それは、家もなし、子供もなし、年をとっているしで、何の楽しみもなかったせいもありますが、もうひとつ、私を迷信的に可愛がる不思議な理由がありました。
というのも、もし今も生きていれば私と一つ違いであるはずの兄が、生まれて間もなく「驚風(けいふう:ひきつけ)」で亡くなったのを、伯母さんは自分の子供が死んでいくように嘆いて、「生まれ変わってきておくれよ、生まれ変わってきておくれよ」と言っておいおい泣いたのです。
そうしたら翌年、私が生まれたもので、仏様のおかげで先の子が生まれ変わってきたと思い込み、私をこの上なく大事にしてくれたのだそうです。
たとえこの汚いできものだらけの子供であっても、頼りない伯母さんの願いを忘れずに極楽の蓮の家を捨ててやってきたのだと思えば、どんなにか嬉しく、愛おしかったことでしょう。
そのため、私が四つ五つになってからは、伯母さんは毎朝仏様へお供え物をする時に――それは信心深い伯母さんの幸せな役目でした――折に触れてお仏壇の前へ連れて行き、まだ「いろは」の「い」の字も読めない子供に、兄の戒名、伯母さんの考えによれば、すなわち私が極楽にいた時の名前であるところの「一喚即応童子(いっかんそくおうどうじ)」というのを空で覚えさせたのでした。
四
私は家の中はともかく、一足でも外へ出るときには必ず伯母さんの背中にしがみついていました。伯母さんのほうでも「腰が痛い」「腕がしびれる」とこぼしながら、やっぱり私を離すのが嫌だったのでしょう。
五つくらいまでは、ほとんど地面に降りたことがないくらいでした。帯を結び直すときや、何かで背中から下ろされると、なんだか地面がぐらぐら揺れるような気がして、一生懸命、伯母さんの袖の先にへばりついていなければなりませんでした。
そのころ、私は浅葱色(あさぎいろ)のしごきを胸高に締め、小さな鈴と成田山のお守りを下げていました。
それは伯母さんの工夫でした。お守りはもちろん怪我をしないため、溝や川へ落ちないため。鈴は、伯母さんが目がかすんで遠くが見えないので、もしはぐれたときにその音を聞きつけて探しに行こうという理由でした。
けれど、年じゅう背中から降りたことのない子供には、鈴もお守りも、実は全く無用のものでした。
私は体が弱いために賢くなるのが遅れ、かつひどく憂鬱な性格になっていました。伯母さん以外の者には笑顔を見せることはほとんどなく、自分から口をきくことはおろか、家の者に何か言われてもろくに返事もしません。よっぽど機嫌がいい時ですら、やっと黙ってうなずくくらいのもので、意気地なしで人見知りばかりしていました。知らない人の顔さえ見れば、背中に顔を隠して泣き出すのがいつものことでした。
私が痩せこけて肋骨が浮き出て、頭ばかり大きくて目が引っ込んでいたため、家の者はみんな私のことを「タコ坊主、タコ坊主」と呼びましたが、自分では名前の「〇〇ぼう」をなまって「〇〇ぽん」と名乗っていました。
五
私の生まれたところは、神田の中でも特に神田らしい場所で、火事や喧嘩や酔っ払いや泥棒が絶え間なく続くようなところでした。私の病弱な頭に今も影を落としている近所の家といえば、向かいの米屋や駄菓子屋をはじめ、豆腐屋、銭湯、材木屋といった家ばかりで、筋向かいにあるお医者様の黒塀と、殿様の屋敷――私の家はその敷地内にあったのですが――の立派な門構えがひときわ目立っていました。
天気のいい日には、伯母さんはまるで『アラビアンナイト』に出てくる化け物のように、背中にくっついている私を背負い出し、年寄りの足が続くかぎり、私の気に入りそうな場所へ連れて歩いてくれました。
すぐ裏の路地の奥には、蓬莱豆(ほうらいまめ)を作る家があり、倶梨迦羅(くりから)の刺青を入れた男たちが、ふんどし一丁に鉢巻姿で歌を歌いながら豆を煎っていました。そこは鬼のような男たちが怖いのと、豆を煎る「ガラガラ」という音が頭の芯にまで響くので、私は大嫌いでした。
もしそんな嫌な場所へ連れて行かれそうになると、私はすぐにべそをかいて体をねじくります。
そして行きたい方角を黙って指さすのです。
そうすると伯母さんは、まるで化け物の気持ちを読み取るかのように、間違いなく私の行きたい方へ連れて行ってくれました。
一番好きな場所は、今も神田川のほとりにある和泉町のお稲荷さんでした。
朝早くなど人がいないときには、川へ石を投げたり、大きな木の実のような鈴を鳴らしたりしてよく遊びました。
伯母さんは私を、埃のなさそうな石の上や、お宮の階段の上などにおろしてお参りをします。
お賽銭の穴あき銭が「からから」と落ちていく音を聞くのが面白かった。
どこの神様仏様へ行っても、伯母さんは何よりも先に「この子の体が丈夫になりますように」とお願いしてくれました。
ある日のこと、私が後ろから帯をつかまえられながら木柵につかまって川の方を見ていたら、水の上を白い鳥が行ったり来たりしながら魚を捕っていました。
その長い柔らかそうな翼をゆったりと羽ばたかせて静かに飛び回る姿は、すぐに苦痛を覚えてしまう病弱な子供にとって、本当に格好の眺めでした。
それで私はいつになく上機嫌でしたが、あいにくそこへ卵や麦粉菓子(むぎこがし)を背負った女の行商人が休みに来たので、例のごとくすぐに伯母さんの背中へくっついてしまいました。
女は荷をおろして被っていた手ぬぐいを取り、襟などを拭きながら、なんのかのと上手に愛想を言って、普段は人見知りな私を手なずけてしまいました。そろそろ背中から降りようかという頃には、もう麦粉菓子の箱を開けて私を釣りにかかっていたのです。
女は小判のような形の、香りの高い麦粉菓子を取り出し、指の先でくるくると回しながら「坊ちゃん、坊ちゃん」と私に持たせてくれたので、伯母さんは仕方なしにそれを買いました。
今でさえ、あの渋紙を貼った籠を大儀そうに肩から外して、中に入った籾殻(もみがら)に埋まっている白い卵やうす赤い卵、ぷんと匂いの上がる麦粉菓子などを見せられると、ありったけ買ってやりたい気持ちでいっぱいになります。
お稲荷さんはその後立派になり、賑やかにもなりましたが、あの時の柳だけは今も涼しげに揺れています。
六
お稲荷さんへ行かない日には、汚れた財布にお賽銭と木戸銭用の小銭を入れて、牢屋の原(牢屋敷の跡地)へ連れて行かれました。
そこは有名な伝馬町の牢屋の跡地で、いろんな見世物がしょっちゅう来ていました。
また、小さな行商人たちが露店を並べて、サザエのつぼ焼きや、はじき豆、蜜柑水(みかんすい)などを売り、季節になればトウモロコシや焼き栗、椎の実なども売っていました。
紅白の縞模様の幕を張った見世物小屋の入り口で、拍子木と下足札を抱えてあぐらをかいている男は、手を口に当てて「ほうばん、ほうばん!」と呼び立てています。
鎖につないだ山犬の鼻先に鶏をつきつけて悲鳴をあげさせる見世物もありました。
お皿を頭に乗せた怪しげな河童が、水溜まりの中で「ぼちゃぼちゃ」とやる見世物もありました。
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