初級翻訳・古事記物語 第17話

古事記物語

それから改めて皇后のほうへ使いをお出しになって、
「すべて子供の名は母がつけるものと決まっているが、あの皇子は、何という名前にしようか」とお聞きかせになりました。
皇后はそれに答えて、
「あの御子は、ちょうど砦が火をかけられて焼ける最中に、その火の中でお生まれになったのでございますから、本牟智別王(ほむちわけのおう)とお呼び申したらよろしゅうございましょう」とおっしゃいました。
その「ほむち」というのは、火のことでした。天皇は続けて、
「あの子には母親がいなくなってしまうが、これからどうやって育てていけばよいだろうか」とお尋ねになりました。
すると皇后は、
「それならば、乳母(うば)を雇い入れ、お湯を使ってお世話をする女たちも大勢お抱えになって、その者たちにお任せになればよろしいでしょう」とお答えになりました。
天皇は最後に、
「そなたがいなくなってしまったら、わしの世話は一体誰がしてくれるのだ」とお聞きになりました。
すると皇后は、
「それには、丹波(たんば)の道能宇斯王(みちのうしのみこ)の娘である、兄媛(あけひめ)と弟媛(おとひめ)という姉妹がおります。この娘たちならば家柄も正しい女たちでございますから、どうかその二人をお召しなさいませ」とおっしゃいました。
天皇はもういよいよどうすることもできなくなり、一気に砦を攻め落として、沙本毘古を殺させてしまいました。
皇后もまた、それと運命を共にして、激しく燃えさかる炎の中に飛び込んでお亡くなりになりました。

三

お母上のいない本牟智別王(ほむちわけのおう)は、それでも幸せなことに、すくすくと丈夫に成長していきました。
天皇はこの皇子(みこ)のために、わざわざ尾張(おわり)の相津(あいづ)という場所にある、二股に分かれた大きな杉の木を切らせて、それをそのままくり抜き、二股の丸木船をお作りになりました。
そして、はるばる大和まで運ばせて、市師(いちし)の池という池に浮かべ、その中に皇子と一緒に乗り込んで、遊ばせておられました。
しかしこの皇子は、後にすっかり大人になって、長いあごひげが胸元に垂れ下がるほどになっても、口をきくことができませんでした。
ところがあるとき、コウノトリが空を鳴きながら飛んで行くのをご覧になって、お生まれになって初めて、
「あわわ、あわわ」とおっしゃいました。
天皇は、さっそく山辺大鷹(やまのべのおおたか)という者に、
「あの鳥を捕まえて参れ」とお命じになりました。
大鷹はかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追いかけ、紀伊国(きいのくに)、播磨国(はりまのくに)へと下って行き、そこから因幡(いなば)、丹波、但馬(たじま)を駆け回った後、今度は東の方へ回って、近江(おうみ)から美濃(みの)、尾張を駆け抜けて信濃(しなの)に入り、とうとう越後(えちご)のあたりまで追いかけました。
そして、ようやく和那美(わなみ)という港で罠(わな)を張って、そのコウノトリを捕まえました。
大急ぎで都へ帰って、天皇に献上いたしました。
天皇は、その鳥を皇子に見せれば、言葉を話せるようになるのではないかとお考えになり、わざわざ捕まえに行かせたのでした。
しかし皇子は、やはりそのまま一言も言葉をおっしゃいませんでした。
天皇はそのために、いつもどれほど心を痛めていたか分かりませんでした。
そんなある晩、ふと夢の中で、
「私のお社を、天皇のお宮と同じように立派に作り直して下さるなら、王は必ず口がきけるようになるだろう」と、このようなお告げをお聞きになりました。
天皇は、どの神様のお告げであろうかと急いで占いの役人に命じて占わせてみると、それは出雲(いずも)の大神のお告げであり、皇子はその神の祟(たた)りでおしとしてお生まれになったのだと分かりました。
それで天皇は、すぐに皇子を出雲へ参拝にお出しになることに決めました。
その際、誰を付き添わせたらよいかとまた占わせてみると、曙立王(あけたつのみこ)という方が占いにお当たりになりました。
天皇は、その曙立王にお命じになり、念のために神の意志を確かめるお祈りをさせてみました。
王は命じられた通り、鷺(さぎ)の巣の池のそばへ行って、
「あの夢のお告げのとおり、出雲の大神を拝んでしるしがあるならば、その証拠にこの池の鷺どもを死なせて見せてください」とお祈りすると、周囲の木の上にとまっていた池中の鷺が、一斉にバタバタと池に落ちて死んでしまいました。
そこで今度は祈りを返して、
「あの鷺たちがことごとく生き返りますように」と言うと、いったん死んだそれらの鷺が、またたちまち元のとおりに生き返りました。
その次には古樫(ふるかし)の岡という場所に茂っている、葉の大きな樫の木も、曙立王の祈りによって、同じように枯れたりまた生き返ったりしました。
そんなわけで、例の夢のことも間違いなく出雲の大神のお告げであることが、いよいよ確かになりました。
天皇はすぐに曙立王と兎上王(うのかみのみこ)との二人を本牟智別王につけて、出雲へお遣わしになりました。
そのご出発のときにも、どちらの道を選べばよいかとお占いになりました。
すると、奈良街道からでは途中でいざりや盲目に会うし、大阪口から行ってもやはり盲目やいざりに会うので、どちらも旅立ちには不吉である、脇道の紀井(きい)街道を通って行けば必ず幸先がよいと、占いに出ました。
一同はその占い通りにして旅立たれました。天皇は、皇子のお名前を永く後の世まで残すため、その旅路のいたるところに「本牟智部(ほむちべ)」という部族をお作りになりました。

皇子はいよいよ出雲の国へ到着し、大神のお社へお参りになりました。そして都へ帰ろうとなさったとき、出雲の国を預かる国造(くにのみやつこ)という一番上の役人が、肥の河(ひのかわ)の中に仮の宮殿を建て、そこに細い木を編んだ橋を渡して、その場所で皇子をもてなしました。そのとき川下の方には、皇子の目を楽しませるために、青葉で作った山が設えられていました。

皇子はその景色をご覧になって、
「あの川下に山のように見えている青葉は、本物の山ではないだろう。神主たちが大国主神(おおくにぬしのかみ)をお祭りする場所なのだろうか」
と、突然こうおっしゃいました。お供をしていた曙立王(あけたつのみこ)や兎上王(うのかみのみこ)たちは、皇子がふいに言葉を発せられたことに大変驚き、大喜びして、すぐに早馬を走らせ、その吉報を天皇のもとへ報告させました。

皇子はその後、別のお宮へ移り、肥長媛(ひながひめ)という方をお妃としてお迎えになりました。ところが後でよくご覧になると、その正体は蛇が女の姿に化けていたのでした。皇子はびっくり仰天なさり、皆と一緒に船に乗って逃げ出しました。すると蛇の媛は、皇子を慕って急いで別の船を仕立て、海の上をきらきらと照らしながら猛烈な勢いで追いかけてきました。皇子はいよいよ気味が悪くなり、あわてて船を陸に引き上げさせ、山の間を越えさせたり、また海に浮かべて渡ったりと苦心しながら、ようやく無事に都へ帰り着きました。

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