中からは、ガチョウが鳴き立てている声が聞こえてきます。でも、どうしても戸は開きません。
後ろからは、自分を追いかけてくる人たちがますます近づいてきます。しかも、部屋の中ではガチョウがいよいよ悲しそうに鳴き叫んでいるではありませんか。せっぱ詰まったニールスは、勇気を振り絞って力任せに戸を叩きました。
と、どうでしょう。不思議にも、戸が開いたのです。
中を覗くと、土間の真ん中で女の人がガチョウを押さえつけ、いましも大きな羽根をハサミで切ろうとしているところでした。ガチョウを見つけて捕まえたのは、この女の人の子どもたちだったのです。
しかし、この人はガチョウを殺そうというのではありません。自分のところで飼っているガチョウたちの仲間に入れるつもりで、ただ飛んで逃げないように、羽根を切ろうとしていたのでした。けれども、ガチョウにとってはこんな恐ろしいことはありません。それで、声を限りに鳴き悲しんでいたのです。
でも、羽根を二枚切り落とされたときです。ありがたいことに戸が開いて、チビさんのニールスが敷居の上に姿を見せました。
すると女の人は、今までこんなちっぽけな生き物を見たことがないものですから、びっくりして思わずハサミを落とし、手を打ち合わせました。その拍子に、ガチョウを押さえるのを忘れてしまったのです。
ガチョウは、放されたと気づくやいなや、すぐ戸口のほうへ走りました。そしてニールスのシャツの襟をくわえると、そのまま抱えて飛び去ったのです。入口の段々のところまで来ますと、はねをひろげて、さっと空に舞いあがりました。
そのときには、もう、ニールスは、スベスベしたガチョウのせなかにのっかっていました。
こうして、ふたりは飛んでいきました。
ヴィットシェーヴレの人びとは、あっけにとられて、そのあとを見送っていました。
エーヴェードスクローステル公園にて
ガンたちがキツネをからかっていた日、ニールスはずっとリスの空巣にねころんで、ねむっていました。
夕方になって目をさましますと、ひどく悲しくなってきました。
「きっと、もうじき家へ帰されるんだろう。
そうなりゃ、どうしたって、おとうさんとおかあさんにこのみじめな姿を見られるんだ。
」と、思ったのです。
ところが、ヴォンブ湖で水浴びをしたり泳ぎまわったりしているガンたちのそばへいっても、だれからも帰れとは言われませんでした。
それで、「ガチョウの白があんまりくたびれているもんだから、ぼくをのっけて帰れとは言わないんだな。
」と、ニールスは思いました。
あくる朝、ガンたちは、お日さまののぼるずっとまえに目をさましました。
いよいよきょうは、家に帰されるにちがいありません。
ところが驚ろいたことに、ガンたちは、ふたりとも朝の旅にいっしょについていってもいいというのです。
ニールスは帰されるのがどうしてのびたのか、そのわけはよくわかりませんでしたが、長い旅なんだから、ガチョウがおなかいっぱいたべてから、きっと帰すつもりなんだろう、と思いました。
まあ、そんなことはどっちでもかまいません。
これから、おとうさんとおかあさんに会うまでのあいだは、ゆかいにすごしてやろう、と心にきめました。
ガンのむれは、エーヴェードスクローステル荘園(貴族などの地方の領地)の上に飛んできました。
それは湖の東がわにある美しい公園の中にあって、見るからにすばらしいところでした。
大きなお城がそびえ立ち、低い壁と離れ屋にかこまれた中庭には、美しく石がしきつめてあって、古風な庭園はいかにも優雅です。
庭園には、きれいに刈りこまれた生垣や、あずまやや、池や、噴水や、珍らしい大木や、短く刈りこんだ芝生が見えます。
その芝生には花壇があって、色とりどりの春の花が、咲きみだれています。
ガンたちが荘園の上に飛んできたのは朝早くでしたので、まだ人の姿は見えませんでした。
みんなは、だれもいないことをはっきりたしかめてから、犬小屋の近くへおりていって、さけびました。
「これはなんてちっぽけな小屋なんだろう! これはなんてちっぽけな小屋なんだろう!」
その声を聞きつけるが早いか、犬は怒って小屋からとびだしてきて、吠えたてました。
「これを小屋だっていうのか? この宿なしどもめ! 大きな石づくりのお城のあるのが目にはいらないのか? あのりっぱな壁や、たくさんの窓や、大きなとびらや、美しいテラスが見えないのか? ワン、ワン、ワン。
これでも小屋だってのか? 中庭や、庭園や、温室や、大理石の像が見えないのか? これでも小屋だってのか? 犬小屋ってもののまわりには、ブナの木立や、ハシバミのやぶや、こんもりとした茂みや、カシワの木や、モミの木や、おまけに、えもののいっぱいいる猟場まで持った公園があるのか? ワン、ワン、ワン。
これでも小屋だってのか、きさまらは? 村ぐらいもあるたくさんの離れ屋を持った小屋ってものを見たことがあるのか? 自分の教会と自分の牧師館を持っていて、おまけに、お屋敷や農家や小作地や、お役所までも支配している小屋ってものを知ってるとでもいうのか? ワン、ワン、ワン。
きさまらは、これでも小屋だってのか? いいか、この小屋にはな、スコーネじゅうでいちばんすばらしいものがあるんだぞ、このこじきどもめ! そんな高いところにぶらさがっているきさまらには、地面なんかはこれっぱかしも見えやしないんだ! ワン、ワン、ワン。
」
犬はこれだけのことを、いっきにまくしたてました。
そのあいだ、ガンたちは荘園の上をいったりきたりして、犬の言うことを聞いていましたが、犬が一息つきますと、こうさけびました。
「きみは、どうしてそんなに怒ってんだい? ぼくたちはお城のことなんかききゃしないよ。
きみのお宅のことをおたずねしたまでさ。
」
ニールスは、ガンたちがこんなふうにからかっているのを聞いて、思わずふきだしてしまいました。
と、そのとき、ふと、ある考えが浮かんできて、すぐにまじめになりました。
そして、
「ああ、もしガンたちといっしょに、スウェーデンじゅうを通ってラプランドまでいけたら、ずいぶんおもしろいことが聞けるだろうなあ!」と、ため息をつきながらひとりごとを言いました。
「こんなあわれな姿になってしまったいまでは、そういう旅でもするのが、いちばんの楽しみなんだ。ガンたちは、大きな屋敷の東側にある広い畑にビューンと飛んでいって、そこで2時間くらい草の根っこをムシャムシャ食べていました。その間、ニールスは畑の隣にある大きな公園の中に入って、ぶらぶら散歩していました。ハシバミの木の枝を見上げては、去年の秋の木の実が残っていないかなって、一生懸命探していました。こんなふうに公園を歩き回っている間も、「もうすぐ家に帰されちゃうのかな」ってことが、頭から離れませんでした。「それにしても、ガンたちと一緒に旅ができたら、どんなに素敵だろう! もちろん、お腹が空いたり、凍えそうになったりすることも、しょっちゅうあるだろうけど。でも、その代わりに、働いたり勉強したりしなくていいんだから!」なんて、何度も何度も想像してみるのです。
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