でも、準備はすっかりお出来になっているのでしょうね?」
「百の報告よりも、一の実物が証拠になる。私はその日に実物を公開するつもりでいるよ」
「まあ、それではもう実験が成功したのですか?」
夫人は隠しきれない喜びを浮かべて尋ねました。
「まだ成功はしていない。しかし、まだ二日の余裕がある。それまでにすっかり仕上がりにするつもりだ」
* * *
翌日の早朝、鎌倉へ出かけた博士は、一日中実験室に閉じこもっていました。
隣の部屋からは、博士が忙しそうに歩き回る足音の合間合間に、水道から水が勢いよく飛び出る音や、ガラス器同士が触れ合う音などがかすかに聞こえ、鋭い嗅覚を持つ人なら、かすかな薬品の匂いさえ感じられたことでしょう。
* * *
その翌日、いよいよ大会の当日を迎えました。
例年の方針を破って、××新聞の講堂へと会場が移された場所は、開会の定刻前から隙間もないほど熱心な聴衆で埋め尽くされていました。
国の内外の学界の名士や新聞記者たちが、演壇の両側にずらりと並んで座っていました。
今日の大会は博士の報告演説だけで独占されることになっていたため、司会者の開会の挨拶が終わると、村木博士が割れるような拍手を浴びながら演壇へと上がりました。
千人を超える聴衆の視線が、一斉に博士へと注がれました。
博士は落ち着いた語り口調で、案外にもあっさりと実験の経過を報告してから、「これからその赤ん坊を皆様にお見せします」と言いながら、後ろの方へ目配せをしました。
一人の老女が、淡い紅色の液体が入ったガラスの平皿を持ってやって来ました。
中には、生後間もない健康そうな赤ん坊が、巧妙な装置で支えられて液体に浸かっていました。
「この子供は、八ヶ月の期間を経てここまで成長しました。液体の温度と栄養の関係によって、子宮の中で育つよりも約二ヶ月ほど時間を短縮することができましたが、この時間は六ヶ月くらいまでさらに短縮できるものと考えています。この子供は男の子ですが、性別の決定は胎児の時期に行う手術によってどうにでもなります。今のところ一日に数回、第二村木液でこのように沐浴させていますが、それは環境を急変させた場合の影響を懸念しているからです。もう一ヶ月もすれば、普通の子供と同じように育てていくつもりです」
博士は報告を終えると、老女を手伝ってガラスの皿を奥へと運び去りました。
拍手の音はいつまでも鳴りやまなりませんでした。
一方、鎌倉の別邸では、内藤房子が、朝にばあやが持ってきてくれた牛乳を飲んだあと、うとうとしているうちに赤ん坊に母乳をくわえさせたまま、いつの間にかぐっすりと深く眠り込んでいました。
深く、それでいてどこか気味の悪い眠りから彼女が目を覚ましたときには、あたりはすでに暗くなっていました。
赤ん坊はまだすやすわと眠っていました。
彼女はかわいさのあまり、無心な赤ん坊の額にそっとキスをしました。
なんだか葡萄酒のような匂いがする気がしましたが、彼女は特にそれを気にも止めませんでした。
「まあ、お目覚めでしたか。あまりによくお眠りになっていらっしゃいましたので、お昼の食事もお出ししませんでね」
そう言いながら、ばあやが夕食を運んできました。
「ほほう、よく眠っていますね」と言いながら、博士もそのあとから部屋に入ってきて、赤ん坊の顔をのぞき込みました。
そして博士は、母親と子供の額に代わるがわるキスをしました。
* * *
それと同じ時刻、大学の生理学教室では、熱心に試験管をいじっていた阿部医学士が、一人でとんでもない大声を上げました。
「なんだってんだ、第二村木液だなんて大層な名前をつけて、こりゃあ唯の水に葡萄酒を垂らして色をつけただけのものじゃないか」
その翌朝、村木博士は鎌倉の実験室の中で、変わり果てた遺体となって発見されました。
モルヒネによる自殺でした。
遺書にはこう書かれていました。
「私はどうしてもあなたと離れることができませんでした。それと同時に、私は妻子と離れることもできませんでした。私は世間並みの紳士としての体面と、夫として父としての義務を果たしつつ、しかもあなたとの愛を永久に続ける手段を考えました。それがあの雑司ヶ谷の実験室での生活でした。しかし、あなたが妊娠されたことを知ったとき、その秘密がばれるのを防ぐために、さらに大胆な第二の手段に訴えなければならなかったのです……」それが、まさに「人造人間」の実験だったのです。
昨日はあなたに眠り薬を使って、ばあやにお願いし、大切な赤ん坊を講演の会場へと連れていきました。
その場ではなんとかごまかすことができましたが、私の心の中にある良心をごまかすことは、どうしてもできませんでした。
世間をだまし、家庭をだまし、学問の道を汚し、最後には、愛する恋人までをもだまさなければならなかったような、こんな不道徳な人間にとって、残された道は死ぬことのほかにありません。
子供のことは、どうぞよろしくお願いいたします」
房子は、博士の遺書をしっかりと胸に抱きながら、床の上でいつまでもいつまでも、声を上げて泣き続けるのでした。
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