そして遂には王様まで、自分の子は神の生まれ変わりではないかと思われるようになりました。
けれど、王子にも、ただ一つ自分の思うようにならないことがありました。
それは毎晩月を出すことが出来ないことでありました。
月が輝いた晩でなければ、千草姫は迎えにきてくれませんでした。
宵に月が出る時は、いつも矢車草の森の精が御殿の庭まで迎えに来てくれました。
王子は千草姫の所に行って、御殿の戸がしまる十時少し前に帰って来られました。
ところがある晩、いつものように白樫の森の中の芝地へ王子が行かれますと、千草姫は非常に悲しそうな顔をして立っていました。
またその晩は、森の精さえ一つも出て来ませんでした。
王子は何となく胸をどきどきさせながら、姫にたずねられました。
「今晩はどうなされたのです」
「今に悲しいことが起こって参ります」と千草姫は答えました。
王子はいろいろたずねられましたが、千草姫はどうしてもわけを言いませんでした。
ただ「今にわかります」と答えるきりでした。
王子と千草姫とは黙って芝地の上に坐っていました。
月の光りが一面に落ちて来て、草の葉や花びらや木の葉をきらきらと輝かしていました。
やがて千草姫はほっと溜息をついて言いました。
「もうお目にかかれないかも知れません」
それをきくと、王子は急に悲しくなりました。
「お時間じゃ、お時間じゃ、御殿のしまるお時間じゃ」と、うしろで歌う声が聞こえました。
見ると、いつのまにか矢車草の森の精がうしろに立っていました。
それでも王子は帰ろうとされませんでした。
けれど千草姫は、むりに王子を慰めて帰らせました。
王子にはどうしても、千草姫に逢えないというわけがわかりませんでした。
そして「千草姫は自分の亡くなったお母様ではないかしら」と、ふと思われました。
それで、たずねてみようと思ってふり返られると、もう千草姫はそこにいませんでした。
王子は御殿の庭に立ったまま、も一度千草姫に逢わなければならないと決心されました。
三
それから王子は、月のある晩はいつも庭に出て、森の精を待たれました。
けれど森の精は一向迎えに来てくれませんでした。
王子は悲しそうにお城の裏門の方を眺められました。
その鉄の戸は厳しく閉め切ってありまして、いくら王子の身でも、それを夜分に開かせることは出来ませんでした。
王子はいろいろ思い廻された上、遂にお守役の老女にわけを話して、白樫の森に行けるような手段を相談されました。
老女は大層王子に同情しまして、いいことを一つ考えてくれました。
ある日王様が庭を散歩していられます所へ、王子と老女とが出て参りました。
老女はこう王様に申し上げました。
「このお庭は、月夜の晩はそれはきれいでございますけれど、あまり淋しすぎます。
お月見の時に一晩だけお城の門をすっかり開いて、城下の人達を自由にはいらせて、皆で踊らせたらどんなにかおもしろいことでございましょう」
王子も傍から申されました。「それはおもしろい。お父様、そういたそうではございませんか」
二人が熱心にお願いするものですから、王様もとうとう引き受けてくださいました。
そしてすぐに、その準備をするように家来たちに命じました。
その晩のお城は、ものすごい大賑わいでした。
王様は高いやぐらに登って、たくさんの家来たちとお酒を飲み交わしました。
お城の門は、表も裏もすっかり開け放たれ、町の人たちが大勢やってきました。
みんなめいめい綺麗に着飾って、お城の庭で楽しく踊りました。
あちこちで様々な音楽が奏でられます。
晴れわたった空には、冴えわたる月がぽっかりと浮かんでいました。
この夜は、明かりをともすことが一切禁止されていました。
お城全体が、月の光、音楽、ダンス、そして良い香りに包まれて、まるで生き物のようにわき返っていました。
王子は、お世話役の老女と二人のそっと裏門から抜け出しました。
そして、老女を白樫の森の入り口で待たせ、自分一人だけで森の中へ入っていったのです。
ところが、いつもの開けた場所まで行ってみても、誰も姿を見せませんでした。
あたりはしんとしていて、高い木のてっぺんから月の光がしずくのようにぽとぽとと落ちてくるばかりでした。
お城の中の楽しげなざわめきが、遠くの方でかすかに響いていました。
王子は長い間、ずっと待ち続けました。
目に涙をいっぱいためて、「千草姫、ぼくだよ!」と叫び声をあげました。
けれど、姫も森の精たちも、姿を現してはくれませんでした。
とうとう王子は涙をぬぐいながら、諦めてすごすごと引き返していきました。
森の入り口で待っていた老女が何か尋ねても、王子はただ悲しそうに首を横に振るだけでした。
王子はいろいろと考え込みました。
どうして千草姫は出てきてくれなかったのだろう。
悲しいことが起こると言っていたけれど、それは一体どんなことなのだろう。
姫は亡くなったお母さんのような気がするけれど、本当にそうなんだろうか。
どうして何も教えてくれないのだろうか。
そうしているうちに、その「悲しいこと」が実際に起こってしまったのです。
町のある大金持ちが、白樫の森の木を根こそぎ切り倒して材木にし、その跡地を畑にしてしまおうと言い出したのです。
町にはだんだんと人が増えてきて、新しい家を建てるための木材がたくさん必要になったし、作物を育てるための田畑もたくさん欲しくなったからでした。
誰も反対する人がいなかったので、王様も大金持ちのお願いを許してしまいました。
王子はその話を聞いてひどく驚き、お父様に何度もやめるようにお願いしましたが、「すでに許してしまったことだから」と言って、王様は聞き入れてくれませんでした。
王子は悲しくて悲しくて、毎日のようにつまり込んでふさぎ込んでいました。
けれどもそんなことにはお構いなしに、白樫の森は一日一日と失われていきました。
ただ一つ不思議なことに、森の大きな木が切り倒されるたびに、どこからともなく不思議な声が響いてきたのです。
――鳥、鳥、赤い色――鳥、鳥、青い色――鳥、鳥、紫――鳥、鳥、緑色――鳥、鳥、白い色……そしてその声がするたびに、赤や青や紫や白や黒や黄色、その他いろんな色の鳥たちが、森からバサバサと逃げ出していくのでした。
王子は森のそばに立ち尽くし、鳥たちが飛んでいくほうを悲しそうに見つめていました。
けれど、木を切っているきこりたちには、そんな声は少しも聞こえませんでした。それに彼らは、いろんな色の鳥を見ても、特に気味悪がったり怪しんだりもしませんでした。
森の木は、るんるんと、ぐんぐんとなくなっていきました。
ついに、森の奥にある開けた場所のすぐ近くまで木が切られてしまった時、王子はもうじっとしていられなくなりました。
その日の晩はちょうど満月で、いつもよりも月の光が一層美しく輝いていました。
王子は一人でお城の裏門までこっそり近づきましたが、門はしっかりと閉じられていました。
王子は悔し涙にくれながら、誰かが門を開けてくれるまでは、一晩中だってここを動かないぞと、固く心に決めました。
その時、なんと不思議なことに、門の扉がすうっとひとりでに開いたのです。
コメント