初級翻訳・信太妻の話 第4話

信太妻の話

それこそが、晴明の母の正体だったというのです。
合理的に考えれば、人間社会に溶け込めない漂泊民の女だったからこそ、畜生扱いされて「狐になって去った」という話になったのでしょう。
特に信太神社の近くには、世間から隔離されて暮らす村が今も残っているため、そこから来た女だったのだろう、といった解釈も成り立ちます。
こうした冷めた知識も、後世にはその土地の新たな伝説として語り継がれるのかもしれません。
この記録が『角太夫節(かどだゆうぶし)』の正本を生み、さらに竹本座の正本にまで発達したのだとすれば、これで一通りの説明はつきます。しかし、これだけで全てが語り尽くされたと思われては、非常に残念です。

五

『大内鑑』や『信太妻』の作者が、これだけの種に脚色を加えただけだとは思えないのは、もっと深く考えるべき様々な要素が含まれているからです。
例えば、なぜ「童子」あるいは「童子丸」という名前が、葛の葉の子に与えられているのでしょうか。
『※※内伝抄』では、この点は問題にされていません。
意識的な事実もあるでしょうが、作者たちは無意識のうちに、様々な記憶――時には個人の胸の内に再現されるようなもの――を物語に込めているのです。
『物臭太郎の双紙』と同じ傾向を持つ、いわゆるお伽草子の中に収められている『狐の双紙』という物語を見ると、ある僧都が家にいると、乗り物に乗った迎えの使者がやってきます。
その乗り物に乗って行くと、立派な屋敷に着きました。
僧都はそこで、屋敷の主である女と契りを結ぶことになります。
しばらくその家で暮らしていましたが、ある日、若い僧が二、三人、錫杖(しゃくじょう)を振り立てながら現れました。それを目にした瞬間、女たちは大騒ぎをして逃げ散ってしまいました。
はっと目を覚ますと、自分は御堂の縁の下で寝ていたのです。畳だと思っていたものは、ぼろぼろになった筵(むしろ)の切れ端だった――といった類の話で、狐に化かされたという百姓たちの「実体験」として、私たちの耳にもよく残っている話です。

私たちが聞くような狐の話は、大抵の場合、狐の方もわりとあっさりしています。よほど執念深い狐として知られている奴は別として、仏様のご利益がなくても、背中を一つ叩かれればハッと我に返る、その程度のものばかりです。この点は、狐が呪術的な役割を担わなくなってきた時代背景を映し出しているのでしょう。このことについては、後の章で詳しく触れることになると思います。

先ほど挙げた『狐の双紙』の原形とも思える物語は、平安時代よりもさらに古い時代に遡ります。三善清行(みよしきよゆき)が備中介(びっちゅうのすけ)だった頃に聞いた話です。実際、その当人を知っているかのように書かれています。

備前小目(びぜんのさかん)であった賀陽良藤(かやのよしふじ)が、妻に逃げられて気落ちしていた頃のことです。菊の花に結びつけた手紙を、一人の女が持ってきました。そこには、ある身分の高い女性が良藤を慕っていると記されていました。良藤はその女の元へ通い始め、やがて家を出て、女の家で三年暮らしました。その間に子供が生まれました。良藤は先妻との子を廃嫡して、この新しい子に家を継がせようとまで考えていたのです。

ある日、一人の僧が杖を持って現れ、良藤の背中を叩きました。女はそれを見るや否や、逃げ出してしまいました。良藤がいたのは、自分の家の倉の床下、普通なら人間が入れるはずのない狭い場所だったのです。女はもちろん狐でした。這い出してきた良藤は、顔を真っ青にしていました。良藤の姿が見えなくなってから、家族は大騒ぎをして、僧侶を招いて祈祷をしてもらい、その功徳によってようやく助かったのです。

ここまで来ると、「葛の葉」との直接的な縁はだいぶ遠くなりますが、狐と人間との関わり方は、かなり緻密になってきたはずです。
『大祓(おおはらえ)』の祝詞にある「国つ罪」を見ても、祖先の中には、恥ずかしながらも、様々な動物を性欲の対象に利用した事実があったことが推察できます。しかし、狐のように飼い慣らすことが難しい獣を犯すというのは、あまりありそうには思えません。猪との性関係の話が『今昔物語』に見えるのは、猪に慣れた豚を対象にした事実から逆説的に考えられるかもしれませんが、狐のような動物は到底考えにくいことです。ですから、獣の子孫や獣の変化との恋愛譚は、すべて人間の性欲関係とは切り離して考えるべきだと思います。

良藤の話は『今昔物語』にも出てくるので、『狐の双紙』はその写しとも思えますが、騙す相手をわざわざ「坊さん」にした点は解せません。物語の起源がどこにあろうとも、一度民間の話として定着していたものを、少し潤色して書き留めたのでしょう。

狐と人間との関係は、もっと遡って語ることができます。平安時代のごく初め、嵯峨天皇の時に作られたものですが、内容はほとんど奈良時代の気分を宿し、それ以前の伝説を書き残した『日本霊異記(にほんりょういき)』の中に、美濃国の「狐直(きつねのあたい)」(または美濃狐)という家に関する伝説が載っています。

欽明天皇の御代、その家の祖先である男が、道中で出会った美しい女を連れ帰り、夫婦になりました。その女が子供を産みました。その子供が生まれたのとほぼ同時に、家の犬も子供を産みました。その犬の子が、翌年の春、庭を歩いていた女房に噛みついたのです。驚いたあまりに、女は元の姿を現して、垣根を乗り越えて逃げ出そうとしました。夫が名残を惜しんで、これからも毎晩「来て一緒に寝よう」と言ったところ、夜にはやってくるようになりました。それで子供の名を「きつね」、その獣の名も「きつね」と呼ぶようになったと記されています。この子は人並外れて力が強く、その四代目の孫娘には、走るのが極めて速く、力強い女がいたとされています。この「狐直」まで遡れば、日本における狐と人との交渉の輪郭は一通り語り尽くしたことになります。

六

日本の狐も、上古や近世においては、やさしい雰囲気で語られることが多いのですが、平安時代から長く「恐ろしくて執念深いもの」となったのは、密教の「荼枳尼天(だきにてん)」の修法(呪術)の対象として使われたせいではないかと想像しています。

ところで、日本の動物の中で、そうした点で狐と勢力争いができるのは、まず蛇でしょう。蛇との交渉は古い時代に多く、狐との関係は、意外と新しい時代になってから増えてきたようにさえ思えるのです。
蛇との恋で名高い話は、大和の三輪の神にまつわるもので、大体二つのパターンがあります。
一つは、夜に来て姿を見せない男。どこの誰だか分からないので、娘が男の着物に針を通した糸をつけておくと、窓から出て三輪山に這入っていったというもの。
もう一つは、倭迹迹日百襲媛(やまとととひももそひめ)という女性が「姿を見せてほしい」と男に頼むと、「明日、お前の櫛を入れる箱の中に入っていよう」と言ったというもの。箱を開けてみると蛇がいたので、驚いて声を上げると、男は「恥をかかされた」と言って去っていったという話です。

百襲媛は、実際に皇族出身の巫女でした。そこに神が通ったのです。

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