主人は親切な人だし、仕事は楽だし、手当てはしたいだけ出来るし、彼にとってはこの上ない処であるべきはずなのだが、ただ一つのことが、やがて彼をそこからも飛び出させてしまった。
いくら下男でも、薬草刻みをするからには、医術の初歩を知らねばなるまいという、主人の親切気が、彼にとって蛇より化物より嫌いな書物をあてがわせたからである。
「何々の病気には、かれこれの草を煎じて服すべし。
それでも利かざるときは、なお、何々を用うべし……。
まんではあ、雛形と、ちっとも違わねえこった、ハハハハ」
彼は今でもこう云っては笑うからよほどその方則が滑稽に感じられたのだろう。
若しかすると、「先生様」の尊敬は、こんな下らない薬草の講釈から出て来るのかとでも、思ったかも知れない。
とにかく、そんな処からは、すぐに出てしまった自分に、彼は今なお愛すべき矜恃を感じていることだけは確である。
けれども、「屋大工」の処には、かなり長い間いたらしい。
そこで相当に腕も出来、顔も広まり、川辺――これは村の名である――「川辺の三郎どん」の存在は、ようやく明かになって来た。
音吐朗々という形容が、全く適切なほど、量の豊な、丸みのある美音と、見事な眼と、雲を突くような偉大な体躯の所有者であった彼は、まだやっと二十一二の若者として、或るときは大工になり、或るときは耕作をしながら、徐々と開け始めた明治という年号の下に、かなり仕合わせな月日を送っていた。
そして、その頃からボツボツ着手されていた、附近一帯の開墾事業が、彼の生活に微ながら、幾分かの影響を及ぼし始めた時分には、昔鐘の真似をした三郎坊主とは、見違えるような「若えてえら」になったのである。
五
その開墾というのは、彼の村と隣り村との間に、果もなく広々と横わっている草刈場を新しい村落にする計画であった。
「狐っぱら」という名がついていたほど、そこには狐ばかり棲んでいた。
あまり狐が多いので「烏さえ来ない」ほどだったのだそうだ。
狐がいると、なぜ烏が来ないのか私は知らない。
けれどもそこへ村を作るという噂を聞いたときには、皆が嘲笑せずにはいられなかったほど、荒漠たる処であったのだそうだ。
ところが案外なことには、彼がまだ、「屋大工」の手伝いのようなことをして、親方の伴をしながらあっちの小屋こっちの隠居所と作って歩いているうちに、あんなに草蓬々としていた処には、いつともなく目鼻がついて来た。そして、年季を終えて実家にすっかり落ち着いた頃には、まわりへ引っ越してくる人たちもちらほらと姿を見せるようになり、かつては誰ひとりいない寂しい野原で「キツネたちが菊の花にかくれて暮らしていた」ようなその場所にも、かすかに人間の生活する音がひびき始めるようになりました。
時が経つにつれて、人間を化かしていたお調子者のキツネたちも、だんだんと自分たちの居場所をせまられ、火縄銃でねらわれたり、ワナにかかったりして、化かすヒマもなく毛皮をはがされ、お鍋で煮られて食べられてしまうようになっていきました。
いろいろな土地から人が集まってきたおかげで、世間のうわさ話もたくさん入ってくるようになり、「江戸」で起きた大事件などのニュースも、少しずつこの山奥まで届くようになりました。
三郎だけでなく、村全体の空気には新しいエネルギーが吹き込まれたかのように、パッと明るく活気づいてきたのです。
そんな中、三郎が二十三歳になったとき、彼の村から七人の「新しい農民」を選ぶことになりました。
開墾を進めるグループから、田んぼや畑の土地をいくらかわけてもらい、お金や木材もサポートされて、新しくできた村に自分の家を持たせてもらうという、とても名誉なことでした。
若い人たちはみんな「自分こそは!」とライバル心を燃やしてがんばりましたが、運のいいことに、三郎もその一人として見事に選ばれたのです。
両親の誇らしげな気持ちと、三郎自身の大きな自信に包まれながら、彼は実家から十四、五町ほど離れた開墾地の一角に、得意の大工仕事で自分の家を建て始めました。
いつの時代でも、案外ちょっとしたことで人のプライドや名誉心が刺激されるもののようで、数いる若者の中から「新しい農民」に選ばれたということが、三郎にとってものすごいステータス(箔)になりました。
これまではただの「屋大工の三郎どん」だったのが、まわりの人たちも、そして本人でさえも、なんだか特別な肩書きがついたような誇らしい気持ちを抱かざるを得ませんでした。
いつの間にか彼は、村の男たちの「リーダー」のような存在に祭り上げられていくことになりました――この「ような」という言葉が、あとあととても大切になってくるのですが。
もちろん、三郎にとってもそんな扱いは悪い気はしません。
むしろすっかりいい気分になって、「若い者にしては立派なことを言うもんだ」と、みんなの前で堂々と自慢の弁舌を振るう機会がどんどん増えていきました。
実際、その頃によくあった村のケンカやいざこざも、三郎が下駄の真ん中からバキッと割れそうなほどがっしとした巨大な体をのしのしと進め、ふつうの人の三倍もありそうな大きな目で相手をグッと睨みつけながら、あたりに響き渡る大声で、自分なりの、そして相手も納得せざるを得ないような理屈を並べ立てれば、大抵のトラブルはカンタンに解決してしまったのです。
だから村の人たちも彼をとても頼りにしていて、ちょっと厄介なもめ事が起きると、すぐに彼のところへ迎えに行きました。
「三郎どん、またあのどうしようもねえ連中が暴れ出しているんだよ。何とか一言ビシッと言ってやってくれねえか」
山から切り出したばかりの木をのこぎりで引きながら、三郎はちょっともったいぶった様子で「おう、まかせとけ」と返事をして立ち上がります。
そして、ゴタゴタが起きている真ん中へスタスタと歩いていくと、まずはゆったりとタバコをワンシーン一服ふかしてから、ものの五、六分のうちに、上手に丸く収めてしまうのでした。
「俺は生まれつき勉強が性に合わなくて、文字は大嫌いなんだ。だから難しい言葉なんてひとつも知らねえ。だけどよ、これも生まれつきで、曲がったことがウサギの毛で突いたくらい(ほんのわずかでも)見逃せない性分なのさ」
彼はいつもそんなふうなことを、折に触れて口にしていたそうです。
だからこそ、ある意味では「頼まれたからには男気を見せなきゃいけない」というまわりからの期待によって、彼は「竹を割ったようなまっすぐな男」になり、一度助けを求められたら絶対に頼りになる「三郎どん」として生きるしかなかったのです。
こうしたまわりの状況と、誰にも負けない圧倒的な腕力、そして生まれ持ったおっとりとして細かいことを気にしない性格が合わさって、彼はどうしても「侠客(きょうかく:親分肌の男気ある人物)」のような生き方をするようになっていきました。
そのため、ふつうの農民や大工とはちょっと違う生活――たとえば、ケンカを仲裁したお祝いのお酒をごちそうになったり、近所の村の顔役たちと付き合ったりするうちに、彼の素朴さは少しずつ失われていきました。
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