ひとりで線香花火のように活躍している龍介君を取り巻いて、山川少将はじめ博士、大佐たちは、ぽかんと手をこまねいているほかありませんでした。
――龍介君は大声で怒鳴りました。
「さあ皆さん、のるかそるかの瀬戸際ですよ。
しっかりしてください、閣下! あなたはすぐに横須賀へ電話をかけて、駆逐艦にサルビヤ号を監視させてください。
逃げるようだったら発砲しても構いません。
――それから父さんと大佐は僕についてきてください。
追跡です!」
そして脱兎のごとく書斎を駆け出しました。
少将の自家用自動車に乗り込むと、龍介君は運転手に命じました。「浦賀へ、フルスピードだ。エンジンの焼き切れるまで走りたまえ!」
自動車が玄関を滑り出て、門を曲がろうとした時、植え込みの陰から一人の怪しい男が飛び出し、ひらりと自動車の後ろにしがみついたのですが、誰もそれに気づきませんでした。
「さあ龍介、一体これはどういうわけだか話してくれ。浦賀までにはたっぷり時間があるだろう」
自動車が東海道へ出ると、春田博士はそう言って息子の方を見返りました。
「そうですね、ではかいつまんで話しましょう」
そう言って、龍介君は語り始めました。
――龍介君は、友達から渡された暗号文の○の部分に文字を当てはめただけで、博士の実験を手伝うために実験室へ向かいました。そして実験が始まった時、どこかで「リリリリ」という微かな音がするのに気づいたのです。最初はそれが何の音だかわかりませんでしたが、どうも映画を写す時の撮影機のクランクの音に似ていると思いました。
その瞬間に気づいたのは、例の暗号文に「サツエイ ハ ヨル八時三十分」と書いてあったことでした。時間も実験の予定とぴったり合っています。
そこで龍介君は、これはどこか外国の軍事探偵が、この実験室に精巧な撮影機を仕掛けておいて、人知れず実験の様子を映画に撮っているに違いないと悟りました。そこで電灯を消して撮影の邪魔をしましたが、それに気づいた山川少将に扮装していた軍事探偵は、撮影したフィルムと文子さんをさらって、いち早く逃亡したのです。
「なるほど、それでどうやらわかった。では実験室の壁から出てきたあの黒い箱は撮影機だったのだな。――しかし、どうしてそいつがサルビヤ号に乗ったということがわかるのかね?」と、博士が尋ねました。
「これを見てください」
龍介君は二枚の暗号文を見せました。
「この二枚の赤インクで書いた文字は、○で抜いてあった所へ僕が当てはめたものです。ところで、この赤い字だけを集めてみると『サルビヤ』となります」
「なるほど、こりゃ素晴らしい頭だ!」大佐が膝を打って感心しました。
「僕は十日ばかり前に新聞で、こんな名前の外国船が入港したという記事を見たように思っていたので調べてみたら、まさに入港していました。今日夕刻、こそこそと出帆した様子までが怪しいと睨んだのです」
「偉いぞ龍介君、立派な推理だ」横田機関大佐は龍介君の肩を叩いて賞賛しました。
浦賀には、山川少将の命令で、高速力のモーターボートが三人の到着を待っていました。
「サルビヤ号は観音崎沖に停泊しております。駆逐艦がこれを監視しております」
そういう報告を聞いて、龍介君はにっこり笑いながら、先陣を切って艇へ乗り移りました。艇は闇の海上に、白波を蹴立てながら沖に向かって走り出しました。
自動車の後ろへ飛びついていた怪しい男はどうしたでしょう。
――彼はいま去っていった龍介君たちの艇を見送る間もなく、岸にも停めてあった小型のモーターボートに飛び乗ると、無茶苦茶な速力で沖へ向かったのです。
怪船上の乱闘
闇の海上に、魔物のように眠っている汽船サルビヤ号の舷側へ、静かに着いたモーターボートがありました。それと見るまに、龍介君を先頭にして、博士、大佐、着剣した銃を持った水兵十名の一隊が甲板へ乗り移りました。
とたんに、「そこにいるのは誰だ!」と怒鳴る船員の声。しかし、大股に進み出た水兵のために、何も言わせずその場で殴り倒されました。
「さあ、船室へ早く!」龍介君が叫びました。
「額にあざのある男を逃がさないように頼みます!」
そして真先に、拳銃を握って船室へと飛び込んでいきました。
が、意外にも、そこには既に一人の日本青年が、大勢の外国船員を相手に乱闘の真っ最中だったのです。
「敵か、味方か!」と龍介君が呼びかけました。
「メリケン壮太だ!」と若者が叫びました。「ここは引き受けた。あっちへ行って、早く大事な物を取り返してくれたまえ!」
なるほど、それは実験室へ縛り付けてきたはずのメリケン壮太でした。彼は知らずに犯した売国奴の罪を償うため、自動車の後部にとびつき、身を挺してここへ来たのです。壮太自慢の拳が飛ぶたびに、バッタバッタと船員たちは倒されていきました。
「よし任せた、壮太! それ行け!」と一隊はさらに船室の奥深くへ突進しました。
――捜査は三十分ばかり続きました。しかし、ついに文子さんの姿も、額にあざのある男も見つかりませんでした。
「残念だ、ここまで追い詰めて逃げられたか……」
そう言って龍介君が歯噛みしながら、ふと見るともなしに見ていると、船室の天井の隙間からうすぼんやりとした光がさして、それが点いたり消えたりしているようです。
「やっ!」とさらに注意して見ると、それは「・・――・――・」という、例の龍介君考案の信号で、「危険、助けてくれ」という意味。言うまでもなく文子さんの信号でした。
「しめた、この天井に隠れているぞ!」
「それッ!」と勇み立った水兵たちは、手に手に手斧を振り立てて、たちまち子供が通れるくらいの穴をあけました。待ちかねた龍介君は、その穴から天井へ這い込んだのです。すると、闇の中から「手を挙げろ!」という声が聞こえました。龍介君は「くそっ!」と身を低く沈めるやいなや、声のした方へ石を投げるような勢いで飛びかかりました。
「畜生!」と叫びながら不意を突かれて倒れる男。龍介君はすぐさま飛びかかりましたが、相手は大柄な外国人です。両手で龍介君の首を掴むと、あっという間に床へ叩きつけました……かと思いきや、その時、後から這い上がってきたメリケン壮太が、後ろから外国人の首に腕を回し、喉を締め上げました。
「お、お……待ってくれ!」と外国人は弱音を吐きましたが、壮太がさらにぐいと締め上げると、あっけなく気絶してしまいました。
「文ちゃん! 文ちゃん!」と龍介君が叫ぶと、闇の中から待ちかねたように文子さんが飛び出し、兄の龍介君に抱きついて、「お兄さん! お兄さん!」とただ涙を流すばかりでした。
「坊ちゃん」と、そばでメリケン壮太が嬉しそうに叫びました。「こいつですよ、牧師のヤンセンというのは。この鞄の中に、何もかも入っていますぜ。畜生、これでメリケン壮太の男もようやく立ったってもんです」
そう言って、壮太はヤンセンの尻を力いっぱい蹴飛ばしました。さっき自分自身が龍介君にやられたのと同じように。
春田博士の発明を撮影したフィルムも、山川少将の重要書類も、そして大切な妹も、すべて春田龍介君の手柄で見事に取り戻すことができました。
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