水飴のほかに、当て物(くじ引き)や駄菓子なども持っているので、みんな我先にと赤や青の紙をめくってくじを引きます。
親父さんは桶のなかに琥珀色に踊っている飴を、キュッキュッと引っ張り上げては、木箸の先でテラテラした坊主頭のような形を作ります。
それを口いっぱいに頬張ってクルクル回していると、濃厚な甘みが唾液に溶けて、だんだん小さくなっていくのです。
「よかよか飴屋」もやってきました。
真鍮のタガをたくさん嵌めた盥(たらい)みたいなものの周りに、日の丸の小旗がぐるりと立っていて、旗竿の先には鴛鴦(おしどり)の形をした紅白の飴がついています。
鯉の滝登りの浴衣を着た飴屋の男が「ウドどんどん」と太鼓を叩きながら、肩と腰とでゆらりゆらりと調子を取ってやってきます。その後ろから、姉さん被りをした女の人が「ジャンジャカジャンジャカ」と三味線を弾いてついてきます。
たくさん買ってあげるとおかめの面を被って踊り出すので、子どもたちはズラリと取り囲んで見物します。
すると、首を傾げたり、袖を振ったり、三味線に合わせていい加減に踊りながら変な足つきをして追いかけてくるので、子どもたちは「キャッキャッ」と言って逃げ回るのです。踊りが終わると、飴屋さんは「へえ、お騒がせいたしました」と言って、盥(たらい)を頭の上に乗せながら、愛嬌たっぷりにわざと盥を落とすマネをして、泣き真似をしながら帰っていくのでした。
お国さんのお父様は、骨格がしっかりした怖い人でした。お役目があるため留守にすることが多かったのですが、たまに家にいるときは、一日中二階に閉じこもって何か書き物をしていました。
ですから、少しでも騒がしくするとすぐに叱られてしまうので、こちらもお父様がいる日には遊びに行きませんでしたし、向こうも家の中では小さくなって過ごしていました。
うっかりそれを知らずに遊びに行って「お国さん、遊びましょうよ」と呼ぶと、お国さんは玄関の障子を細く開けて、親指を鼻の先へ当てて、「しーっ!」とばかりに、とても怖そうに手を振って見せるのでした。
桃の節句に、お国さんのところへ呼ばれたことがありました。
日当たりのいいお座敷の正面には、高い雛段がこしらえてあり、立派なお雛様が飾られていました。
うちのお雛様は目に入りそうなほど小さいものなのに、お国さんのお雛様はその五倍も大きなものでした。
お雛様は生きているものとばかり思い込んでいた私は、体がすくむような気がして、何度も続けてお辞儀をしたら、みんながドッと笑いました。
そこへ、意外にも留守だと思っていたお父様が出てきたので、どうなることかと、お雛様とお父様の顔を見比べながら、今にも泣き出しそうに縮こまっていました。
お父様は怖がっている私を見て、いつになく笑いながら、豆煎(まめいり)を紙に包んでくれて、年はいくつだの、名前は何というの、といろんなことを聞いてくれました。
そして「ここにいる人のなかで、誰がいちばん怖い?」と言ったので、正直にお父様を指さしたら、みんながまたドッと笑いました。
お父様も笑いながら「おとなしくさえすれば、叱りはしないよ」と言って二階へ行ってしまったので、ようやくホッと息をつきました。
三十一
あの静かな子供の日の遊びを、心から懐かしく思います。
そのなかでも楽しかったのは、夕方の遊びでした。
特に夏のはじめなど、日が赤々と夕映えの雲に名残を留めながら暮れていくのを眺めていると、「もうすぐ帰らなければならない」と思うだけに、名残惜しくなって、子供たちはますます遊びに夢中になるのです。
「ちょんがくれ(かくれんぼ)」にも、「目隠し」にも、「おか鬼(鬼ごっこ)」にも、「石蹴り」にも飽きたお国さんは、前髪をかき上げて、汗ばんだ額に風を当てながら「今度は何をして遊びましょう」と言います。
私も袂(たもと)で顔を拭きながら「かーごめ、かごめをしましょう」と言います。
「かーごめ、かごめ、かーごんなかの鳥は、いついつでやる……」
雨のあとなど、首を垂れた杉垣の杉の若芽に雫が溜まってキラキラ光っているのを、垣根をゆすぶると一時にパラパラと散るのが面白いのです。
しばらくすればまたさっきのように溜まっています。
遊び場の隅には大きな合歓(ねむ)の木があって、薄紅色のぼうぼうした花が咲いていましたが、夕方、不思議とその葉が眠る頃になると、素晴らしい蛾が飛んできて、褐色の厚ぼったい翅を震わせながら、花から花へと気違いのように駆け回るのが気味悪かったのです。
合歓の木は、幹をさすればくすぐったがると言って、お国さんと手のひらの皮がむけるほどさすったこともありました。
夕映えの雲の色もあせていけば、こっそりと待ち構えていた月がほのかに照らしてきます。
二人はその柔和なお顔を見上げて、「お月様いくつ」を歌います。
「お月さまいくつ、十三ななつ、まだとしや若いな……」
お国さんは両手の指で眼鏡を作って、「こうしてみると、兎がお餅をついているのが見える」と言うので、私も真似をして覗いてみます。
あのほのかな満月の国に、兎がひとりで餅をついているとは、無垢で好奇心に満ちた子供の心になんと嬉しいことであろうか。
月の光が明るくなれば、フワフワとついて歩く影法師を追って「影踏み」をします。
伯母さんが「御膳だよ(ご飯だよ)、お帰りよ」と言って迎えに来て連れて帰ろうとするのを、一生懸命に足を踏ん張って帰るまいとすれば、伯母さんはわざとよろよろしながら「かなわん、かなわん」と言って、騙し騙し連れて帰るのです。
お国さんは「明日また遊んでちょうだいね」と言う伯母さんに「さようなら」をして、帰る道々「かいろが鳴いたから、かーいろ」と言います。
私も名残惜しくて同じように呼びます。そうして代わる代わる呼びながら、家に入るまで代わる代わる呼び続けているのです。
三十二
そのようにして安穏な日々を送っているうちに、二人にとって一大事が起こりました。
それは、二人とも八つになって、学校へ上がらなければならないことになったのです。
いつぞや伯母さんに背負われて、姉のお弁当を持って行ったことがあるから、学校の様子はわかっています。
あの意地の悪そうな子供たちがうようよいるところへ、どうして行かれましょう。
毎晩、茶の間へおもちゃ箱を出して遊ぶ時になると、父や母がくどくどと言い聞かせましたが、私は強情に首を振っていました。
母は「学校へ行かなければ、偉い人になれない」と言います。
私は「偉い人なんぞにならなくてもいい」と言いました。
父は「学校へ行かない子は、家にはおかない」と言うのです。私は「伯母さんと一緒におもちゃ箱を持って出ていく」と言い張りました。
小さな頭で一生懸命考えた言い訳も、病気がちな子の願いも、最初は笑って聞き流されていましたが、入学の日が近づくにつれて、周りからの締め付けはどんどん厳しくなり、かわいそうな私は毎晩泣き出しては、伯母さんに連れられて布団に入るようになりました。
そうこうしているうちに、こちらの都合などお構いなしに鞄が買われ、厚紙でできた筆入れや、大きな習字の筆など、道具がすっかり揃ってしまいました。
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