初級翻訳・モウグリの兄弟たち 第3話

キプリング ラデャード

議会岩とは、百頭もの狼がすっぽり隠れてしまえるほどの、無数の岩石でゴツゴツと覆われた、丘の頂上のことです。
その力と知恵ですばらしい群れをずっと率いてきた、大きな灰色の“独り狼(おおかみ)”のアケーラが、自分の特等席である大きな岩の上に、静かに身を横たえていました。”独り狼”の下には、自分一頭だけで雄鹿をあしらうことができる穴熊のような毛皮のベテランから、そうできると思っている黒くて若い三歳狼たちまで、四十頭以上ものさまざまな大きさと毛色の狼が座っていました。
”独り狼”は、すでに一年にわたってこの群れを率いていたのです。
アケーラは若いころに二度、狼わなにかかり、一度は人に打ちすえられて死ねかけたことがありました。
だから、ヒトのやり方と習慣は骨身にしみて分かっていたのです。
議会岩のまわりは、しんとして静まりかえっていました。
仔狼たちは、母親と父親が座った円の中心でお互い転げまわっていました。
ときおり、おとなの狼が仔狼のところまで静かに寄って、注意深くじっと覗きこんだあと、音も立てずに自分の場所に戻っていくのでした。
自分たちの姿を見過ごされないようにと、時々、母親が自分の仔狼をそっと月光の中に押し出します。
そして、アケーラが自分の岩の上から高く遠く吼えるのです。
「掟を知るものたちよ――掟を知るものたちよ。
おお、狼たち、しかと見よ!」
すると、不安げな母親がそれに続いて叫びました。
「よく見て――よく見てください、みなさん!」
ついに自分たちの番が来たとき、母狼の首の毛は逆立っていました。
父狼は、月光できらきら輝く小石で遊んで笑っている”蛙のモウグリ”を、円陣の中にそっと押しだしました。
アケーラは、前足から頭を上げもせず、単調な叫び声で先を続けました。
「しかと見よ!」
そのときでした。シーラ・カーンの押し殺した不気味な吼え声が、岩の後ろから聞こえてきたのは。
「その仔はわしのものだ。
わしに渡せ。
自由の民が、なぜヒトの仔にかかわるのだ?」
アケーラは、耳をぴくりとも動かさず、ただ淡々と続けました。
「しかと見よ、おお、狼たちよ! 自由の民の他に、自由の民に命じるものなどない。
しかと見よ!」
その瞬間、低い唸り声がいっせいにあがり、四歳になる若い狼が、シーラ・カーンの疑問をそのままアケーラに投げかけました。
「なぜ自由の民が、ヒトの仔にかかわるのです?」
さて、ジャングルの掟が定めるところによると、生まれた仔を群れに受け入れることに異議がある場合、その父親と母親以外に、少なくとも群れのほかの二頭によって弁護されなくてはならないことになっていました。
「誰か、この仔を弁護するものはいないか? 自由の民で、誰かこの仔のために口をきいてやるものは?」
アケーラが尋ねました。
しかし、返ってくる答えはどこからもありませんでした。
母狼は、これがもし争いに発展するならば最後の戦いになるであろうと覚悟を決め、全身の筋肉をカチカチに硬くしました。
そのとき、群れ議会に加わることを特別に許されている、狼以外の唯一の獣が、後ろ足でスッと立ち上がって唸り声を上げました。
それはバルーでした。
仔狼たちにジャングルの掟を教える、いつも少し眠そうにしている茶色の熊です。木の実と木の根っこと蜂蜜しか食べないため、ジャングルのどこへでも好きな場所に行き来することが許されている老いた熊でした。
「ヒトの仔――ヒトの仔だと? わしがこの仔を弁護しよう。
ヒトの仔に害などない。
わしは言葉を上手に飾るわざは持たんが、わしが語るのはいつだって真実(まこと)だ。
この仔に群れと共に駆けることを許し、仲間として受け入れてやりなさい。
このわし自身が、この仔にしっかり教えてやろう」
「もう一頭必要だ。
若い仔らを教える我らが教師、バルーが口をきいた。
誰か、バルーのほかにこの仔のために口をきいてやるものはいないか?」
アケーラが言いました。
そのとき、ひとつの黒い影が、円陣の中に音もなく飛び込んできました。
それは黒豹のバギーラでした。
墨を流したようなその黒い毛皮は、波うつ絹のように美しく、光の加減でうっすらと豹紋が浮かび上がるのでした。
だれもがバギーラを知っており、だれもがあえてその進む道を横切るようなことはしませんでした。
なぜなら、バギーラはタバキと同じくらい狡猾で、野生の水牛と同じくらい大胆で、手負いの象と同じくらい無謀だったからです。
しかしその一方で、その声は樹から滴る蜂蜜のように甘く、毛皮は綿毛のように柔らかかったのです。
「おお、アケーラと自由の民よ」
バギーラはのどをゴロゴロと鳴らして言いました。
「おれはこの集いの中で、本来は発言権を持っていない。
しかしジャングルの掟の定めるところによれば、新しい仔を受け入れることに異議があるとき、それが殺しが絡んでいない問題であるならば、その仔の生命を相応の代償にて購(あがな)える、とある。
だが掟は、誰がその価を払うべきかまでは定めてはいない。
そうだな?」
「そうだ! そのとおりだ!」
いつも空きっ腹をかかえている若い狼連中が、声をそろえて言いました。
「バギーラの言うことに耳をかたむけろ。
仔は価によって購うことができる。
それが掟だ」
「おれに本来は話をする権利がないことは承知しているが、どうかお許し願いたい」
「話せ!」
二十頭ばかりの声が一斉に叫びました。
「何の力もない裸の仔を殺すことなど、恥ずべきことだ。
もし慰みものにしてやりたければ、もっと大きくなってからでも遅くはない。
いまバルーが、この仔のために口をきいてくれた。
だから、バルーのその言葉に、おれは新しく雄牛を一頭加えよう。
もし掟に従ってこのヒトの仔を群れの一員として受け入れてくれるなら、ここから一キロもない場所で仕留めたばかりの、一番肥えた雄牛をやろう。
これなら、難しい相談ではなかろう?」
それを聞いた数十の叫び声が、一斉にあがりました。
「けっこうじゃないか! こいつはやがて、冬の冷たい雨に打たれて死ぬだろうよ。
夏の照りつける日にだって焦がされるに決まっている。
こんな裸の蛙に何の害ができよう?
さあ、群れと共に駆けさせてやろうじゃないか!」「雄牛はどこだ、バギーラ? こいつを群れに加えてやれ」それからアケーラの深い吼え声が響いた。
「しかと見よ――しかと見よ、おお、狼たち!」
 モウグリはまだ小石に熱中しており、狼が一頭ずつ来て顔を覗きこんだことに気づきもしなかった。
狼の群れは、屠られた雄牛を求めにすべて丘を下り、アケーラ、バギーラ、バルー、モウグリとその家族の狼だけが残された。
シーラ・カーンの咆え声が、夜のしじまに響いてきた。
モウグリが渡されなかったので激怒していたのだ。
「ああ、『しかと咆えろ』」バギーラが、ほおひげの下で言った。
「そのうち、この裸っ仔が貴様に一味変わった声を出させるだろうからな、おれがヒトというものに思い違いしてなけりゃ」
 「よくやった。
ヒトの仔はとても賢い。
この仔は、いつの日か助けとなるかもしれない」アケーラが言った。
「まさに、助けが必要なときにね。
誰しも群れを永久に率いるわけにはいかない」バギーラが答えた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました