初級翻訳・ふしぎ国探検 第10話

ふしぎ国探検

どうしたんでしょうか」
「いよいよ、おいでなすったんだ」
「えっ、何がおいでなすったのですの」
「人工重力装置が故障になったにちがいない、重力がだんだん消えていく。
あッからだが浮きあがってくる」
「あら、まあ。
どうしましょう」
「なあに心配することはない。
大丈夫。
ただ、いろんなものが動きだすからね。
……あッ、ほら、缶詰の中からパイナップルの輪切になったのが、ぞろぞろと外へせりだしてきた」
 そのとおりだ。
缶詰の外へ、黄色いパイナップルの輪切になったのが、まるで生き物のように、ぞろぞろとはいだしてきたのである。
「あれッ。
パイナップルのお化け!」
 と、ウェイトレスがびっくりして、とびあがった。
すると彼女のからだは、すうっと天井の方へのぼっていった。
足で床をけったので、重力がきいていないから、かるがるとからだが浮きあがったのである。
「あーれエ。「君、どこへいく?」
 東助はウェイトレスをつかまえようと思って立ち上がったが、そのときやはり床をけったので、彼のからだも、ふわーり。
「おや、おや」
「あいたッ」
 ヒトミによく似たウェイトレスは天井に頭をぶっつけた。
そしてその反動で、今度はからだがすーうと下り始めた。
上る東助と、下りるウェイトレスとが、途中でいきあって、両方から手をだしてつかまりあったものだから、今度はふたりのからだがからみついて、空中をふーわ、ふーわ。
そのとき、紺色の幕の奥で、
「うわッ、助けてくれ」
 と言った者がある。
つづいてがたんがたんと、机や腰掛のぶつかる音。
と、戸があいて、そこからふわーッとでてきたのは、顔じゅう髭だらけのコック長であった。
「た、助けてくれ。
コーヒーが、わしをおっかけてくる。
アッ、あちちち。
これはたまらん。
助けてくれイ」
 コック長は、一生けんめいに逃げる。
彼のからだが、池の中へとびこむ蛙のように長くのび、空間をすうーッとななめにとぶ。
するとそのあとから、長い、にょろにょろした茶褐色の棒が、ぽっぽと湯気をたてながら、コック長をおっかけて、彼のくびすじのところへつきあたる。
「アッ、あちちち。
助けてくれ。
コーヒーをとりおさえてくれ。
やけど攻めだ。
わしは死んじまう」
 その茶褐色の棒は熱いコーヒーだった。
料理場の火の上にかかっていたコーヒー沸しの口から、にょろにょろと外へでてきた熱い熱いコーヒーだった。
重力がなくなったので、コーヒーはコーヒー沸しの底にじっとしていられなくなったのだ。
そこへちょっとした力が働いて、液状のコーヒーは、コーヒー沸しの口から、にょろにょろと外へはいだしたのだ。
そのとき、天井の隅にとりつけてある高声器が、交替時間になったことを告げた。
すると、反対の入口の扉があいた。
そこから大ぜいの人が、この食堂へはいってきた。
誰も彼もみんなからだを横にして部屋の中へはいってくる。
まるで海でおよいでいるような恰好だった。
ちょっとした力を加えると、からだが前に走りすぎて、もう停まらなかった。
だから、そういう連中は、そこらにある柱や壁や、電灯の笠や机や腰掛にかじりついて、やっと自分のからだを停めるのだった。
もちろん腰掛も机も、こんなときの用心に、しっかりと床に、ボルトとナットでしめつけてあった。
「おい。
おいしいものを早くだしてくれたまえ」
「おや、ウェイトレスのヒトミさんやコック長がこんなところで、まごまごしているよ。
パイ缶を一つとミルクセーキ一ぱい、早いところ頼むぜ」
 と、食堂の空中を泳ぎながら、みんな註文をだす。
「はいはい。
只今。
しかし熱い料理や飲料は今、できませんよ。
わしもみなさんも大火傷しますからね。
とにかく困ったものだ。
早く人工重力装置の故障が直ってくれないことには、仕事がさっぱりできません。
はい只今」
 そういいながら、髭のコック長は、蛙のような恰好で料理場へとびこんでいった。
とたんに、停電のように急にあたりが暗くなった。

人間はおき去り

「どうです。
重力のない世界はおもしろかったですか」
 いつの間にかポーデル博士が、操縦席からうしろをふりかえって、東助とヒトミに呼びかけた。
「ああ、コック長だ。
博士はコック長に変装していたんですね」
「ははは。
見つけられましたね」
「髭だらけのコック長なんて、見たことがありませんわ」
「ははは、髭はとった方がよかったですね。
さて君たちにたずねます。
今訪問した世界は、宇宙艇の中の出来事でありました。
ところが、もし、ああいうことが、地球の上で起ったとしたら、どんな現象が起るでしょうか」
「地球の上で生活しているとき、急に重力がなくなったら、どうなるかというんですか」
「そうです。
どんなことが起りますか」
「分りました。
私たちは鳥のように高い空をとぶこともできるし、ハンモックもないのに空中で昼寝をすることができますわ。
たのしいですこと」
「海の水が陸へあがってくると思う。
その海の水が雲のようになって空を飛んだりするんだ。
すごいなあ。
アフリカのライオンが、いつの間にか空を流れて日本へやってくるようになる。
そうですね、ポーデル先生」
「いや、もっとすごいことになります。
あれをごらんなさい。
地球に重力がなくなったときの光景が、航時機の映写幕の上にうつしだされています。
ほら、丸い地球の表面に、たいへんなことが起りはじめましたよ」
 博士が指した壁のうえの映写幕に、地球の北半球の一部がうつっていた。
地平線は丸く曲っていた。
地表から何物かが、ふわふわまいあがっている。
よくみると、それは家屋だった。
橋だった。
それから小さいものは自動車だった。
みみずみたいに長いものは列車だった。きらきらと、塵(ちり)のようなものが浮かんで地表を離れていくのが見えたが、それはおびただしい人間の群れだった。
「見えましょう。
大都会が、今こわれていくところです。
市民たちは、ずんずん地面から離れていくでしょう」
「なぜ人間や建物なんかが、あのように、どんどんとんでいくのですか。
はげしすぎるではありませんか」
「はげしすぎることはありません。
そのわけはこうです。
地球は一秒間に三十キロメートルの速さで、空間を走っているのです。
重力があれば、建物も人間も、地球の表面にすいつけたまま、このすごい速さで公転していくのですが、重力がなくなると、あのとおり、建物も人間も、あとへ取残されてしまいます。
そして人間もけだものも植物も、みんな死んだり枯れたりしてしまいます」
「それはたいへんですね。
重力がなくなることを願ってはいけませんね」
「ははは。
ほんとうは重力はなくなる心配はありません。
しかしやがて、人間が発明するであろうところの重力を減らす装置を、うんと使いすぎると、あのような大椿事がもちあがるでしょう。
そのことはあらかじめ、十分注意しておかねばなりません」
 博士は、しんみりと警告をあたえた。

ポーデル博士の松永さん

 その日、東助とヒトミが、ポーデル博士の飛ぶ樽(たる)の中へはいってみると、博士は、はだかになって着がえの最中だった。

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