またウサギが眉をひそめた表情をも、これは自分の先日の「ボウボウ山」の災難に心を痛めているのに違いないと解釈し、こう言いました。
「や、ありがたい。心配無用だよ。もう大丈夫だ。おれには神さまがついているんだ。運がいいのだ。あんなボウボウ山なんて屁の河童さ。カッパの肉はうまいそうだな。何とかしてそのうち食べてみようと思っているんだがね。それは余談だが、しかし、あの時は驚いたよ。何せどうも、たいへんな火勢だったからね。お前の方はどうだったね。別に怪我もない様子だが、よくあの火の中を無事で逃げてこられたね」
「無事でもないわよ」とウサギはつんとすねて見せて、「あなたってば、ひどいじゃないの。あのたいへんな火事場に、私ひとりを置いてどんどん逃げて行っちゃうんだもの」「私は煙にむせて、もう少しで死ぬところだったのよ。私は、あなたを恨んだわ。やっぱりあんな時に、つい本心というものがあらわれるものらしいのね。私には、もう、あなたの本心というものが、今度という今度、はっきりわかったわ」
「すまねえ。かんにんしてくれ。実はおれも、ひどい火傷をして、おれには、ひょっとしたら神さまも何もついていねえのかも知れない、さんざんな目に遭っちまったんだ。お前はどうなったか、決してそれを忘れていたわけじゃなかったんだが、何せどうも、たちまちおれの背中が熱くなって、お前を助けに行くひまも何もなかったんだよ。わかってくれねえかなあ。おれは決して不実な男じゃねえのだ。火傷ってやつも、なかなか馬鹿にできねえものだぜ。それに、あの、仙金膏とか、疝気膏とか、あいつあ、いけない。いやもう、ひどい薬だ。色黒にも何もききやしない」
「色黒?」
「いや、何。どろりとした黒い薬でね、こいつあ、強い薬なんだ。お前によく似た、小さい、奇妙な野郎が『薬代は要らねえ』と言うから、おれもつい、ものはためしだと思って、塗ってもらうことにしたのだが、いやはやどうも、ただの薬ってのも、あれはお前、気をつけたほうがいいぜ、油断も何もなりやしねえ。おれはもう頭のてっぺんからキリキリと小さい竜巻が立ち昇ったような気がして、どうとばかりに倒れたんだ」
「ふん」とウサギは軽蔑し、「自業自得じゃないの。ケチンボだから罰が当たったんだわ。ただの薬だから、ためしてみたなんて、よくもまあそんな下品なことを、恥ずかしくもなく言えたものねえ」
「ひでえことを言う」とタヌキは低い声で言った。けれども、別段何も感じないらしく、ただもう好きなひとの傍にいるという幸福感にぬくぬくとあたたまっている様子で、どっしりと腰を落ち着け、死んだ魚のように濁った目であたりを見回し、小虫を拾って食べたりしながら、「しかし、おれは運のいい男だなあ。どんな目に遭っても、死にやしない。神さまがついているのかも知れねえ。お前も無事でよかったが、おれも何ということもなく火傷が治って、こうしてまた二人でのんびり話ができるんだものなあ。ああ、まるで夢のようだ」
ウサギはもうさっきから、早く帰ってもらいたくてたまらなかった。いやでいやで、死にそうな気持ち。何とかしてこの自分の家の近くから去ってもらいたくて、またもや悪魔のような作戦を思いつきました。
「ねえ、あなたはこの河口湖に、そりゃあおいしい鮒(フナ)がうようよいることをご存じ?」
「知らねえ。ほんとかね」とタヌキは、たちまち目を輝かせて、「おれが三つの時、おふくろが鮒を一匹捕って来ておれに食べさせてくれたことがあったけれども、あれはおいしい。おれはどうも、不器用というわけではないが、決してそういうわけではないが、鮒なんて水の中のものを捕まえることができねえので、どうも、あいつはおいしいということだけは知っていながら、それ以来三十何年間、いや、はははは、つい兄の口真似をしちまった。兄も鮒は好きでなあ」
「そうですかね」とウサギは上の空で相槌を打ち、「私はどうも、鮒など食べたくもないけれど、でも、あなたがそんなにお好きなのならば、これから一緒に捕りに行ってあげてもいいわよ」
「そうかい」とタヌキはほくほくして、「でも、あの鮒ってやつは、素早いもんでなあ。おれはあいつを捕まえようとして、もう少しで水死体になりかけたことがあるけれども」とつい自分の過去の失態を告白し、「お前に何かいい方法があるのかね」
「網ですくったら、わけは無いわ。あの小島(※※島)の岸に、このごろとても大きい鮒が集まっているのよ。ねえ、行きましょう。あなた、舟は? 漕げるの?」
「うむ」と幽かな溜息をついて、「漕げないことも無いがね。その気になりゃ、なあに」と苦しい強がり(法螺)を吹いた。
「漕げるの?」とウサギは、それが法螺だということを知りながら、わざと信じたふりをして、「じゃあ、ちょうどいいわ。私にはね、小さい舟が一艘あるけど、あんまり小さすぎて私たちふたりは乗れないの。それに何せ薄い板切れでいい加減に作った舟だから、水がしみ込んで来て危ないのよ。でも、私なんかどうなったって、あなたの身にもしものことがあってはいけないから、あなたの舟をこれから、ふたりで一緒に力を合わせて作りましょうよ。板切れの舟は危ないから、もっと頑丈に、泥をこねて作りましょうよ」
「すまねえなあ。おれはもう、泣くぜ。泣かしてくれ。おれはどうしてこんなに涙もろいか」と言って嘘泣きをしながら、「ついでにお前ひとりで、その頑丈ないい舟を作ってくれないか。な、たのむよ」と抜かりなく横着な申し出をして、「おれは恩に着るぜ。お前がそのおれの頑丈な舟を作ってくれている間に、おれは、ちょっとお弁当をこさえておこう」「おれはきっと、立派な料理係になれると思うんだ」
「そうね」とウサギは、このタヌキの勝手な意見を信じたふりをして、素直にうなずきました。タヌキは、世の中なんてちょろいものだとほくそ笑みました。このギリギリのタイミングで、タヌキの悲劇的な運命が決まってしまったのです。自分のデタラメを何でも信じてくれる相手の心の中には、時として恐ろしい悪だくみが隠されているものだということを、お人好しなタヌキは知る由もありませんでした。タヌキは「うまくやってるぞ」とニヤニヤしています。
二人はそろって湖のほとりに出ました。白い河口湖には、波一つありません。ウサギはさっそく泥をこねて、例の「頑丈な舟」を作り始めました。タヌキは「すまねえ、すまねえ」と言いながらあちこち飛び回って、自分のお弁当の中身を準備するのに大忙しです。夕風がかすかに吹き始めて湖面に小さな波が立ち始めたころ、粘土でできた小さな舟が、ピカピカと鉄のような色に輝いて完成しました。
「ふむ、悪くないな」とタヌキははしゃいで、石油缶くらいの大きさがある例のお弁当箱を舟に積み込みました。「お前は、本当に器用な娘だなあ。あっという間にこんなきれいな舟を一艘作り上げてしまうなんて。神業だよ」と、歯が浮くような見え透いたお世辞を言います。そして、こんなに器用な働き者を奥さんにしたら、自分は奥さんの稼ぎで遊んで暮らしながら贅沢ができるかもしれない、などと、色気のほかに欲までムラムラと湧いてきました。
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