初級翻訳・銀の匙 第9話

中 勘助

巴旦杏の古い木があって、雲のように青白い花を咲かせましたが、それは私たち兄弟にとって何よりの楽しみで、烏がやってくるのを気にしては追い払いに行ったものです。
大きな実が鈴なりになるので、枝がしなって地面についてしまいます。
手の届くところは手でちぎり、高い枝の実は打ち落として、重たい笊を抱えて帰るのです。
花壇には鬼百合や白百合が咲きます。
私はあまりに明るい色や、濃厚な色を見ると胸が苦しくなるような圧迫感を覚えるのが常でしたが、花でいえば百合の雄しべの先にこってりとついている焦げ茶色の花粉などが、まさにそうでした。

二十一

すぐ近くに閻魔様のお寺がありました。
地獄の釜の蓋が開く日がやってきて、陰鬱な鐘の音が人を急かせるように鳴り始めると、伯母さんは乗り気でない私に花色の帷子(かたびら)を着せ、唐縮緬のしごきを胸高に締めさせて、お参りに連れて行くのです。
お盆には決まってその帷子を着せられたため、花色という色そのものが、私を陰気な気分にさせるようになりました。
狭苦しい境内から門前にかけては、一杯五厘の氷屋や、おでん、寿司の屋台がぎっしりと並んで、ピーピー鳴る風船の音や、呼び込みの声などが砂埃の中でたまらない騒ぎを巻き起こします。
そして前掛けをした丁稚小僧たちが、まるで自分たちの閻魔様であるかのように、はしゃぎ回るのです。
私は特に、この手の人間たちが大嫌いでした。
二三段の石段を上がって、千社札がべたべた貼られた赤門をくぐれば、右手に小さな閻魔堂があって、お決まり通りの野暮ったい顔をした閻魔様が待ち構えています。
線香の煙がむんむんとこもる中で、町の子どもたちが「ギャンギャンギャンギャン」とひっきりなしに鉦(かね)を叩くので、頭が割れそうに痛くなります。それでも伯母さんはいつも撞木を借りて、私にも二つ三つ叩かせずにはおかないのです。
そうしてしっかりと閻魔様の顔を見せてから、ようやくそこを出ます。
ほっと息をつくと、今度は本堂にある「三途の川のお婆さん」のところへ連れて行かれます。
かなつぼまなこの真っ白な婆さんが、紅白の綿を何枚も頭に乗せて座っているのです。
私は不愉快な気持ちと、炎天下にさらされることで起きる激しい頭痛にいつも悩まされていましたが、それにもかかわらず、迷信深い伯母さんはあれこれと言って、毎年連れて行かずにはいられませんでした。
涅槃会(ねはんえ)の日には、煤けた寝釈迦様の掛け軸をかけ、その前に小机を据えてお供えものをします。
この虫食いだらけの軸と、お仏壇の上の真っ黒な大黒様の像とは、伯母さんの家の財産のたった二つの残りものでした。
伯母さんは小机の前に座ってお念仏を唱えながら、私にお線香をあげさせ、またいろいろとお釈迦様の話をして聞かせるのです。
お釈迦様の周りに集まっている象や獅子、阿修羅、緊那羅、龍族、天人といった面々は、この尊い迷信家の巧みな物語によって、みるみるうちに命を吹き込まれ、涙を流し始めるのでした。沙羅双樹(さらそうじゅ)の梢(こずえ)にたなびく雲の上から、美しい人が見下ろしているのは摩耶夫人(まやふじん)といって、お釈迦さまのお母さまだといいます。
その摩耶夫人が天から投げた薬の袋が沙羅の枝にかかっているのを、誰ひとり気がつかないのだ、などとお釈迦さまの涅槃(ねはん)を、まるで親との別れのように話して聞かされるので、私はお釈迦さまがかわいそうになって泣きました。

二十二

月三回の大日さまの縁日には、雨さえ降らなければ欠かさず連れて行ってもらいます。
私が伯母さんの袂(たもと)につかまって歩くために、伯母さんの羽織が片寄ってしまうので、道なかで立ち止まっては直していましたが、人通りの多いところなどでは、指を一本一本ほどかねばならないほど、ぎゅっとしがみついていました。
伯母さんの羽織の紐は私がこま結びに結び、私のは伯母さんが琴結びに結んでくれます。
大日さまへ行くと、お賽銭を投げさせて「お蝋をどうぞ」といいます。
お堂の中のぴかぴか光るあたりで「はい」と返事をすると、若い坊さんが蝋燭(ろうそく)を灯して本尊さまの前へ立て添えてくれます。
伯母さんは一心にお念仏を唱えて「さあ、これでええ」といって、また袂をつかませてお寺の門を出るのです。
それは、この子の病弱な体が治りますように、道を歩いても怪我をしませんように、などといろんなことを八の日、八の日までに考えておいて、大日さまにお願いするのでした。
縁日には大勢の乞食(こつじき)が出て、お寺の塀ぎわにずらりと並びます。
それが、私の行く時間にはまだ出そろわず、ちんばや躄(いざり)たちの中で足の速い奴が二三人、あんぺら(むしろ)を敷いたりして支度をしているのです。
私はいつとはなしに伯母さんの感化を受けて、そういった人たちに施しをしたあとで、淡いながらも底深い、子供らしい慈悲心の満足を覚えるようになりました。
乞食の中に、顔かたちの整ったひとりの女の盲目(めくら)がいて、琴を弾いているのがありました。
まだ今のようにお琴というものが広く行き渡っていない時期のことで、伯母さんは乳母とよくその噂をして、昔のお旗本か、さもなくば御殿奉公でもした者のなれの果てに違いない、といっていました。
彼女は聞き取れないほどつぶれた声で琴歌を歌います。
琴爪が糸の上をさらさらころころと滑っていくのも、雲のような木目(もくめ)のある胴の上に、雁(かり)の形の琴柱(ことじ)がちらばらに立っているのも、みな珍しく美しく見えました。

二十三

少し早く行けば、見世物師が蜘蛛(くも)のように小屋がけをしています。
そばには見世物につかう道具や、生き物の入った箱が置いてあるのを好奇心いっぱいに見ていると、やがて絵看板が掲げられます。
たいていは気味の悪いものばかりで、海の中を大きな眼玉の人魚が泳いでいるところだの、大蛇が二叉(ふたまた)の舌を出して鶏を飲み込もうとしているのなどでしたが、その中にときどき鼠(ねずみ)の芸当のものがあって、空色の看板にいろんな着物を着た無数のこま鼠が、日の丸の扇を持ったりして芸当をしているところが描いてありました。
私はそれがひどく気に入って、それのかかるたびには入ってみました。
南京鼠(なんきんねずみ)が幾匹も出てきて、荷車を引いたり車井戸を汲んだりします。
いちばん最後には、張子の倉の中から小さな米俵をくわえ出して積み上げるのをやりました。
茶色の斑点があるのや、真っ白なのや、入り乱れて走り回るのが可愛くてなりません。
鼠つかいは三十歳くらいの女で、そのころはまだごく珍しかった束髪(そくはつ)に帽子をかぶって、女異人のような格好をしていました。
女は鼠が俵を運び出すたびに「よいと、よいと、運んで、えっさっさ」と拍子をとります。
そそっかしい鼠の落とした俵が見物人の方へ転がってくることがあると、ほかの子たちはすぐに拾って投げ返してやるのです。
女は「ありがたうよ」と愛想よくほほ笑んで頭を下げます。
俵は私の前へもたびたび転がってきました。
私は拾ってやりたかったのだけれど、なぜか気ばかりはらはらして、どうしても手を出すことができませんでした。

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