**6月8日**
朝の8時に、三人で交代に目を覚ました。
どこからともなく、かすかな光が差し込んでいる。
元気はだいぶ戻っていたので、大急ぎで朝食を詰め込んだ。
私は昨日から猛烈な喉の渇きを感じており、どんなに汚い水でもいいから一滴飲めたらと、喉から手が出るような思いで、地上にある清らかな水の流れをまぶたの裏に思い浮かべた。
朝食が終わると、ガンスが片手にランプを、もう片方の手に斧を持ち、邪魔な砂岩を砕きながら進んでいく。
砕けたクォーツ(石英)の結晶がランプの光に反射して、言葉では言い表せないほど美しい。
何度も崩れそうな壁に肝を冷やしながら、緩やかな坂を下っていくうちに、空気はいっそう薄くなってきた。
それでも、時折そよ風のようなものが顔を撫でていく。おかげで、わずかに息をつくことができる。
喉の中が火のように熱い。
松明(たいまつ)行列のような熱さが、胃袋と喉のあいだを上ったり下ったりしている。
しかし、どうすることもできない。
あと六千フィートほど降りれば、泉に行き当たるだろうと、互いに励まし合った。
**6月10日**
あたり一面、エメリー(金剛砂の一種)の床になっている。
坂道が終わって地面が平らになったので、地の底まで来てしまったような気がした。
はるか前方に、異様な光景が広がっていた。
安山岩(あんざんがん)の黒い山が、天にそびえ立つように立ちはだかっている。
黒とも濃紺ともつかない、ひどく暗くて陰鬱な様子だ。
しかし、地底に山などあるはずがない。近づいてよく見てみると、変朽安山岩(へんきゅうあんざんがん)が谷へ崩れ落ちてできたもので、リヒトホーフェンがスペイン語をそのまま採用して「リア(Rias)」と呼んでいる現象だということがわかった。
この辺りは非常に広々としていて、ところどころに「熔岩の棘」と呼ばれる、サボテンのような形の黒い溶岩の塔が立っている。まるでメキシコの砂漠の中にいるような気分だ。
強烈な白い太陽の光のかわりに、ここでは蛍光色のようなぼんやりした微光が、エメリーの原野の上に漂っているだけである。
**6月21日**
今日の午後、スネフェリス山から五十マイル下の地点まで来た。
1892年に、トーマス・レヴィングトンが到達した場所である。
何か記念碑でもないかとあたりを探し回ったが、何も見つからなかった。
こうして立っていると、遠くのほうでかすかに海鳴りのような音が聞こえた。
一心不乱に音のするほうを見渡したが、例の微光が満ちているだけで、何も見えない。
削られた岩壁の隙間から、一条の光が細い糸のように透けて見えた。
それは太陽の光のようだった。
ガンスは耳に手を当てて海鳴りを聞いていたが、突然「リジンブロックスコイだ!」と叫び出した。
問い詰めてみると、「リジンブロックスコイ」とは、アイスランドの伝説に出てくる地底の大洋の名前だということだった。
地底の海! その不思議な景色を目の当たりにする瞬間を想像して、私は立ち尽くしたまま、うっとりと夢見心地になった。
レヴィングトンがなぜここから引き返したのか、その理由を初めて理解した。
**6月23日**
今日の昼頃、広々とした大海原が見える場所に出た。
そこには、奇妙な形をした鱗木(りんぼく)のようなものが生えていた。――「フォルチャ・ヘテロフィラ」という三畳紀の松の仲間や、「ポトザミテス」という中生代のソテツの仲間がしんしんと生い茂り、その根元には、網状の葉を持つシダやトクサの仲間が、足の踏み場もないほどびっしりと広がっていました。
水辺の浅瀬には、ウミユリや腕足類(がいちゅうるい)、そしてさまざまな形の巻貝がいます。
アンモナイトや、それに似た「モーフィリテス」という古代の貝たちが、のそのそと動き回っていました。
ヤヌッセンはここで、助手のガンスや仲間の三人でいかだを作りはじめ、一週間後には地底の青い大海原へと乗り出していったのです。
パンのくずを餌にして「イロニクティス」という古代のタラを釣ったり、「ジイゼル」と名づけた地底の島の火山を眺めたりして過ごしました。
モスクワの科学アカデミー地質学部長であるイヴァン・ヤロスラフスキー博士が、ロバトカ山の火口の壁に地底へ続く「熔岩隧道(ようがんずいどう)」があるはずだと推理したのは、1920年代のことでした。
当時、博士は樺太(からふと)の西の海で、腕足類やフジツボがどのように増えているかを調べていました。
ある夏の日、博士が杖を振りながら樺太山脈の低い山へハイキングをしていたとき、恵須取山(えずりやま)の古い火口の近くで、とんでもないものを見つけたのです。
それは学名を「C. pyarus stanovos」という、シベリアテンの一種でした。スタノヴォイ山脈にだけ住んでいる、鼻先が白く、毛皮に白い斑点がない特別なやつです。
本来、樺太にはテンは住んでいません。
それなのに、ここにシベリアテンがいるということは、どこかから移動してきたはずです。
博士は、黒竜水道が凍ったときに、ラザレフ岬の狭い海峡を渡ってきたのだろう、と考えをまとめかけていました。
ところが、博士が杖を背中に隠してそろそろと近づいていくと、そのシベリアテンはヒラリと身をかわし、なんと恵須取山の古い火口の中へピョンと飛び込んでしまったのです。
たったこれだけのことでしたが、これが博士の世界的発見に、大きなヒントを与えることになりました。
博士はこう推測しました。
樺太の西海岸を走る樺太山脈は、北緯60度の線に沿って北へ進み、ロシア領のアレクサンドロフスク近くで突然海の中へ入り、フィヨルドのような地形を作りながら海底を北へ進む。そして、カムチャッカ地方のオホーツク近くで陸に上がり、県境を東西に走るスタノヴォイ山脈の横腹に、北緯62度30分、東経140度17分の地点でT字型にぶつかるのだ、と。
そして、そのぶつかる場所こそが、ロバトカ山なのです。
博士はこれによって、ロバトカ山から樺太の恵須取山まで、地底に完全な「地球の抜け穴」が通っていると確信しました。
博士は1930年以来、政府の科学アカデミーにこのトンネルの調査を申請していましたが、1937年になって突然、中央委員会が許可を出しました。それはもっぱら、軍事的な目的で取り上げられたからでした。
3、コリマの泥洲(どろす)
川が、この荒れ果てた土地にわずかな潤いを与えていました。
水辺の泥の上では、「第二十七流刑管区」の何人かの人間が自分たちで食べるために育てている、ひょろひょろとした麦が、川風に揺れていました。
三角州というよりは、これは島でした。
まるで化学薬品のような、見ただけで触りたくない、腐った牡蠣のような色をした水が島の三方を囲み、のたりと流れています。
二つの川がこの三角州で合流し、流刑囚たちを見張る番犬の役割をしていました。
もしこの川を泳いで逃げようとする者がいれば、川は恐ろしい口を開けて飲み込んでしまいます。
逃亡者は、見かけだけの川の底にある、底なしの泥の沼の中へズルズルと沈んでいってしまうのです。
エンジンを外された古い砕氷船が、浅瀬に乗り上げて赤く錆びついていました。
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