初級翻訳・お伽草紙 第20話

お伽草紙

もう何としてもこの女とくっついて一生離れないぞ、と心の中で決意を固めました。

「よいしょ」と泥の舟に乗り込むと、「お前はきっと、舟を漕ぐのも上手なんだろうねえ。おれだって舟の漕ぎ方を知らないわけでは……まさか、知らないわけでは決してないんだが、今日はひとつ、わが奥さんのお手並みを拝見したいものだ」と、だんだん言葉遣いが図々しくなってきました。「おれも昔は、舟の漕ぎ方にかけては名人だとか達者だとか言われたものだが、今日はまあ、寝転んで拝見することにしようかな。構わないから、おれの舟の先っぽを、お前の舟のお尻に結びつけておくれ。舟も仲良くぴったりくっついて、死ぬときも一緒、見捨てちゃいやよ」などと、いやらしくキザなことを言って、ぐったりと泥舟の底に寝そべりました。

ウサギは、舟を結びつけろと言われて、さてはこのバカも何か感づいたかな? とドキッとしてタヌキの顔を盗み見ましたが、なんのことはありません。タヌキは鼻の下を伸ばしてニヤニヤ笑いながら、すでに夢の中へ向かっていました。「鮒がとれたら起こしてくれ。あいつはうまいからなあ。おれは三十七だよ……」などと、バカな寝言を言っています。

ウサギは「ふん」と笑って、タヌキの泥舟を自分の舟につなぐと、オールでバシャリと水面を叩きました。するすると二艘の舟は岸を離れていきます。

※※島の松林は夕日を浴びて、まるで火事のように赤く燃えています。ここでちょっと作者が物知りなところを見せますが、この島の松林を絵にしてデザインしたのが、タバコの「敷島」の箱に描かれているあれだ、という話です。確かな人から聞いた話ですから、読者の皆さんも信じて損はないでしょう。もっとも、今はもう「敷島」なんてタバコは売っていないので、若い読者には何の興味もない話ですね。つまらない知識をひけらかしてしまいました。何事も知ったかぶりは、このようにバカバシイ結果に終わるものです。まあ、生まれて三十何年以上になる読者だけが、「ああ、あの松か」と、昔の遊びの記憶なんかと一緒にぼんやり思い出して、つまらなさそうな顔をするのがせいぜいといったところでしょう。

さて、ウサギはその※※島の夕景をうっとりと眺めて、「おお、いい景色」とつぶやきます。これは実に不思議な光景です。どんな極悪人でも、これから残虐な犯罪を行おうとするその直前に、山の景色をうっとりと眺める余裕なんてないはずです。しかし、この十六歳の美しい少女は、目を細めて島の夕景を鑑賞しているのです。

本当に、無邪気さと悪魔の心は紙一重です。苦労を知らないわがままな少女の、吐き気がするほどキザな態度を見て、「ああ、青春は純真だ」なんて言って憧れている男たちは、気をつけたほうがいいですよ。その人たちの言う「青春の純真」なんてものは、しばしばこのウサギの例のように、胸の中に殺意と陶酔が隣り合わせで住んでいても平気でいられるような、何が何だかわからない感情の混ぜこぜの乱舞なのです。危険この上ないビールの泡のようなものです。皮膚の感覚が倫理観を覆ってしまっている状態、これを「低能」あるいは「悪魔」と呼ぶのです。

一時期、世界中で流行したアメリカ映画には、こんな「純真」な男や女がたくさん出てきて、皮膚感覚を持て余してくすぐったそうにチョコチョコと、まるでゼンマイ仕掛けのオモチャのように動き回っていました。別に無理やりこじつけるわけではありませんが、いわゆる「青春の純真」というものの元祖は、あるいはアメリカあたりにあったのではないかと思えるほどです。スキーでランラン、といった類のものですね。そしてその裏で、ひどく愚かな犯罪を平気で行っているのです。低能でなければ、悪魔だ。
いや、悪魔というものは、もともと低能なのかもしれない。
小柄でほっそりとしていて、手足も華奢で、あの月の女神アルテミスにも例えられた十六歳の少女ウサギも、この瞬間、急にひどくつまらない、興味のわかない存在に成り下がってしまった。
低能なのか。
それなら仕方がないねえ。

「ひゃあ!」と足元から奇妙な声が上がった。
わが親愛なる、そしてちっとも純真ではない三十七歳の男性、タヌキくんの悲鳴だ。
「水だ、水だ。これはまずいぞ」
「うるさいわね。泥の舟だもの、どうせ沈むわ。わからなかったの?」
「わからん。理解に苦しむ。筋道が立たないよ。それはあまりに無理というものだ。お前はまさかこのおれを……いや、まさか、そんな鬼のような……いや、さっぱりわからん。お前はおれの奥さんじゃないか。やあ、沈む! 少なくとも沈むということだけは、目の前の真実だ。冗談にしても、あくどすぎる。これはほとんど暴力だ。やあ、沈む。おい、お前どうしてくれるんだ。お弁当が台無しじゃないか。このお弁当箱には、イタチのフンをまぶしたミミズのマカロニなんか入っているんだぞ。もったいないじゃないか。あっぷ! ああ、とうとう水を飲んじゃった。おい、頼むから、人騒がせな冗談はいい加減にやめてくれ。おいおい、その綱を切っちゃいかん! 死ぬときは一緒、夫婦は二世、切っても切れない縁の艫綱(ともづな)……あ、いけない、切っちゃった! 助けてくれ! おれは泳ぎができないんだ。白状するよ。昔は少し泳げたんだが、タヌキも三十七になると、あちこちの筋が固くなって、とても泳げやしないんだ。白状する。おれは三十七なんだ。お前とは実際、年が離れすぎているのだ。年寄りを大事にしろ! 敬老の心掛けを忘れるな! あっぷ! ああ、お前はいい子だ。な、いい子だから、そのお前の持っているオールをこっちへ差し伸べておくれ。おれはそれにつかまって……あいたたた、何をするんだ、痛いじゃないか! オールでおれの頭を殴りやがって……よし、そうか、わかった! お前はおれを殺す気だな。それでわかった!」

と、タヌキも死の直前になってようやくウサギの悪だくみを見抜いたが、もう遅かった。
ぽかん、ぽかん、と無慈悲なオールが頭上に降り注ぐ。
タヌキは夕日にキラキラ輝く湖面に浮いたり沈んだりしながら、
「あいたたた、あいたたた、ひどいじゃないか。おれは、お前にどんな悪いことをしたんだ。惚れたのが悪いのか」
と言って、ぐうっと沈んでそれっきりになった。
ウサギは顔を拭きながら、
「おお、ひどい汗」と言った。

ところで、これは好色への戒めというものだろうか。十六歳の美しい少女には近寄るなという、親切な忠告を匂わせた滑稽な物語なのだろうか。あるいは、気に入ったからといってあまりしつこく言い寄ると、ついにはひどく嫌われて、殺されるほどの目にあうから節度を守れ、という礼儀作法の教科書なのだろうか。それとも、道徳の善悪よりも、感覚の好き嫌いによって世の中の人たちは日常的に互いをののしり、罰し、褒め、あるいは従っているのだということを暗示する笑い話なのだろうか。

いやいや、そんなふうに評論家気取りで結論を急がなくても、タヌキの死に際の一言だけを心に留めておけばいいのではないだろうか。
曰く、「惚れたが悪いか」。
古来、世界中の文芸作品にある悲しい話の主題は、すべてここにかかっていると言っても言い過ぎではないだろう。
女性にはみんな、この無慈悲なウサギが一匹住んでいる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました