初級翻訳・銀の匙 第26話

中 勘助

彼はふくよかな丸顔の頬についた、そら豆くらいの大きさのほくろを看板にして、学校中の人気者になっていましたが、人が面白半分に「蟹本さん、ほっぺたに墨がついているよ」と言うと、「ふ、ふ、ふ」と笑って、「すーみーじやーなーいーんーだ。ほーくーろーなーんーだ」と、おおらかに言うのでした。
彼は体とつり合わない小さなそろばんを、珠のひとつもついていない状態で斜めに肩にかけて、気の向いたときにぶらりとやってきては、嫌になればお稽古中であろうとなかろうとお構いなしに、さっさと帰ってしまいます。
「自分より劣った者を憐れむ」という、人間一般のさもしい利己的な同情心からすれば、この世に蟹本さんくらい自由な境地を持っている人はいませんでした。
それでも生きている以上、機嫌のいい日と悪い日があり、悪い日にはたいてい顔を見せませんが、たまに出てきてもニコリともせずに机にうつむいています。
そのうち何を考え出すのか、急においおい泣き出して、気が済むまで泣きつくすまではどうしても泣き止みません。
そうしてその不幸で暗い胸に、人知れず湧いて溜まった悲しみを、遠慮のない大声で泣き枯らしてしまえば、例のそろばんを肩にかけて、けろりとして帰っていくのでした。
そんな日には、たとえ誰かが言葉をかけたとしても、不仕合わせで人のよさそうな笑顔さえ浮かべず、「ひぎやあ」とオウムのような声を上げて相手を追い払うのが常でした。
けれど、何かの拍子にご機嫌の麗しいときには、頼みもしないのに「あたいが馬になってやろう」なんて言うこともありました。馬としては背は高く、力はあり、ぶくぶくと太って乗り心地のいい名馬でしたが、気が向かなくなると大将同士の組み討ちの最中でもお構いなしに棒立ちになってしまう、手のつけられない暴れ馬でもありました。
彼の奥底の知れない沈黙、その沈黙の底から溢れ出す涙。私はなんとかしてその正体をつかまえようと思い立ち、それからはみんなが笑うのも構わず、努めて彼に近づくようにしました。
私は彼の機嫌のいい折を見ては「おはやう」とか「さやうなら」といった短い挨拶をかけてみましたが、彼は皇帝が臣下に対するような会釈さえ返してくれません。
それでも構わず、飽きもせず続けているうち、ある日彼はシラミのように張り付いていた自分の席を離れ、ひょこひょことそばへやってきて、例の舌足らずな口調で、
「〇〇さーんーはーいーいーひーとーだ」
と言うなり、「ふ、ふ、ふ」と笑って行ってしまいました。
私にはそのひと言が、飛び上がるほど嬉しかったのです。
彼の言うことには、微塵も嘘はありません。
すでにそのころ、人の言葉には嘘があることをあまりに多く知りすぎていた私には、たわいもなく気まぐれなそのひと言がしみじみと身にしみて、「きっと友達になれるだろう、そうしてこの気の毒な人を慰めてやることができるだろう」と、もうその暗い扉の鍵が手に入ったかのように喜びました。
そこで私は「今日こそは」と思って隣の席へ行っては何かと話しかけてみたのですが、ニヤニヤ笑うばかりでさっぱり話が進みません。
そのうち彼は黙り込んで、机にうつむいてしまいました。
と、やがて奥の手を出して、「ひぎやあ」と見事な一喝を食らわせたのです。
日ごろの苦心も、オウムのひと声でまんまと水の泡になりました。
蟹本さんは、私のように「望ましい連れ」がいないゆえに余儀なくひとりでいるのではなくて、はじめから本当に何もいらない人だったのでした。四

兄は、その年頃の者が誰しも一度は抱くような、自分を大きく見せたいという気負った好奇心と親切心から、生まれつき自分とはまったく性格が異なり、進むべき道も違うはずの私を、厳しい教育の力によって無理やり自分と同じ方向へねじ曲げようと必死でした。
兄は「釣りバカ」と言われるほど釣りが大好きだったので、日に日に道から外れていく哀れな弟を救い出すには――自分と同じ人間にするには――とにかく釣りを仕込むに限ると考えたのでしょう。学校が休みだと言うたびに尻込みする私を無理やり引っ張り出し、機嫌を損ねるのが怖くて仕方なくついていく私に釣り道具を担がせ、兄が言うところの理想的な釣り堀、私から言わせればとびきり嫌な釣り堀がたくさんある本所まで、てくてくと歩いていくのです。
道中、私は帽子が曲がっているだの、首が凝っているだの、売り出しの提灯に見とれているだの、手の振り方が左右バラバラだのと、頭のてっぺんから足の先まで小言を言われ続けました。気苦労と遠回りでへとへとに疲れた挙句、ようやく釣り堀の旗竿をくぐってほっとしたのも束の間、すぐにじめついた堀の縁に座らされ、「ああ、またここで一日過ごすのか」と思うと、やる気も気力も消え失せてうんざりしてしまいます。
どろどろとした悪臭を放つ堀に打ち込まれた杭には、青苔がびっしりと盛り上がっています。
赤錆の浮いた隅っこのよどみには、水蟷螂がアメンボを捕らえたり、タガメがひょこひょこと潜ったりしています。
そんなものを見るだけでも気分が悪くなるのに、近所の工場から鉄板をたたく音が「どんがんどんがん」とひっきりなしに響いてきて、頭が割れそうに痛くなってくるのです。
兄は私がミミズの切り方がうまくなったと感心してくれますが、そんなことは少しも嬉しくありません。
私はあてがわれた一本の竿をもてあまし、表面上は油断なく浮きをじっと見つめるふりをしながら、「自分はなぜ釣りが好きにならなければならないのだろうか」などと、次から次へと面白くないことばかり考えていました。すると、普段は近眼で弱っているはずの兄は、釣り堀に来ると急に冴えわたった目をいくつも持ったかのように、自分は五本も七本も竿を並べながら、「ほら、引いてるじゃないか」などと、いつの間にか他人の浮きまで監視しているのです。
釣り上げると今度は「すくい方が下手だ」「針の外し方が雑だ」と怒鳴られるので、「早く逃げてくれればいいのに」と思いながら、だらだらと無作法に釣り上げます。
すると、泥だらけの黄色い腹が見えたりするのを「汚い鯉だな」と思って眺めていると、兄が癇癪を起こしてタモ網を投げつけます。
その隙に、魚はたいてい針を外して逃げてしまうのでした。
そんなふうにして、ようやく一日の苦行を終えて帰る段になると、今度は生臭いビクがまた重荷となります。
さらに、これも教育のためだと言って、私の嫌がる道――古道具屋や倉庫、荷車や溝などがある道、電線が風に鳴る道、屋台が並んだ道――をわざわざ遠回りして歩くのです。
叱られ続け、疲れきった足で兄の後ろを小走りについていくのですが、遠回りを繰り返すので、家に着く前に日が暮れてしまいます。
その時の不愉快さと不平……そんな気持ちで夕空に一つ二つ輝き始めた星を見上げます。それは伯母さんが「神様や仏様がいるところだよ」と教えてくれた星。その星を心の支えにして懐かしく見とれていると、兄は私が遅れることに腹を立てて、「なにをぐずぐずしている」と言います。
ハッとして「お星様をみていたんです」と言うのを、聞きもせずに「ばか。星と言え」と怒鳴りつけるのです。
哀れな人よ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました