初級翻訳・「ケット」と「マット」 第5話

「ケット」と「マット」

つまり、「クル」と呼んだり、「コル」、「コロ」などと呼んだりするものは、どれもみな同じ言葉であり、いわゆる「ウラル・アルタイ語族」に共通する言葉だったらしく、それがアイヌの人たちにも取り入れられたのでしょう。

そして、私たちの日本語の中にも、かつてこれによく似た言葉があったようなのです。
私たちが人間の数を数えるとき、「ヒトヒト」「フタヒト」とは言わずに、「ヒトリ」「フタリ」と言いますよね。
これは「ひとりの人」「ふたりの人」という意味です。
また、人の名前や立場を呼ぶ言葉として、「ワ(我=われ)」「ナ(汝=なれ)」「カ(彼=かれ)」という言葉の後ろに「レ」をつけて、「ワレ」「ナレ」「カレ」と言います。
これは、「ワという人」「ナという人」「カという人」という意味なのです。
あるいは、宮殿に仕える人のことを「トネリ(舎人)」と言ったり、村のリーダーを漢字で「村主」と書いて「スグリ」と読んだりするのも、こうした古い言葉の名残なのです。スグリは、結局のところ「スキ」、つまり「村の人」という意味なんだろうね。
つまり、この「リ」や「レ」という音は、もともとさっき出てきた「クル」「コル」「コロ」といった言葉と同じで、それが縮まったものなんだ。これを見ると、昔の日本語でも同じような言い方があったことがよく分かるよね。

あの神武天皇(じんむてんのう)が詠んだと伝えられている歌の中に、「えみしをひとり、百なひと」というものがあるんだ。
これは、エミシの勇ましい戦士「一人」に対して、我ら天孫民族(てんそんみんぞく)は「百人」で立ち向かう、という意味なんだ。ここでは、ほかの土地の民であるエミシに対して、自分たち天孫民族の方に「ヒト」という言葉が使われているんだよ。

ところが、その「ヒト」という言葉がだんだん広い意味で使われるようになっていったんだ。
先住民族や日本にやってきて仲間になった外国の人たち(帰化人)も含めて、天孫民族とひとつに混ざり合って出来上がった「一般的な日本民族」全体のことを「ヒト」と呼ぶようになったんだね。そしてしまいには、人類全体を意味する漢字の「人」という字が使われるようになって、かつての「クル」や「コル」「コロ」に似た古い言葉は使われなくなって死語になってしまったんだ。
だからこそ、たくさんの人間がいる中でも、特に皇族から枝分かれした人こそが「本当のヒト(真人)」だという考え方から、「マヒト」という特別な呼び名が生まれたんだろうね。

ここまでが、八つのめでたい姓のトップである「真人(まひと)」という言葉の由来の説明だよ。
それと同じように、「ヒト」という言葉がさらに広がって、「エミシも人間(ヒト)なのだ、ただ毛がたくさん生えているから『ケビト』と呼ばれるようになったんだ」となったとき、これに対抗して「日本民族こそが本当の人間なのだ!」という意味を込めて、先住民族である毛人たちと接する日本民族のほうを「マヒト」と呼ぶようになったんじゃないかと考えられるんだ。

そうだとすれば、ここで言う「マット」とは、「ケット」に対する「一般の普通の人間」という意味でなければならないね。
しかもそれが、ある限られた特別な地方の人たちだけに今も使われているのは、いわゆる「ケット」と接して、彼らから恐れられて「マットのむじな(マット狢)」などと呼ばれたからこそ、その地域の人たちにだけ言葉として残ったのだと考えることができるんだよ。

五 「マット狢」ということ

「マット狢」という言葉は、ケットの村の近くである、今でも越後や信濃の山奥の地域で使われていて、その言葉を使って真人村(まひとむら)の人たちをからかうことがあるそうなんだ。
特に、子どもたちが「マット狢だ!」と言って怖がり、自分の眉に唾(つば)を付けるというおまじないをする風習があったというのは、とても面白い事実だよね。

そして、その言葉の意味を説明するときに「マットとは、人をだますからそう呼ばれるのだ」と言われるのは、いわゆる真人村の住民にとってはとんでもない大迷惑な話だろうけれど、実際にケットと接する人たちの間には、昔そんな出来事が本当にあったのかもしれないね。

ヨーロッパの人が未開の人たちに対して、火薬を「ネギの種だ」といつわって、高い値段で品物と交換したというお話もあるんだ。
利潤を求めて山奥にまで入り込むような人間というのは、素朴な山の住民をだまして自分だけの利益をむさぼろうとすることが、十分にあり得ることなのだ。

去年の七月に北海道へ旅行して、五十年間ものあいだアイヌの人たちの教育に全力を注いでこられたイギリス人のバチェラーさんたちといっしょに、長官のお昼ご飯の会に招かれたときのこと、バチェラーさんがこんなお話をされていたよ。
「最近、アイヌの人たちがよく人をだますんです。だから注意をすると、アイヌの人たちは『これはシャモ(和人=日本人)の真似をしているだけです』と答えるんですよ」とね。

北海道に入り込んで、アイヌの人たちを相手にひと儲けしようとするような連中は、実際、純粋で素朴な彼らをだまして、価値のないものを高く売りつけたり、お酒を飲ませて酔った勢いに乗じて彼らの大切な宝物を巻き上げたりするという話を、本当によく耳にするんだ。

その後、旭川新聞の記者である近江正一(おうみしょういち)くんが書いた『伝説の旭川』という本を読んでみると、その中に「アイヌのユーモアや悪ふざけは、実は和人の罪である」というこんな一節があったんだ。

「今日でこそアイヌは和人以上にずる賢いところを見せているけれど、当時は(明治の初めのころは)とても純朴で、まるで神様のようにピュアだったそうだ。
お年寄りの話によると、ラムネの瓶(びん)の中に入っているガラス玉を『これはすごい宝玉だ』といつわり、焼酎を二、三本も飲ませてベロベロに酔わせ、貴重なクマの毛皮やシカの毛皮と、そのラムネのガラス玉を交換した悪質な和人も少なかったそうだよ。
アイヌの人たちもだんだんそのことに気づいて、『和人はずるい奴らだ』と分かるようになり、やがて逆に和人をだますようになっていった。
彼らをずる賢く変えてしまったのは、和人の罪だと言っても過言ではない。」

――と書かれているんだ。
いわゆる「マット狢」のような人たちは、明治時代の北海道にもたくさん入り込んでいたというわけだね。
もちろん、和人のすべてが人をだます詐欺師というわけではない。
しかし、わざわざ未開の土地に入り込んで一獲千金を狙おうとする連中には、こういう人間が多かったのだ。
本当にぞっとする話であり、恐ろしいことだ。
「マット狢」という言葉を聞くたびに、私は感慨がとても深くなるのを感じざるを得ないんだよ。

考えてみると、私たちの天孫民族の国家の発展というものは、「豊葦原の瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)を、安心で平和な国として穏やかに治めなさい」という天の神様からのご命令(お告げ)をしっかりと信じる、強い信念のもとで行われてきたものなんだ。

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