめ)』といって、ニュースに書いてはいけないことになっているみたいなんだ。
警察は、あなたのことも僕のことも、ものすごく詳しく調べていたよ。
僕はもう、本当にひどい目に遭っちゃった。
それはそれは、厳しく質問攻めにされたんだから。
『あなただって、あの二日前に初めて須々木さんに会っただけでしょう。僕だって、須々木さんとは親戚で、小さい頃から一緒に遊んでいて、乙やんのことが大好きだったんだから……』」
そこで、青年の言葉が少し途切れました。
突然、心の中からわっと涙がこみ上げてきそうになるのを、青年は必死でこらえていたのです。

「なんとか、僕たちが事件について何も知らなかったということが警察に伝わって、やっと一時的に帰してもらえることになったんだ。
あくまで『一時的』に、だけどね。
これからも、何かあるたびに警察に呼び出されるらしいから、あなたもそのつもりでいてね。

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