初級翻訳・一休さん 第1話

一休さん

お母さま

 子どものとき、一休さんは「千菊丸(ちぎくまる)」という名前でした。
ある春の日のことです。
千菊丸は乳母(うば)に連れられて、清水寺(きよみずでら)へお参りに行きました。
お寺の庭は、桜の花が満開でした。
はらはらと散る桜の花びらの下では、おばあさんやお母さんに連れられた子どもたちが、楽しそうに遊んでいます。
「きれいだなあ、ばあや。」
 しばらく花に見とれていた千菊丸は、ふと、向こうの石段のところにいる親子連れの乞食(こじき)を見て、不思議そうに立ち止まりました。
きたない着物を着た乞食の母親が、五つか六つぐらいの子どもをそばに座らせて、おもちゃを与えているのでした。
やがて千菊丸は乳母の手を引いて尋ねました。
「ばあや、あれなあに。」
「親子の乞食です。まずしいので、参詣(さんけい)の人に物をいただいて食べているのです。」
「そうじゃあないの、ばあや。千菊は、あの女の乞食が、あの子どもの何だと聞いているのだよ。」
「あれは、お母さんと子どもです。」
「ふうーん。」
 と、千菊丸はいかにも不思議そうです。
「乞食にもお母さまがあるの、ばあや。」
「はい。乞食にもお母さまがいますよ、千菊さま。」
「不思議だなあ。」
 千菊丸はかわいい首をかしげて、しばらくじっとしていましたが、
「あんなきたない乞食にもお母さまがあるのに、千菊にはどうしてお母さまがないのだろう。ばあや、どうして千菊にはお母さまがないの。」
 と、ばあやの手をぎゅっと握りしめて言いました。
「ええ、千菊さまには……千菊さまには……。」
 乳母は、はたと答えに詰まってしまいました。
というのは、次のような深いわけがあるからでした。

父は天皇

 一休さんの生まれたのは応永(おうえい)元年、いまからざっと五百六十年ばかり前のことです。
お父さまは後小松天皇(ごこまつてんのう)で、お母さまは伊予局(いよのつぼね)と言いました。
本当ならば一休さんも天皇の王子さまとして、宮中で育てられるはずでしたが、お母さまが、悪者のざん言によって天皇のおそばにいられなくなったので、一休さんもお母さまと別れて、京の都のかたわらに、乳母と二人で住むことになったのです。
お母さまも京の都に住んでいましたが、一休さんは生まれたばかりでお母さまと離れ離れになったので、お母さまがいることさえ知りませんでした。
それで、みんなはお父さまもお母さまもあるのに、自分だけ乳母と二人きりなのはどうしてだろうと、いつも悲しく思っていたのでした。
それが、乞食の親子の仲むつまじいありさまを見て、急に胸がこみあげてきたのでした。
一休さんがあまりにも悲しそうにお母さまのことを聞くので、乳母も、
「いっそお母さまが同じ京の都にいることを話して、お母さまにおあわせしてあげようか。」
 と思いましたが、また思い直して、
「いやいや、それはいけない。」と、そっと涙をぬぐって、
「千菊さま、坊っちゃまにもお母さまがあります。けれども、いまは遠い遠いところにいらっしゃるので、とても会えません。」と、言いました。
「まろにもお母さまがあるの!」
 はじめてお母さまのことを聞いた一休さんは、きらきらと目を輝かせて、じっと乳母の顔を見上げると、
「ばあや、まろはどんな遠いところにも行く。お母さまに会わせてください。」と、ねだりました。
「とても、千菊さまの行けるところではありません。」
 乳母も困ってしまいました。
そして、
「千菊さまがこれからうんと学問して、えらい人になったら、きっとお母さまが会いにきてくださいます。」と、その日はやっとなだめて帰りました。

雪の朝

 こういうわけですから、乳母も一休さんやりっぱな人に育てたいと、とても心配しました。
一休さんは子どものときから一を聞いて十を知るというほどりこうな子でしたが、また大変ないたずらっ子でした。
それが乳母の心配の種でした。
ある春の日のことでした。
京の都にめずらしく大雪が降りました。
いたずらっ子の千菊丸は大喜びです。まるで子犬のように裸足で庭へ駆け出したり、雪を投げつけたり、窓を破ったり、廊下を雪だらけにしたりと大暴れです。
乳母(うば)は見るに見かねて、
「千菊さま、そんなにいたずらをする子は、立派な人になれません。」
と、たしなめて、
「そんなひまがあったら、ちと勉強しなさい。昔、菅原道真(すがわらのみちざね)という偉い方は、七つのとき立派な歌をお作りになりました。千菊さまも、お歌でもお作りなさい。」
「歌をつくるより、雪投げのほうほうが、おもしろいわい。」
「いけません。大きくなって、御殿(ごてん)にあがっても、歌がつくれないようでは恥をかきます。」
それをきくと、一休さんは急にまじめになって、
「ばあや、その道真のつくった歌は、どんな歌だい。」
と、ききました。
「美しき紅(べに)の色なる梅の花
  わが顔にもつけべかりけり

と、いうのです。
梅の花をみてお歌いになったのです。」
と乳母がいうと、一休さんはちょいとおどけた顔をして、
「そんな歌なら、いくらでもつくれらあ。」
「まあ、千菊さまにできますかしら。」
「できるよ。ばあや、おどろくな。」
一休さんは、これはどうだい、と言いながら、

降る雪が白粉(おしろい)ならば手にといて
  お黒(くろ)の顔につけべかりける

と、すらすらと歌いました。
「まあ!」と、乳母はびっくりしました。
菅原道真のつくった歌の意味はこうです。
昔、宮中にいる若い人は、男でも薄くおしろいや頬紅をつけていました。「わご」というのは「わたし」ということです。
道真は赤い梅の花をみて、あの美しい梅の花の色をわたしの顔につけたいと歌ったのです。
それで、一休さんの歌ですが、「お黒」というのは乳母のことで、この乳母の顔は黒いので、みんなが乳母のことを「お黒さん、お黒さん」と呼んでいました。
それで一休さんは、白い雪を乳母の黒い顔につけてやろうと、ふざけたのでした。
「まあ、ひどい。」
乳母はあきれてしまいましたが、この頭の良さにはすっかり感心してしまって、
「千菊さまは、きっと偉くなります。」と、大喜びでした。

六つのひな僧

一休さんは、六つのとき稲荷山(いなりやま)の北にある安国寺(あんこくじ)というお寺に入って、お坊さんになることになりました。
これはお母さまの伊予局(いよのつぼね)の陰ながらの取り計らいでした。
というのは、そのころは国が乱れていて、侍や宮頭の人たちもお互いにねたみ合い疑い合っていましたが、一休さんのお母さまは、もし自分をざん言して宮中から追い払った人たちが、一休さんを狙って殺してしまうかもしれないと心配したからです。
けれども後小松天皇のおん子として生まれた一休さんを何とかして偉くしたいと思いました。
そのころ、偉くなるには侍になるかお坊さんになるしかなかったのです。
それで、お母さまは一休さんを侍にして殺したり殺されたりするよりはお坊さんにしようと、乳母にも話して、一休さんを安国寺のひな僧(見習いのお坊さん)にしたのでした。

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