初級翻訳・かめれおん日記 第5話

かめれおん日記

我はもや石とならむず 石となりて つめたき海を沈み行かばや
氷雨降り狐火燃えむ 冬の夜に われ石となる黒き小石に
眼瞑づれば 氷の上を風が吹く われ石となりて転びて行くを
腐れたる魚のまなこは 光なし 石となる日を待ちて吾がゐる
たまきはる いのち寂しく見つめけり つめたき星の上に独りゐて

今まで和歌を作ったことのない私が、こんな妙なものを書き散らしては、自分で自分のことを「球根の歌」だと笑っているんだ。
金魚鉢の中の金魚。
自分の立ち位置を知り、自分自身や、自分のいる世界がつまらなくて狭いものだと知り尽くしている、絶望的な金魚。
絶望しながらも、自分自身や、狭い自分の世界を愛さずにはいられない金魚。

幼い頃、私は、世界は自分以外の人間みんな、狐が化けているんじゃないかと疑ったことがある。
父も母も含めて、世界すべてが自分を騙すためにできているんじゃないかと。
そしていつかは、何かのきっかけでこの魔術が解ける瞬間が来るんじゃないかと。
今でもそう考えられないことはない。
それを常にそうは考えさせないものが、つまり「常識」とか「慣習」とかいわれるものなのだろう。
だが、それらも私のように世間から引きこもっている者には、もはやそれほど強い力を持ってはいない。
照明の変化とともに舞台の雰囲気がまるで一変するように、世界は、ほんのスイッチをひねるだけで、そんな幸福(?)な世界にもなり得るし、また同じスイッチを一ひねりすれば、荒れ果てた救いようのないものにもなる。
私にとってそのスイッチとは、多くの場合、呼吸がどれくらい苦しいかであったり、薬の効き具合であったり、天気が晴れか雨かであったり、昔の友人からの手紙の有無などだ。

大きな――ときに不可解な――もの(組織、慣習、秩序)の中に、安心して身を置いている気楽さ。
それらからすっかり離れている自由な人間の苦しさ。
そういう自由人は、自分の中で人類が発展してきた歴史を、もう一度繰り返して見なければならない。
普通の人は慣習に何も考えずに従う。
特別な自由人は、慣習をチェックしてみて、それが成り立っている理由を自分で納得しない限り、従おうとはしない。
いわば、人間がその慣習を作り上げるまでに何百年もかかった過程を、一度自分の中で体験してみないことには気が済まないのだ。
私自身の性格も、傾向としてはそれに似たものを持っているようだ。
ただし、そうした特別な人たちによく見られる、優れた独創的な思考力だけは欠けているのだけれど。

友人の一人が「遠交近攻(遠くの国と仲良くして、近くの国を攻める)の策」と評した一つの傾向がある。
一生懸命になってパリの地図を作ったりして、頭の中では未知のパリの地理にずいぶん詳しいくせに、もう二年も住んでいるこの港町の有名な競馬場へさえ、一人では行けない。
博物学の教師のくせに、本当のところはろくに知らず、古い外国語をかじってみたり、哲学に近い本を漁ってみたりする。
それでいて、何一つ本当には自分のものにしていない、だらしなさ。
まったくのところ、私のものの見方といったって、どれだけ自分の本物があるだろうか。
イソップの話に出てくる、他人の羽をつけたお洒落なカラスのように。
レオパルディの羽を少し。
ショウペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。
荘子や列子の羽を少し。
モンテーニュの羽を少し。
なんて醜い姿の鳥だろう。
(よく考えてみれば、もともと世界に対して甘い期待を抱いていた人間でなければ、悲観的な考えに浸ることもないし、うぬぼれ屋や自分を甘やかしている人間でなければ、そう何度も「自分への反省」や「自己嫌悪」を繰り返すはずがない。
だから、僕みたいにいつもこの悪いクセにどっぷり浸かっているやつは、根っからのうぬぼれ屋の見本なんだろう。
実際、間違いなくそうだ。
まったく、「自分、自分」と、どれだけ自分は偉いんだ。
そんなに四六時中、自分のことばかり考えているなんて。)

          四

 今日も仕事のない日だ。
火、水、木と三日も休みが続く。
昨夜は少し眠れた。
発作への不安(ほとんど恐怖と言ってもいい)も、ひとまず消えた。
いつもの薬「麻杏甘石湯(まきょうかんせきとう)」の量を少し増やすだけで済みそうだ。
鈍い頭痛は相変わらず消えない。
午前中は少し吐き気もあった。
飼っているカメレオンは、一昨日からハエを十二、三匹しか食べていない。
止まり木から下りて、綿の上にうずくまっている。
寒いのだろう。
これでは長くもたないかもしれない。
いよいよどうしようもなくなったら、動物園に連れて行くことにしよう。
後ろ足の付け根のあたりに、小さな黒褐色の傷跡がついている。
学校で床に落ちたときに傷つけたのだろうか。
背中のギザギザは、ハンドバッグの口に使うチャックに似ている。
今日も午前中ずっと、小さな爬虫類(はちゅうるい)を前に、ぼんやりと頬杖をついていた。
少し眠い。
前の晩にまったく眠れなかった日よりも、なまじ一、二時間眠れた次の日の方が眠いものだ。
うとうとし始めてハッと気づいた瞬間、目の前のカメレオンの顔が、ルイ・ジュヴェが演じる中世の生臭坊主に見えた。
カメレオンとミノムシの対話という、レオパルディ風の物語を書いてみたくなった。
ミノムシの哲学的な悩みと、カメレオンの楽しむことだけを考える逆説的な考え。
……などなど……。
ただし、もちろん本当には書かない。
書くという作業は、どうも苦手だ。
文字を一つひとつ綴(つづ)っている時間のじれったさといったら。
その間に、今浮かんだアイデアの大部分は消えてしまい、頭をかすめた中で一番くだらない残りカスだけが紙の上に残るのだ。
午後、ふとページをめくったある本の中に、自分の精神状態をこれ以上ないほどぴったり説明してくれる表現を見つけた。
――自分の身分や立場を認めようとしないこと。
そこからくる無気力。
ひねくれた理想へのあこがれ。
プライドが傷ついたことによる不満。
無限の世界を少しだけのぞき見て、夢を見て、現実と比べるために、自分も周りの出来事も本気になれない……。
自分の無力さを感じている。
周りの状況を変える力も、無理やり動かす力も、うまく操る力もない。だから、状況が自分の思い通りにならないときには、最初から手を出すまいとする。
自分で何か目的を決め、希望を持ち、戦い続けるなんてことは、不可能で途方もないことのように思える。
――

 私は本を閉じた。
これは恐ろしい本だ。
なんて正確に、今の私を説明してくれるのだろう!

 何とかしなければならない。
このままではどうにもならない。
このままだと、生きていながら消えていくようなものだ。
だんだん僕という個性が薄れていって、最後には「僕」という個人が消えてしまい、ただの「人間一般」になってしまいそうだぞ。
冗談じゃない。
もっと我執を持て! 欲望を持て! 一つのことに夢中になって打ち込むことが唯一の救いだ。
アミエルのような乾いた人間になるな。
自分で自分のあり方を客観的に見ようなんていう、自然に反した生意気な真似はやめろ。

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