木の葉がその前触れのように、ざわざわと騒いでいる」という意味の歌をお歌いになり、多芸志耳命がもうすぐおまえたちを殺しに来るぞ、ということをそれとなくお教えになりました。
三人のお子たちはそれを聞いてびっくりし、それならばこちらから先に命を殺してしまおうと相談なさいました。そのとき一番下の神沼河耳命が、真ん中のお兄さまの神八井耳命に向かって、「では、あなた、命のところへ押し入って、お殺しなさい」とおっしゃいました。それで神八井耳命は刀を持って出かけましたが、いざとなると体が震え出して、どうしても手出しをすることができませんでした。そこで弟の神沼河耳命がその刀を奪い取って進み、一気に多芸志耳命を殺してしまいました。神八井耳命は、あとで弟の神沼河耳命に向かってこう言いました。
「私はあのかたきを殺すことができなかったけれど、そなたは見事に殺してしまった。だから、私は兄ではあるけれど、人の上に立つことはできない。どうぞそなたが天皇の位について天下を治めてくれ。私は神々をまつる役目を引き受けて、そなたにお仕えしよう」
そうして弟の命は、二人のお兄さまを差し置いて天皇の位におつきになり、大和の葛城宮(かずらぎのみや)にお移りになって、天下をお治めになりました。すなわち、第二代の綏靖(すいぜい)天皇さまでいらっしゃいます。天皇は短命で、お年四十五でお隠れになりました。
赤い盾、黒い盾
一
綏靖天皇から数えて七代の時を経て、第十代目に崇神(すじん)天皇がお位におつきになりました。天皇には十二人のお子さまがいらっしゃいました。その中で皇女の豊鍬入媛(とよすきいりびめ)が、初めて伊勢の天照大神(あまてらすおおみかみ)のお社に仕えて、そのお祭りをお司りになりました。また、皇子の倭日子命(やまとひこのみこと)がお亡くなりになったときには、殉死(じゅんし)といって、お墓のまわりに人を生きながら埋めてお供をさせるというならわしが始まりました。
この天皇の御代には、はやりの病がひどくはびこって、人民という人民はほとんど死に絶えそうになりました。天皇は非常にお嘆きになり、どうしたらよいか神のお告げをいただこうと、身を清めて慎み、お寝床の上に座っておいでになりました。するとその夜の夢に、三輪(みわ)の社の大物主神(おおものぬしのかみ)が現れて、こうお告げになりました。
「この度の流行病は、このわしがはやらせたのである。これをすっかり収めたいと思うのならば、大多根子(おおたねこ)という者にわしの社を祀らせよ」
天皇はすぐに四方へ速馬(はやうま)の使いをお出しになって、その名前の者をお探しになりました。すると一人の使いが、河内の美努村(みののむら)というところでその人を見つけて連れてまいりました。天皇はさっそく御前にお召しになって、「そちは誰の子か」とお尋ねになりました。すると大多根子は、「私は大物主神の血筋を引いた、建甕槌命(たけみかづちのみこと)と申す者の子でございます」とお答えいたしました。
それというのも、大多根子から五代も前の世に、陶都耳命(すえつみみのみこと)という人の娘で、活玉依媛(いくたまよりびめ)というたいそう美しい人がおりました。この媛があるとき、一人の若い人をお婿さんにしました。その人は、顔かたちから立ち居振る舞いの美しく気高いことといったら、世の中に比べるものもないくらい、立派で凛々しい人でした。媛はまもなく子供が生まれそうな身となりました。しかしそのお婿さんは、はじめからただ夜だけ媛のそばにいるきりで、明け方になるといつの間にかどこかへ行ってしまい、決して誰にも顔を見せませんし、妻である媛にさえ、どこの誰かということすら打ち明けませんでした。
媛のお父さまとお母さまとは、なんとかしてそのお婿さんがどこの何者か突き止めたいと思い、ある日、媛に向かってこう言いました。
「今夜は、お部屋へ赤土をまいておきなさい。それから麻糸のまりを針に通して用意しておいて、お婿さんが出てきたら、そっと着物のすそにその針を刺しておくのですよ」
媛はその晩、言われたとおりにお婿さんの着物のすそへ、麻糸をつけた針を突き刺しておきました。明くる朝になって見てみますと、針についていた麻糸は、戸の鍵穴から外へ続いていました。そして糸の玉はすっかり繰りほどけて、お部屋の中にはわずか三回り分しか残っておりませんでした。それで、とにかくお婿さんは戸の鍵穴から出入りしていたことが分かりました。媛はその糸の伝わっている方へずんずん行って見ますと、糸はしまいには三輪山のお社に入って止まっていました。それで初めて、お婿さんは大物主神であったことが分かったのです。大多根子はこのお二人の間に生まれた子の、四代目の孫でした。
天皇はさっそくこの大多根子を三輪の社の神主にして、大物主神のお祭りをさせました。それと一緒に、お供え物を入れる土器(かわらけ)をどっさり作らせて、大空の神々や下界の多くの神々をお祭りになりました。その中のある神さまには、特に赤色の盾や黒塗りの盾をお捧げになりました。そのほか、山の神さまや川の瀬の神さまに至るまで、いちいち漏れなくお供え物を捧げて、丁寧にお祭りをなさいました。そのおかげで流行病はやがてすっかり止まって、天下はようやく安らかになりました。
二
天皇は続いて大毘古命(おおびこのみこと)を北陸道へ、その子の建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)を東山道へ、そのほか強い者たちを方々へお遣わしになって、ご命令に従わない多くの悪者どもをご征伐になりました。大毘古命(おおびこのみこと)は、天皇のお言葉をかしこまって承り、出発しました。ところが、途中で山城(やましろ)の幣羅坂(へらさか)というところへさしかかりますと、坂の上に腰布一枚だけを身につけた小さな娘が立っていて、
「これこれ申し天子さま、
あなたをお殺し申そうと、
前の戸に、
裏の戸に、
行ったり来たり、
すきを狙っている者が、
そこにいるとも知らないで、
これこれ申し天子さま」
と、このような歌を歌いました。大毘古命は「これは変だ」と思い、わざわざ馬を引き返して、「今言ったのは何のことだ」と尋ねました。すると小娘は、「私は何も申し上げておりません。ただ歌を歌っただけでございます」と答えるなり、もうどこへ行ったのか、ふいに姿が見えなくなってしまいました。
大毘古命は、その歌の言葉がしきりに気になって仕方がないので、とうとうそこから引き返してきて、天皇にその出来事を申し上げました。すると天皇は、「それはきっと、山城にいる私の腹違いの兄、建波邇安王(たけはにやすのおう)が悪だくみをしている知らせに相違あるまい。そなたはこれから軍勢を率いて、すぐに討ち取りに行ってくれ」とおっしゃり、彦国夫玖命(ひこくにおぶのみこと)という方を添えて、一緒にお遣わしになりました。
二人は神々にお祭りをして、勝利を祈って出かけました。そして山城の木津川(きづがわ)まで行きますと、建波邇安王は案の定、天皇に背こうとして兵を集め、待ち構えていました。両方の軍勢は川を挟んで向かい合いに陣を取りました。
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