初級翻訳・古事記物語 第12話

古事記物語

その中で六尺ばかりある大わには、
「私は一日あれば行ってまいります」と言いました。
海の神は、
「それではおまえがお送り申してくれ。
しかし海を渡るときに、けっしてこわい思いをおさせ申してはならないぞ」とよく言い聞かせた上、その首のところへ命をお乗せ申して、はるばるとお送り申して行かせました。
すると、わにはうけあったとおりに、一日のうちに命をもとの浜までおつれ申しました。
命はご自分のつるしておいでになる小さな刀をおほどきになって、それをごほうびにわにの首へくくりつけておかえしになりました。
命はそれからすぐに、おあにいさまのところへいらしって、海の神が教えてくれたとおりに、

いやなつり針、
悪いつり針、
ばかなつり針。

と言い言い、例のつり針を、うしろ向きになってお返しになりました。
それから田を作るにも海の神が言ったとおりになさいました。
そうすると、命の田からは、毎年どんどんおこめが取れるのに、おあにいさまの田には、水がちっとも来ないものですから、おあにいさまは、三年の間にすっかり貧乏になっておしまいになりました。
するとおあにいさまは、あんのじょう、命のことをねたんで、いくどとなく殺しにおいでになりました。
命はそのときにはさっそく満潮の玉を出して、大水をわかせてお防ぎになりました。
おあにいさまは、たんびにおぼれそうになって、助けてくれ、助けてくれ、とおっしゃいました。
命はそのときには干潮の玉を出してたちまち水をおひかせになりました。
そんなわけで、おあにいさまも、しまいには弟さまの命にはとてもかなわないとお思いになり、とうとう頭をさげて、
「どうかこれまでのことは許しておくれ。
私はこれからしょうがい、夜昼おまえのうちの番をして、おまえに奉公するから」と、かたくお誓いになりました。
ですから、このおあにいさまの命のご子孫は、後の代まで、命が水におぼれかけてお苦しみになったときの身振りをまねた、さまざまなおかしな踊りを踊るのが、代々きまりになっておりました。

三

そのうちに、火遠理命が海のお宮へ残しておかえりになった、お嫁さまの豊玉媛が、ある日ふいに海の中から出ていらしって、
「私はかねて身重になっておりましたが、もうお産をいたしますときがまいりました。「しかし、天の神さまのお子さまを海の中でお生みするなんて、そんなおそれ多いことはできません。ですから、はるばるここまで出てまいりました」とおっしゃいました。

そこで命は急いで、「うぶや」といって、赤ちゃんをお産みになるための小屋を、海岸に建てさせました。その屋根は、ふつうのかやの代わりに、鵜(う)という鳥の羽根をたくさん集めて、急いでふきあげさせました。すると、その屋根がまだできあがらないうちに、豊玉媛はもうお産の時がきてしまい、あわててその小屋の中へお入りになりました。

そのとき媛は命に向かって、
「どこの国でも、お産をするときには、その国それぞれの決まりがあって、人には見せられないような姿になってしまうものでございます。ですから、どうぞ私が赤ちゃんをお産みするところは、けっしてのぞかないでくださいましね」
と、かたく約束をさせておきました。

ところが命は、媛がわざわざそんなことをおっしゃるので、かえって不思議だなと思い、あとでそっと様子をのぞいてしまいました。すると、ついさっきまで美しい女性だった豊玉媛が、いつのまにか八ひろもあるような、恐ろしい姿の大わにになって、苦しそうにうなりながら、のたうちまわっていたのです。

命はびっくりして、あわててその場から逃げ出してしまいました。

豊玉媛はそれに気づいて、恥ずかしさでいっぱいになりました。赤ちゃんをお産みになると、命に向かって、
「私はこれから、ずっと海を往来して、あなたにお目にかかろうと思っておりました。それなのに、あんな恥ずかしい私の本当の姿を見られてしまったので、もう二度とあなたにお会いすることはありません」
こう言って、生まれたばかりのお子さまをあとに残したまま、海の中へ続く通り道をすっかりふさいでしまい、どんどん海の底へ帰ってしまいました。そして、それきり二度と姿を見せることはありませんでした。

お二人のお子さまは、鵜の羽根の屋根がふき終わらないうちに生まれたので、その名前をとって「鵜茅草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」とお呼びになりました。

媛は海のお宮へ帰ってからも、このお子さまのことが心配でたまりません。そこで、妹の玉依媛(たまよりびめ)をこちらへよこして、その手で大切に育ててもらうことにしました。

媛は、夫の命が自分のひどい姿をのぞいたことを、いつまでも恨めしく思っていました。けれど、命のことはやっぱり恋しくて忘れられず、ずっと想い続けていました。そこで玉依媛に伝言を託して、このような歌を送りました。

「赤い玉はとても立派なもので、それをひもに通して飾りにすると、そのひもまで光って見えるほどですが、その赤玉にもまして、白玉のように美しく、あなたの気高いお姿を、私はいつも恋しく想っております」

命はそれを聞いてたいそう心を打たれ、自分も決してあなたのことを忘れないという、やさしい気持ちのこもった歌を返しました。命は高千穂の宮というお宮で、なんと五百八十歳という長い歳月をお過ごしになりました。

八咫烏(やたがらす)

一

鵜茅草葺不合命は、大人になられてから、育ての親である玉依媛をあらためてお妃にお迎えになり、四人の男の子をおもうけになりました。

この四人のごきょうだいのうち、二番目の稲氷命(いなひのみこと)は、海をこえてはるばる遠い「常世国(とこよのくに)」という国へ渡られました。三番目の若御毛沼命(わかみけぬのみこと)も、お母さまの国である海の世界へ行ってしまわれました。そして、いちばん末の弟さまである神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が、高千穂の宮にいらっしゃって、天下をお治めになりました。

しかし、日向(ひむか)の地はとても辺ぴな場所で、国を治めるには不便なことがたくさんありました。そこで命は、一番上のお兄さまである五瀬命(いつせのみこと)とご相談になり、
「もっと東の方へ移ったほうがよいだろう」
とおっしゃって、軍勢をすべて引き連れて、まずは筑前国(つくしのくに)へ向かって出発されました。

その途中、豊前の宇佐にお着きになると、その土地に住む宇佐都比古(うさつひこ)と宇佐都比売(うさつひめ)という二人が、立派な御殿を建てて命をお迎えし、手厚くおもてなしをしました。

命はそこから筑前に入り、「岡田宮(おかだのみや)」というお宮に一年間滞在されたあと、さらに安芸(あき)の国へ進んで「多家理宮(たけりのみや)」に七年間とどまりました。さらに備前(びぜん)の国へ進み、八年間「高島宮(たかしまのみや)」にお住まいになりました。

そこから船を連ねて、波の上を東へ向かって進んでいきました。その途中で「速吸門(はやすいのと)」というところまでおいでになったとき、向こうから一人の者が、亀の背中に乗って魚を釣りながらやってきました。その者は命の船を見るなり、両手をあげてしきりに手招きをしました。

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