初級翻訳・塔上の奇術師 第1話

塔上の奇術師

ふしぎな時計塔

 ある夕暮れ時、名探偵・明智小五郎の少女助手である花崎マユミさんは、中学一年生のかわいらしい二人の少女と手を取り合って、さびしい原っぱを歩いていました。
 畑があったり、林があったり、青い草で縁取られた小川が流れ、その上に昔ながらの土橋がかかっていたりと、まるで田舎のような景色ですが、ここは田舎ではなく、東京都世田谷区のはずれなのです。
 マユミさんに連れられている二人の少女は、淡谷スミ子さんと森下トシ子さんという同じ中学の同級生でした。淡谷さんのお家がこの近くにあるため、今日はマユミねえさまと森下トシ子ちゃんを招いて、三人でこの原っぱへ散歩に出かけたのです。
 スミ子ちゃんもトシ子ちゃんも算数が得意で、物事を筋道立てて考えるのが大好きでした。
 ですから、読み物としては探偵小説が大好きなのです。
 悪人がいろいろなトリックを使って騙そうとするのを、知恵の力で見破るのが面白くてたまらなかったのでした。
 それに、スミ子ちゃんもトシ子ちゃんもスポーツが得意で、同級生の男の子たちにも負けないくらい活発な少女でしたから、どうにかしてマユミさんのような少女探偵になりたいと思っていたのです。
 幸いなことに、森下トシ子ちゃんのお姉さまがマユミさんの知り合いだったので、そのお姉さまに紹介してもらい、仲良しの淡谷スミ子ちゃんと一緒にマユミさんを訪ねて、「弟子にしてください」とお願いしたのです。
「まあ、あなたたち、勇敢ね。中学一年生じゃ、まだ早いわ。それに、お父さまやお母さまがお許しにならないでしょう?」
「いいえ、うちのお父さまは明智探偵のファンなのよ。その明智探偵の弟子であるマユミさんの、またその弟子になるのですから、お父さまはきっと許してくださるわ」
 森下トシ子ちゃんが言うと、淡谷スミ子ちゃんも口をそろえて言いました。
「うちではずっと前に、宝石やお金がたびたびなくなることがあって、泥棒はうちの誰かかもしれないというので、警察には言わないで明智先生に相談したことがあるんです。すると、明智先生がうちへいらして、みんなを調べてすぐに犯人を見つけてくださったのよ。うちのじいやに悪い息子がいて、その人が盗んでいたのです。じいやが息子をかばって隠していたので分からなかったの。明智先生はそのじいやの息子によく言い聞かせて、改心させてしまわれたのよ。ですから、うちのお父さまも明智先生の大ファンなの。きっと許してくださるわ」
 二人とも一生懸命にお願いするので、マユミさんも根負けして、明智探偵に相談したうえで、ついに弟子にすることを承知しました。
 しかし、それには約束がありました。学校の時間中は決して探偵のことを考えないこと、宿題を怠けないこと、危ない事件や夜の事件には連れて行かないこと、そのほか、お父さまやお母さまを心配させないような、いろいろな約束を決めたのでした。
 二人がマユミさんのお弟子になってから、まだ何も事件は起こっていません。時々、明智探偵事務所へマユミさんを訪ねて、手がかりの見つけ方や、不思議な事件の謎の解き方、危ない目に遭ったときに身を守る心得などを教わっていました。
 たびたび探偵事務所へ行くので、明智探偵や小林少年とも親しくなり、明智先生から知恵を働かせる面白いお話を聞かせてもらうこともありました。
 あんなに憧れていた明智先生や小林少年とお友だちみたいに話ができるので、二人はもう嬉しくて夢中なのです。
 淡谷スミ子ちゃんと森下トシ子ちゃんが、いまマユミさんと一緒にこの原っぱを散歩しているのは、そういう間柄になっていたからでした。
「もうじき日が暮れるわね。帰りましょうか」
 マユミさんが言うと、淡谷スミ子ちゃんが言いました。
「ええ、でももう少だけ。マユミねえさま、あの林の向こうに変なお家があるのよ。それを見て帰りましょうよ。ほら、ここからも見えるわ。ねえ、塔みたいな屋根が見えるでしょう」
 スミ子ちゃんが指さすほうを眺めると、林の木々の上から、古い西洋の写真にあるようなスレート葺きの、とんがり帽子のような屋根が空にそびえていました。
「まあ、古城の塔みたいね。こんなさびしいところに、どうしてあんな建物があるのでしょう」
 マユミさんが不思議そうに言いました。
「お父さまから聞いたのよ。昔、『丸伝』という日本一の大きな時計屋さんがあったんですって」その時計屋さんが、こんなさびしい場所にご自分の家を建てて、屋根の上に時計塔をこしらえたんですって。
いまはもう、だれも住んでいない空き家なのよ。
このあたりの人たちは、その建物を「時計屋敷」とか「お化け屋敷」とか呼んで、怖がっているんです。
でも、お化けなんているはずがないわよね。
あたし、ちっとも怖くないわ。
スミ子ちゃんは、スポーツが大好きな少女らしく、からりと明るく笑ってみせるのでした。

そんな話をしながら歩いているうちに、三人はいつのまにか林の中へ足を踏み入れていました。
その林の向こう側に、例の時計屋敷があるのです。
林の木のあいだから、赤レンガでできた古い建物が、ちらちらと見えてきました。
林をぬけ出ると、草がぼうぼうと伸びきった原っぱの真ん中に、その時計屋敷が、まるで怪物のようにそびえ立っていました。

なんとも奇妙な建物です。
全体が赤レンガでできた二階建ての西洋館なのですが、その二階の屋根の上に、大きな時計塔がそびえ立っているのです。

「まあ、大きな時計ね。
高い場所にあるから小さく見えるけれど、あの文字盤は直径が五、六メートルもあるわね。
針はもう動いていないのでしょう。
ちょうど三時を指しているわ。
この針が止まったのは、昼間の三時だったのかしら、それとも夜中の三時だったのかしら」
マユミさんは、少し青ざめた顔をして、気味悪そうにつぶやきました。

よく見ると、建物の赤レンガはいたるところが欠けていて、傷だらけです。
そして、壁一面に青いコケが生えていました。
「丸伝」という時計屋さんは、よほど変わった人だったと見えて、じつに不思議な造りの建物です。
隅のほうにはレンガの円塔がくっついていたり、建物全体がデコボコしていたり、屋根もいくつも重なり合っていて、昔の西洋のお城のような雰囲気でした。
窓はどれも小さくて、部屋の中は昼間でも薄暗いに違いありません。
空き家だといわれていますが、なにか変なものが住みついていて、いまにもあの小さな窓から、ひょいと顔を出すのではないかと思うと、いよいよ気味が悪くなってきます。

「もう、帰りましょうよ。
日が暮れてきたわ。
ごらんなさい、向こうの空がまっ赤に夕焼けしている。
まあ、きれい」
マユミさんはうしろを振り返って、林の向こうの空を眺めました。
西の空は、一面が血のような色に染まっていました。
その光が、前の時計屋敷に反射して、赤レンガの建物が、まるで酔っぱらいの顔のように不気味に浮かび上がって見えたのです。

そのとき、森下トシ子ちゃんが、なにかを見たのか、ギョッとするような声を上げました。
「あらっ! ごらんなさい。
あそこ。
時計塔の屋根の上よ。
ほら、なんだか動いている……」

夕焼けを浴びて、大時計の文字盤も薄赤く輝いていました。

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