初級翻訳・お母さんは僕達の太陽 第1話

お母さんは僕達の太陽

子どもというものは、自分のお母さんのことを絶対的な存在として信じきっています。
そのお母さんに対して、「もっとこうしてほしい」なんて文句や注文を持つことがあるとすれば、それはずいぶんと大きくなってからのことでしょう。
たとえば、お母さんにお願いしたことをきちんとやってほしいとか、ほかのお友達の教養のあるお母さんのように自分の気持ちを分かってほしいとか、もっと身なりをきれいにしてほしいとか、言葉づかいをもっと上品にしてほしいとか、おそらくこうした不満なら、数え切れないほどあるかもしれません。
しかし、心の中でそんなふうに要求を持つことがあったとしても、冷ややかな目で批判的にお母さんを見るようなことはありません。
いつの時代であっても、子どもにとって自分のお母さんは絶対的なものに見えるのです。
そして、子どもたちはそれを心から本当のことだと思っています。
特に、まだ小さな幼児の頃には、お母さんはまさに「太陽そのもの」であり、お母さんのすることすべてが正しく、美しく、そして素晴らしいことに感じられたはずです。
実に、子どもの目には、お母さんは「人間そのもの」の生まれ変わりであるかのように感じられるのです。
お母さんの素晴らしいところは、汲んでも汲み尽くすことのでえない、その深い愛情にあります。
お母さんは、子どものためなら、どんなにつらいことでも「嫌だ」と言ったことはありません。
それが正しいことさえであれば、必ず叶えてくれるのです。
「美しいもの」といえば、それはお母さんのお顔です。
その顔は、どれだけ見つめていても見飽きることがないばかりか、しばらくその顔を見られないだけで、寂しさに耐えられなくなってしまうほどでした。
そんなお母さんに対して、子どもが何か注文をつけることなど、あるはずがありません。
もし子どもに一つだけ願い事があるとしたら、それは「いつもお母さんが自分のそばにいてくれること」、ただそれだけなのです。
世の中のお母さんたちはみんな、この子どもの心をよく理解しなければなりません。
この子どもの気持ちさえ知っていれば、お母さんたちはいつも公平で、そして優しくあれるはずです。
子どもが外から家に帰ってくる時、どれほど胸が熱くなるような懐かしさを抱いているか、お母さんには分からないでしょう。
玄関のドアをまたぐや否や、「お母さん!」と叫ばずにはいられないのです。
「はーい」というお母さんの優しい声を聞いたとき、子どもは本当にうれしく、心からの満足を覚えるのです。
また、学校にいて半日もお母さんの顔が見られないことは、子どもにとってとても苦しいことです。
学校からの帰りを急ぐのも、一刻も早くお母さんの顔が見たかったからなのです。
ただ、「家に帰ればその願いがかなう」と信じていたのに、
「お母さん、ただいま!」と呼んでもお母さんの返事がなかったとしたら、そのとき子どもの心はどんなに打ちひそがれるでしょうか。
二度呼んでみる、三度呼んでみる……そのときの絶望感といったら、想像を絶するものがあります。
果たしてその気持ちが、お母さんたちに分かっているでしょうか。
私が子どもの気持ちを代弁して、世の中のお母さんたちにお願いしたいのは、「どうしようもない理由がないかぎりは、家にいてほしい」そして「優しい返事をしてあげてほしい」ということです。
日本の家庭がみんなそうできるようになれば、子どもたちはどれほど幸せなことでしょう。
すばらしい家族制度を守るためにも、私はお母さんたちに、いつも家庭の中にいてくれる存在であってほしいと願うのです。
しかし、今の世の中ではそれもなかなか難しいお話かもしれません。でも、たとえお母さんが家にいるときでも、自分の仕事に夢中になっていたり、何か別の考え事をしていたりして、子どもの呼びかけどころではなかったとしたらどうでしょう。
子どもが二度も三度も呼んでから、やっと、
「なんですか」と、そっけない、冷たい返事が返ってきたとしたら……。
その言葉は子どもの期待を裏切り、その小さな胸にどれほど寂しい印象を残すことでしょうか。
そう考えると、お母さんというのは、そのときの気分次第で態度を変えるような人であってはならないのです。
子どもはいつも真剣勝負で生きているのだから、子どもの期待を裏切らないようにすることこそが、お母さんという大切な務めなのです。
そうしてこそ、子どもはまっすぐ健やかに成長していくことができるのです。
お母さんのいない家庭というのは、まるで光の差さない部屋のように寂しいものです。
たとえば子どもが病気をしたとき、お母さんはそのそばに寄り添い、夜通し眠ることもなく看病してくれます。
子どもはお母さんにギュッと抱きしめられていれば、たとえ高熱があっても苦しさを忘れられます。
ただお母さんの胸に顔をうずめているだけで、たとえ死の苦しみが迫ってきたとしても、それに耐え抜くことができるのです。
「お母さんだけはいつも自分と一緒にいてくれる」「お母さんだけは最後まで自分の味方でいてくれる」と、心から信じているからです。
子どもはお母さんと一緒なら、火の中へでも水の中へでも飛び込んでいけるでしょうし、お母さんだけは、自分と一緒に火の中へも水の中へも飛び込んで下さると信じています。
「自分が大人になったら、お母さんのためならどんなことだってしてあげたい」と思っています。
また、「お母さんのためなら、自分の命を犠牲にしても少しも惜しくない」とさえ感じているのです。
母親の持つ力とは、なんと偉大なものでしょうか。
どの子どももそう思っている姿を見れば、母の愛というものだけは、無限だと言うことができるのです。
今この瞬間にあるその力が大きいだけでなく、たとえお母さんが亡くなってしまった後であっても、その愛だけは残り続けます。
そして、いつまでもいつまでも、天国から子どもたちを見守り続けているのです。お母さんの力というものは、どれほど強く、そして尊いものか分かりません。
これこそが、本当に日本の母親が持つ輝かしい姿なのです。
どうか願わくば、すべてのお母さんたちには、子どものために自分を犠牲にする覚悟を持ってもらいたいと思います。
それぞれの家庭の事情によっては、いつでも子どもと一緒にいられないお母さんもいるかもしれません。
外に仕事を持っていて、どうしても働かなければならない人もいるでしょう。
しかし、子どもを持ったのであれば、なによりも子どもを第一に考え、仕事は第二にすべきなのです。
それがまた、日本女性としての誇りであり、本当のつとめでもあります。
たとえ、よんどころない事情で他人の手に子どもを預けることになったとしても、お母さんとしての自覚を決して失ってはなりません。
お母さんの姿が見えているか見えていないかにかかわらず、子どもの心はいつも母親とともにあるのですから、仕事を一番にして、子どもを二番にするようなことがあっては絶対にいけないのです。
世の中には、自分の子どもが病気のときですら自分で看病をせず、看護師や家政婦といった他人の手を頼り、それに任せて平気でいる人がいないわけではありません。

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