毎日毎日、食べていくためだけに必死で、借金を返すことばかり考えて……。何が正しいか分かっていても、どうしてもそっちへ行けなくて、流されるままに生きてきたの。そうしているうちに、いつの間にか世の中から『ダメな人間だ』っていうレッテルを貼られてしまったのよ。
さちよはもっとひどいわ。あの子は一度、世の中から放り出されてしまったの。まるで見捨てられたクズみたいに。
親孝行なんていう立派なこと、今の私たちにはとてもできないわ。したくても、そんなこと許されない立場なの。
『名誉をとりもどす』……そんな言葉、おかしいかしら? なんだか、かわいそうな言葉よね。でも、一度間違いをおかしてしまった私たちが、どれだけその言葉に憧れているか。そのためなら、命だって惜しくない。どんなことだってするわ」
数枝さんはふっと声を落として言いました。
「さちよは、かわいそうに、今一生懸命なの。私にはわかるわ。あの子を少しでも立派な人にしてあげたいの」
「待ちなさい」
高須さんは、その言葉を待っていたかのように言いました。
ゆっくりとタバコに火をつけて、こう続けました。
「君は今、あの子を立派にしたいと言ったね。でもそれは間違いだ。テストの書き間違いみたいに、はっきりとした間違いだよ。人間が、他の人間を立派にすることなんてできないんだ。今の世の中はそんなに甘くない。たった一日で名誉をとりもどして、みんなから拍手をもらうなんて、それはただの夢物語だよ。昔の古い夢だ。あの乙彦さんでさえ、それができずに死んでしまったんだ。今の時代、誰にも迷惑をかけずに、自分自身の心や行動をしっかりコントロールすること。それだけでも、ものすごく大変なことなんだよ。もしそれができたら、それこそ新しいヒーローだ。本当に立派なことなんだ。本当の自信っていうのは、自分一人の責任をしっかり果たせるようになって、初めて生まれて来るものじゃないかな。まずは自分と、自分の周りの人たちが安心して暮らせるようにすること。自分のふるさとや家族のために、一人の真面目な人間としてコツコツ働くこと。それができて初めて、夢を見ることが許されるんだ。そうでなければ、現実はどんな小さな望みも叶えてはくれないよ。断言してもいい。さちよは失敗する。今のまま突き進めば、どん底に突き落とされるだろう。それは火を見るより明らかだ。世の中は本当につらくて、厳しいところなんだよ。毎日毎日、僕は今の世の中の激しさを肌で感じている。少しのデタラメも許されない。みんなが獲物を探すタカのような鋭い目で、お互いを見張っているんだ。嫌なことだけど、それが現実なんだよ」
「負けたのよ! あなたは負けたのよ!」
数枝さんはかん高い声で叫びました。お酒のせいで言葉が少しもつれています。フラフラしながら耳をふさいで言いました。
「ああ、聞きたくない! 聞きたくないわ! あなたまで、そんな情けないことを言うなんて。ズルいわ、ズルいわよ! 意気地なし! 臆病者! ただの負け惜しみじゃない! ああ、もう理屈なんて嫌! 世の中の人はみんな優しいわ。みんな助けてくれる。冷たくてひどいのは、あなたたちだけよ! どん底に突き落とそうとするのは、あなたたちなんだわ! 負けたのに嘘をついてカッコつけている男だけが、人の努力をバカにして笑いながら、突き落とすのよ。あなたはダメな人よ。これからさちよに触っちゃいけないわ。指一本だって触れさせない……なんて、今のは嘘。私は現実をよく知っているの。あなたの言うことだって、本当は分かっているわ。分かっているけれど、それでも『もしかしたら』っていう夢を持っていたいの。持っていたいのよ。笑わないで。私たちはもう永遠にダメなの。どんどん悪くなっていくだけだって、自分でも分かっている。ああ、ダメ、そんなにハッキリ言わないで。死にたくなっちゃうじゃない。でも、さちよだけは……ああ、立派にしてあげたい。あの子は頭もいいし、可愛いし、本当にかわいそうなのよ。ねえ、知っている? さちよは今、ある劇作家の愛人(おめかけさん)をしているのよ。立派になってほしい、なってほしいの。そんなことをしなくても生きていけるように……」
高須さんは、すっくと立ち上がりました。
「誰だ。どこの男だ。そこへ案内してくれ」
彼はさっさと支払いを済ませると、酔っ払った数枝さんの体を片腕でグイッと抱きかかえました。
「立ちなさい。いつかそんなことになるだろうと思っていた。とんだ『出世』じゃないか。さあ、案内するんだ。どこの男だ。さちよにそんな真似をさせちゃいけないんだ!」
二人はタクシーを拾いました。車を淀橋(よどばし)の方へと走らせます。
車の中で、高須さんは言いました。
「バカだ。バカだ、大バカ野郎だ! 君にはお礼を言うよ。よく知らせてくれた」
数枝さんは、何かが恐ろしいことが起きるような気がして、気が遠くなりそうでした。
「僕は、さちよを愛しているんだ。愛して、愛して、愛し抜いている! 誰よりも深く愛しているんだ。忘れたことなんて一度もなかった。あの子の苦しさは、僕が一番よく知っている。何もかも分かっている。あの子は本当はいい子なんだ。あの子をダメにしてはいけないんだ。バカだ、なんてバカなんだ! 男の愛人になるなんて……バカ野郎! 死ね! 僕が殺してやる!」
「火の鳥」未完
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