そして、アロアは、ジェハンじいさんの孫と彼の犬が一番お気に入りの遊び友だちでした。
アロアの父親であるコゼツのだんなは、いい人でしたが、いくぶん頑固なところがありました。
ある日のこと、コゼツのだんなは、牧草の二番刈りが済んだばかりの風車小屋の裏の細長い牧草地で、かわいい子どもたちの姿を目にしました。
それは、彼の小さい娘が牧草の間に座り、黄褐色の大きな犬の頭をひざにのせている姿でした。
どちらとも、ケシの花やヤグルマギクの花でできた花輪を首にかけていました。
きれいななめらかな松の板に、少年ネロは、木炭で二人の似顔絵を描いていました。
粉屋は立って、目に涙を浮かべながら似顔絵を見ていました。
その似顔絵は、不思議なくらいアロアそっくりでした。
粉屋は、一人っ子であるアロアを深く愛していました。
それから粉屋は、「お母さんがおうちで用があるというのに、こんなところで怠けて遊んでいるなんて」と、アロアをしかりつけました。
アロアはおびえて泣きながら家に戻りました。
それからネロの方に向き直り、ネロの手から板をうばい取りました。
「おまえは、いつもこんな馬鹿なまねをしているのか?」
粉屋は尋ねましたが、声は震えていました。
ネロは、赤くなってうなだれました。
「ぼくは、目に入るものは、なんでも描きます」と、ネロはつぶやきました。
粉屋は、黙っていました。
それから、粉屋は一フランを手に持って差し出しました。
「今言ったように、これは馬鹿げたことだぞ。
とてもよくないことだ。
時間の無駄だ。
けれども、この絵はアロアそっくりで、お母さんは喜ぶだろう。
この銀貨でこの絵をおれに売ってくれ」
若いアルデンネ生まれの少年は色を失いました。
ネロは頭を上げて、手を背中の後ろに隠しました。
「お金も絵も持っていって下さい、コゼツのだんな。
だんなには、今までに何度も親切にしてもらいましたから」
ネロは短く答えました。それから、ネロはパトラッシュを呼んで、野原のむこうに行ってしまいました。
「あのお金があれば、あれを見ることができたんだ。
でも、ぼくはアロアの絵を売ることができなかった。
たとえあれが見られたとしても」
ネロはパトラッシュにつぶやきました。
コゼツのだんなは、とても心を悩ませながら家に入りました。
その晩、粉屋は妻にこう言いました。
「あの若者をアロアに近づけさせてはいけないよ。
将来問題が起きるかも知れん。
ネロは十五で、アロアは十二だ。
ネロは、格好もよくて、なかなか美男子だからな」
「それに、気だてもいいし、人を裏切らない子ですよ」
松の板の絵をうれしそうにながめながらアロアのお母さんは答えました。
その松の板は、暖炉棚の上に、カシの木でできたカッコウ時計やろうでできたキリストの十字架像と一緒に並べられていました。
「そうだな、否定はせんよ」
粉屋は白目の酒びんについだお酒を一気に飲みほしながら答えました。
「それなら、もしあなたの考えるようなことが万がいつき起こったとしても」と、妻はためらいながら言いました。
「それがそんなに大変なことなのでしょうか? アロアは二人でやっていけるものは十分あるし、それになんていったって幸せなのが一番ですからね」
「お前はやっぱり女だ。
だから、そんな馬鹿なことを言うのだ」
粉屋はきびしく、パイプをテーブルでどん、とたたきながら言いました。
「あの子は、乞食同然だぞ。
いや、画家になろうとなぞ、夢みたいなことを思っていて、乞食よりもっとたちが悪い。
二人が一緒にいることがないよう、よく見張っておくんだぞ。
でなけりゃあ、もっとちゃんとアロアを見張ってもらえるよう、修道院にアロアをやっちまうぞ」
かわいそうな母親は震え上がって、彼の言うとおりにすると約束しました。
それでも、母親は自分の娘を、娘が大好きな遊び友達から完全に引き離す気にはなりませんでした。
それに粉屋の方も、貧しいということを除けば何も悪いことをしていなかった若者に、ものすごく残酷なことをするつもりもなかったのです。
けれども、やっぱりアロアは仲良しの友だちから遠ざけられる機会が多くなりました。
ネロは、自尊心が強く、おとなしく、敏感な少年でしたので、すぐに傷つきました。
そして、ひまさえあればいつも丘の上にある風車小屋に出かけて行っていたのに、ぱったりと行くのをやめてしまいました。
むろん、パトラッシュも連れて行ってもらえなくなりました。
何が粉屋を怒らせたのか、ネロには本当のことは分かっていませんでした。
ネロは、草むらでアロアの絵を描いていたことが、何かの理由でコゼツのだんなを怒らせたのだと思いました。
そして、ネロのことが大好きだったアロアがネロに助けを求めて、ネロの手を取ってきたとき、ネロはとても悲しげに彼女に微笑み、やさしくアロアのことを心配して言いました。
「だめだよ、アロア。
お父さんを怒らせてはいけないよ。
アロアのお父さんは、ぼくがアロアを怠け者にすると思っているんだよ。
アロアがぼくと一緒にいると、お父さんは不愉快に思うよ。
アロアのお父さんは、いい人で、アロアのことを、とって愛しているじゃないか。
ぼくたち、お父さんを怒らせないようにしなくっちゃ、アロア」
そうはいったものの、ネロは悲しくてしかたありませんでした。
日が昇ってパトラッシュといっしょにポプラの並木道を歩くとき、世界は昔ほど輝いて見えませんでした。
古い赤い風車小屋は、ネロにとって目印でした。
ネロは行き帰りの途中でそこで立ち止まったものでした。
というのは、アロアがいつも小さい亜麻色の頭を製粉場の低い木戸からのぞかせ、にこやかにあいさつしてくれるからでした。
そして、アロアは小さいバラ色の手で、パトラッシュに肉のついた骨やパンの皮を投げてくれるのでした。
今や、犬は物足りなそうに閉じた扉を見ました。
そして、少年は心にはげしい痛みを感じながら、立ち止まらずに歩き続けました。
そして、アロアはストーブのそばにある背の低い椅子に座って編み物をしていましたが、涙がぽたぽたと編み物に落ちるのでした。
コゼツのだんなは、粉袋や製粉機に取り囲まれてせっせと働いていましたが、心をいっそうかたくなにしてこうつぶやくのでした。
「こうするのが一番いいのだ。
あの若者はほとんど乞食同然だ。
おまけに、夢みたいなことばかり考えている怠けものだ。
これから先、どんな間違いが起こるかも知れないからな」
粉屋は世慣れていました。
そして、ごくまれに、特別のはれがましい儀式のようなことがないかぎり、ネロに対して扉を開けようとはしませんでした。
そのような儀式のときは、二人が暖かく笑いあったりするようなことはできませんでした。二人は、とても長い間毎日楽しく、気兼ねなく、幸せに挨拶したり、話したり、遊んだりしていたのです。
そのように二人が飛び跳ねて話したり、遊んだりするときは、パトラッシュだけが見聞きしていました。
そうした時は、パトラッシュは二人の気持ちのさまざまな変化を、犬特有の素早さで見抜いて、それに反応して首輪につけた真ちゅう製のベルを鳴らしたのでした。
コメント