初級翻訳・銀の匙 第14話

中 勘助

姉たちは「いいものが買ってもらえてうらやましい」と言いますが、そんなものは見たくもありません。お犬様の置物と、丑紅(うしべに)の牛のほかに、何もいらないのです。
そうして外ではお国さんと遊び、家では伯母さんと木の実を分け合って遊んでいればそれでいい。こんなに嫌な学校に、どうして無理に行かせるのだろうと思いました。
ある日、我慢しきれなくなってお国さんにその話をしたら、お国さんは「あたしも毎日叱られてる」と言います。
お友達もやっぱり学校が嫌いで、同じつらい目にあっているらしいのです。そこで二人は李(すもも)の木の根っこに腰かけて、恥ずかしい本心を打ち明けて慰め合いました。
そうして別れるとき、お国さんが「あたし、どうしても行かないから、あなたも行くのはおよしなさいね」と言ったので、私は堅く約束をして帰りました。

三十三

いよいよその日になりましたが、私は朝から「お国さんが行かなければ行かない」と繰り返して、どうにか一日をやり過ごしました。
その晩、私は寝室の隠れ家から無理やり茶の間の白洲(しらす)へ引き立てられ、おどされたりなだめられたりしましたが、心を決めて頑張っていました。すると兄がいきなり襟首をつかみ、柔術のような妙な技で何度も何度も畳にたたきつけたあげく、続けて頬を打ちました。
伯母さんは「この弱い子をどうするんだ、どうするんだ」と言って、「私がよく言って聞かせるから」とかばいながら、寝室へ連れて逃げてくれました。
兄は高等中学で柔術をやっていたのです。
明くる日、私は頬をはらして食事もせずにじっと寝室に引きこもっていたら、伯母さんは心配して、仏様のお供え物をこっそり私に食べさせてくれました。
そうしたら、その日から急にひどく熱が出て、ただでさえ癇(かん)の強い私が夜通しぐっすり眠ることもできず、伯母さんはお念仏を唱えながら、一睡もせずに看病してくれました。
四、五日そうして寝ている間は学校の話も出ませんでしたが、ようやく頭痛も治り、熱も引いて起き上がると、その晩からまたもや厳しい追求が始まりました。
私はすっかり覚悟を決めて相変わらず「お国さんが行かなければ」と言い張りましたが、どうしたことか今度はひどい目にもあわされず、ただ「お国さんが行けば、きっと行くか」と聞かれたので、「きっと行きます」と言い切りました。
翌日、伯母さんは青い顔をしている私をおぶって、学校が終わる頃に門の前へ連れ出してくれました。
学校までは一町半(約160メートル)くらいしかありません。
チャラン、チャランと鈴の音が聞こえると、間もなく生徒たちがぞろぞろと帰ってきます。
そうしたら意外にも、お国さんが私と同じような包みを抱えて、元気よく帰ってきて、伯母さんに「えらい、えらい」と褒められたものだから、すっかり得意になって学校の話を聞かせてくれました。
私は背中にいながら、「お国さんはひどい(裏切った)」と思いました。
その晩、私は仕方なしに学校へ行くことを承知しました。
明くる朝、私は羽織袴を着て父と一緒に学校の門をくぐりました。
先生たちのいる部屋へ連れて行かれましたが、そこにはガラス障子が入った戸棚の中に、地球儀や、鳥や魚の標本、珍しい獣の掛け図など、心をひかれるものがたくさんありました。
――これらはみな、後になって覚えた名前です。
――父が私の頭が悪いことや、体が弱くて臆病なことなどを細かく話すのが、恥ずかしくてたまりませんでした。
それを聞いて、人の顔をじろじろ見ながらうなずいていた先生は、もの柔らかに「あなたの年はいくつ」「あなたの名は」「お父様のお名は」「お家は」といろいろなことを尋ねました。
そんなことは前から家で教わってありますし、先生が案外やさしいのに安心して、どうやら無事に返事ができました。
先生は、頭が悪いと聞いて「ばか」とでも思ったのか、さまざまなことを聞き試したのち、「これなら結構です」と言って入学を許してくれました。
その日はそのまま帰って、姉たちに学校でのお行儀や、お辞儀の仕方、鞄のびしっとした掛け方などを教わって過ごしました。
そして次の日には、桜の花の徽章がついた帽子をかぶり、持ち慣れない鞄を斜めにかけて、なんとも言えない混乱した気持ちのまま、伯母さんに手を引かれて学校へ行きました。
この不慣れな様子を人に見られるのが恥ずかしいのと、まだ知らぬ学校生活への心配とで、小さな胸を痛めながら、自分のつま先ばかり見てそろそろとついていきました。
姉たちは私を教場(教室)へ連れて行って、一番前の机へ腰かけさせました。
それは尋常一年生の「乙」のクラスで、同じ一年生の中でも、年が小さかったり頭が少し遅れていたりする子を入れるところでした。

三十四

先に上がった子供たちはもう学校に慣れているし、それに私みたいな弱虫は一人もいないので、我が物顔でわいわい騒いでいます。そうこうするうちに、聞き慣れたあの鈴の音が「チャラン、チャラン」と鳴りました。
すぐそばで聞くと、キンキンと耳の奥まで響いて、たまらなく嫌な音です。
姉たちは「また次の休み時間にくるからね」と言い、伯母さんは「お稽古が終わるまで、ちゃんと戸の外で待っているからね」と約束して出ていきました。
一人ぼっちになって怖々(こわごわ)と周りを見渡すと、強そうで意地悪そうな子たちばかりが、こちらをじろじろと変な顔で見ています。
私は小さくなって、机に空いている節穴ばかりをのぞき込んでいました。
そこへ入ってきたのが、担任の古沢先生でした。
この先生は顔じゅうにあるあばたのせいで、一見すると怖そうに見えますが、本当はとても評判の良い優しい先生で、学校中の生徒たちが「古沢先生、古沢先生」と言ってなついていました。
教科書は、伯母さんに教わった「ちん、わん、ねこにゃあ、ちう」といった絵草紙や、「いぬ、はし、ほん、つくえ」の絵本とは違っていましたが、内容は簡単だったので、本の内容はろくに見ずに、先生の白髪混じりの髪の毛が風に吹かれてバラバラと揺れるのばかりを眺めていました。
やがてお稽古が終わりました。
周りの教室から雪崩のようにあふれ出た腕白(わんぱく)どもが、運動場いっぱいの藤棚の下で、カエル跳びをしたり、鬼ごっこをしたり、大将ごっこをしたりしています。
今までお国さんの家の小さな世界にしかいなかった、世間知らずの私には、目が回るほどめまぐるしくて、キョロキョロと立っていると、姉のお友達が「これが噂の弟君?」といった様子でバラバラと寄ってきて、あっという間に私を囲んでしまいました。
そして、ませた愛想を振りまきながら、お決まりの「年はいくつ?」「名前は何ていうの?」と、四方八方から質問の矢を放ってきます。
あわれな臆病者の私は、雌豹の群れに襲われたロバのようにおどおどして、顔も上げずに縦横に首を振るばかりでした。
そこへ運悪く一人の先生がやってきて、いきなり私の帯をつかむと、「やっ!」という掛け声とともに宙に持ち上げました。朝から目の奥にいっぱい溜まっていた涙が、一気にこぼれ落ちて、私は両足をぶらぶらさせながらワッと泣き出してしまいました。
先生は肝を潰して、
「こりゃ大変。

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