そこで今度は、通りがかりのおじいさんに話したところ、おじいさんは造作もなく引き受けてくれて、「ともかく自分の家へ来れば、善光寺へ行く飛脚と一緒に立たせてやる」と言ってくれました。
ばあやはそれを真に受けておじいさんについて行ったのですが、一ヶ月も百姓の手伝いをさせられるばかりで、一向に善光寺へ行かせてくれる様子はありません。
それでとうとう一人で奉公に出て、どうにかこうにか道連れを見つけて善光寺へと向かいました。
その途中、ばあやはある宿で、「不思議な縁によって」自分を乗せた駕籠屋や、宿屋の亭主、宿場役人などの仲立ちで、岡っ引きの男と一緒になることになりました。
ところが、どうしたことかその男がいやでいやでたまらず、逃げ出そう逃げ出そうと思いながらも、結局そのまま何年か暮らしたのち、ようやく宿願がかなって善光寺へお参りすることができました。
しかし、あいにくそこで二人ともひどい天然痘にかかってしまい、バタッと床に伏せってしまいました。
その後、ようやく体の自由がきくようになってから、少しは覚えのあった傘張りを商売にしてあちこちの借金を返すうちに、ある寺の台傘(大きな傘)の仕事をもらったのが縁となって、あちこちの傘を張りながら国へ帰るつもりで〇〇まで来るには来ましたが、どうしても関所を越えることができません。流れ流れて、ついにここから遠くないある町に落ち着いて傘屋を始めました。
それが運よく繁盛して相応な店になり、弟子を何人か置いたりもしましたが、おじいさんが目を悪くしたので商売をやめ、好きな花を植えて売るようになりました。
おじいさんが六十九歳で九年前に亡くなってからはだんだんと落ちぶれて、今の有様になったのです。
ばあやは半日の日には朝早くから籠を背負って花を売って歩きます。
人に可愛がられてお菓子やおかずをもらうので、一日の米二合半の代金である五銭さえあればいいし、それにあと一年半で死ぬというお告げを受けて永代経もお願いしてあるし、葬式の費用はボロ家ながら今住んでいる家を売ればできるので、何も心配はないといいます。
ばあやは紫の風呂敷に包んだ汚い帳面を持ってきて、「これに何もかも書いてあります」と言うので開いてみたら、明治二十二年ごろからの夢や謎が、いろんな手書きの文字でごちゃごちゃに書いてあります。
表紙には「御夢想灸点の記」とありながら、その肝心のお灸の話は一つもありません。
いろはの「い」の字も読めないので、頼んだ書き手の不親切さにも気づかず、自分の話したことは残らず書いてくれたものと思い込んでいるばかりか、何かの拍子に紛れ込んだ売薬の広告まで丁寧に折りたたんで挟んでいます。
そうして自分では読めもしないのに、そばから覗き込みながら、「弘法様にもお目にかかりました」「お観音様にもお目にかかりました」と言うのです。
彼女がこんなふうに隔てなく接してくれるのは、私がはじめに考えたような理由や、また人が馬鹿にして相手にしないような迷信めいた話を私が真面目に聞くためだけではない、ということが分かったのは、それから何日かたってからのことでした。
ばあやは私をひと目見て、「ああ、仏様との縁が深い方だね。お坊さんになっていたらよかったのにねえ」と思ったそうです。
「もっと何か思ったことはないか」と聞くと、顔中を皺くちゃにして、「へえ、もう何も」と言いながらも、一つも嘘は言えず胸にしまっておけない性格で、そう言うそばから「あなたは良いお嫁さんには恵まれませんよ」と言い出すのです。
どうやら私は仏縁が深いけれど、人が邪魔をしたために坊さんにもなれず、これからも何かと邪魔される運命なのだそうです。そこで私が、
「それじゃあ、仏様との縁が深くてもダメなのかなあ」
とため息まじりに言うと、ばあやは真顔になって、
「何を言ってるのさ。だからこそ、これから一心に信心すればいいんだよ。あんた、仏様の力は広大なんだからねえ」
と、自分を忘れるほど熱心に力を込めて言いました。
そして、
「私たちと違ってあんたは目がしっかり見えるんだから、お経を読みなさい」
と言いながら、私の手のひらの筋を見て、
「小さな邪魔の筋はみんな消えていますよ。もう、ちゃんと仏様の本願をいただいているんだから、少しばかりの自分の力なんて捨ててしまいなさい。あんたは本当に悪いお方だねえ」
と言って、手を離しました。
十九
ある日の午後、私は後ろの山の頂上に見える大きな松を目当てに登っているうちに、いつの間にか道に迷って、道すらない谷間へ入り込んでしまいました。
私は背丈よりも高い藪をめちゃくちゃにかき分けながら、あちこちの木々の枝に頬をひっぱたかれ、軍配団扇(ぐんばいうちわ)のような葛の葉に足を刺されながら、息が詰まりそうな深い場所から、ようやく一つの峰へと抜け出しました。
その峰は、海に向かって開けた奥深い谷の真ん中へ向かって、牛が寝そべって頭を出したような格好をしています。
私はその背中から、むっくりと盛り上がった肩の方へ、うねうねと伝っていきました。
赤茶けた花崗岩の細かい砂が、鮫の皮みたいに固まっている場所には、枯れかけた小松がカサカサにへばりついていて、木の実を食べた鳥のフンがあちこちに落ちています。
私は、油断すると谷の方へ滑り落ちそうになるのを、手足の先に力を込めて、ザラザラの岩に必死にしがみつきながら、ようやくの思いで肩にあたる瘤(こぶ)の上へよじ登りました。
ギラギラと光の満ちた空を、太陽がカッカと燃えながら飛んでいきます。
そこからなだらかに下っている首筋のような道を一町(約百メートル)ほど下る間、両側の崖はますます険しくなり、谷はどんどん深くなって、最後には鼻先ほどのわずかな平地を残して、行き止まりの絶壁になってしまいました。
ここは、この海岸に沿って三里(約十二キロ)の間、千尺二千尺もの高い山脈から海の方へ向かって、いたるところに枝分かれして無数の渓谷を作っている山並みの、その三つの枝のうちの一つが、根元を海に浸食されて、逆に楔(くさび)を打ち込んだような形になっている場所なのです。
後ろは峰、谷の向こうにはそれよりも高い岩壁が屏風のように巡っていて、青空を天井とした不思議な殿堂を作っています。
頭の上で、しり上がりの鳴き声を響かせている隼(はやぶさ)は、ときどきサッと急降下して目の前をかすめては、また空高く舞い上がります。
右手の谷間を見下ろすと、真っ黒に茂った森の中を一本の道が縫うようにうねって、山脈を突き抜けて向こうの村へと下っていきます。
そのほんのわずかな隙間から、山また山が赤く、薄赤く、紫に、ほの紫に雲と連なって、折り重なり、畳み重なって、果てしなく続いているのが見えます。
私は、一種の恐怖を交えた讃美と歓喜に満ちて、声を張り上げて歌い始めました。
木霊(こだま)! それはちょうど山の陰に誰かが隠れていて、後を追うようにハッキリと繰り返してきます。
私はその姿を見せない歌い手の歌にそそのかされて、できるだけ声を張り上げて歌いました。
さっきも同じように、負けじと声を張り上げて歌いました。
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