初級翻訳・古事記物語 第21話

古事記物語

つまらぬ熊襲の土地などよりも、まずはその国をあなたのものにしてあげよう」
これを聞いた天皇は、「しかし、高い場所へ登って西の方を見渡しても、そちらにはどこまでも大海が広がっているだけで、国などどこにも見当たりませんよ」と答えられました。
そして天皇は心の中で、「これは本物の神ではないな。きっと偽りの神が乗り移ったに違いない」とお思いになり、それなりにお琴を押しやって、黙り込んでお座りになっていました。
すると神さまはたいそうお怒りになり、「そのような、わしの言葉を疑う者に、この国を任せることはできない。あなたはもう、さっさと死んでしまうがいい」とおっしゃいました。
宿禰はその激しい言葉を聞いて驚き、「これは大変なことになりました。陛下、どうかあわてず、もっとお琴を弾き続けてください!」とあわてて注意を申し上げました。
天皇は仕方なく、しぶしぶお琴を引き寄せ、しばらくの間、申し訳程度にポツポツと弾いておられましたが、そのうちに、ふっつりとお琴の音が途絶えてしまいました。
宿禰が変に思って灯りをかざして見てみると、天皇はいつの間にか息を引き取り、その場に倒れていらっしゃいました。
皇后も宿禰も、神さまの罰が当たったことに驚き恐れて、急いでそのご遺体を仮のお宮へとお移ししました。
そしてまず第一に、神さまのお怒りを鎮めるために、国中の人々から「生きた獣の皮を剥いだり、逆さまに剥いだりする」「田のあぜを壊す」「溝を埋める」「汚物をまき散らす」といった、口にするのも汚らわしい罪を犯した者たちを一人一人探し出させました。そして御幣(ごへい)を持ってそれらを祓い清め、国中の汚れをすっかり取り除かれました。
その後、宿禰が再び祭場に座り、改めて神さまのお告げを祈り申し上げました。
すると神さまからは、先ほどと同じように西の国のことについてのお告げがありました。
「それから、この日本の国は、今、皇后のお腹にいらっしゃるお子さまがお治めになるべき国である」とおっしゃいました。皇后はそのとき、ちょうど妊娠していらっしゃいました。
宿禰はそのお言葉を聞いて、「では、恐れながら、今皇后のお腹にいらっしゃるお子さまは、男の子でしょうか、それとも女の子でしょうか」と尋ねました。
すると神さまは「お子さまは男子である」とお告げになりました。
宿禰はさらに詳しく聞いておこうと思い、「まことにおそれいりますが、このように一つ一つお告げを下さるあなたさまは、どなたさまでいらっしゃいますか。どうぞお名前を明かしてください」と申し上げました。
神さまは、やはり皇后のお口を通してこうおっしゃいました。
「これはすべて天照大神(あまてらすおおみかみ)のおぼしめしである。また、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、上筒男命(うわつつのおのみこと)の三人の神も、一緒に申し伝えているのだ」と、そこで初めてお名前を明かされました。
神さまはさらに、「もしお前たちが本当にあの西の国を手に入れようと思うなら、まず天の神々、地上の神々、そして山の神、海の神、川の神々にことごとくお供え物を捧げよ。それから、私たち三人の神の魂を船の上に祀り、マキの灰をひょうたんに入れ、さらに箸と盆をたくさん作って海に浮かべ、その間を通って行くがよい」とおっしゃって、征伐のための具体的な手順を詳しく教えてくださいました。そこで、皇后はすぐさま軍勢をお集めになり、神々のお言葉のとおりに準備をすべて整えて、数え切れないほどのお船を連ね、勇ましく大海原へと漕ぎ出されました。
すると海中のあらゆる大小の魚たちが、残らず駆け寄って来て、船という船をみんなで背中に担ぎ上げ、「わっしょい、わっしょい」と威勢よく押し運んで行きました。
そこへちょうど都合よく、追い風がどんどん吹き募ってきました。おかげで、あの大船団はまるで空を飛ぶような速さで進んで行きました。
そのうちに、巨大な船団が押し立てた大波が、最後にはすさまじい大海嘯(だいかいしょう)となって、皇后がこれから攻め込もうとされる朝鮮の新羅(しらぎ)の国へ、不意にどどんと打ち寄せました。
そして、あっという間に国じゅうの半分までも飲み込んでしまいました。皇后の軍勢は、その大海嘯と入れ違いに、息つく間もなくわあっと攻め込みました。
すると新羅の王はすっかり恐れおののき、すぐに降参してしまいました。
国王は、「私どもはこれからいつまでも、天皇のおおせのままに、馬飼いの下男となり、一生懸命にお仕えいたします。毎年、船をたくさん仕立てまして、船底が乾く暇もなく、棹や櫂を置く暇も惜しんで、絶えず貢物を奉り、天地が滅びるまで末永くお仕えいたします」と、平伏して誓いを立てました。
そこで皇后はすぐにお聞き届けになり、新羅の王を馬飼いに任命し、その隣の百済(くだら)の国も領地としてお定めになりました。
そしてその証として、お杖を新羅の王宮の門のところに突き刺してお置きになりました。
それから最後に、お社を建てて、今度の征伐について一つひとつ指図をくださった底筒男命(そこつつのおのみこと)ら三柱の神々を、この国の氏神としてお祀りした後、ご威風堂々と新羅から引き上げられました。

二

お母上の皇后は、実は征伐の途中で、お腹のお子さまが生まれそうになっていました。
そこで、「どうか今しばらくの間は生まれないでください」とお祈りになり、その呪(まじな)いとして、下着のお腰のあたりに石ころを吊るし、なんとかお腹を鎮めておられました。
するとお子さまは、無事に筑紫(つくし)へ凱旋してからお生まれになりました。それは神さまのお告げのとおり、立派な男の子でした。
この小さな天皇は生まれたとき、弓を射る際に左の腕につける革具(鞆:とも)のような形をした盛り上がった肉が、腕に付いていました。
皇后はこれにちなんで「大鞆(おおとも)の命」とお名づけになりました。これが後の応神天皇さまです。
その鞆の肉の話を聞いた人々は、天皇はお母上のお腹の中にいるときからすでに天下を治めるお方だったのだと、皆ひれ伏しました。
また、皇后はご出征の前に肥前の玉島というところへ行かれ、そこの川のほとりで食事をなさいました。
ちょうど四月で、鮎(あゆ)が取れる時期でした。
皇后は試みにその川中の石の上に降り立ち、袴の糸を抜いて釣り糸になさり、食事の残りのご飯粒を餌にして、普通なら決して釣れないような鮎を、見事に釣り上げられました。
そのため、この地方ではその後、毎年四月の初めになりますと、女たちがみんな袴の糸を抜いて、飯粒を餌にして鮎を釣り、長く皇后のお徳を語り継ぐ習わしとなりました。

三

お母上の皇后は、ついでに熊襲(くまそ)も難なく平定して、いよいよ大和へ帰ることになりました。
しかし大和には、香坂王(かごさかのおう)、忍熊王(おしくまのおう)という、お母様の違う二人の皇子たちがおりました。皇后は、天皇がまだ幼いことをいいことに、二人が何か悪いことを企むのではないかと心配されました。
そこで皇后は、一つの策略を立てられました。喪船(葬儀のための船)を一艘こしらえて、小さな天皇をその中に乗せました。

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